• 締切済み

お盆に墓参りへ行きますか?

1:あなたはお盆に墓参りへ行きますか? 2:1年に何回墓参りへ行きますか? 3:墓参りに意味があると思いますか?  ただの慣習ですか?それとも意味のある行為ですか? 4:3について、意味があると回答した方へ。 詳しく教えてください。 5:ここ近年、一人っ子が多くなり嫁ぐことをきっかけに墓守が居なくなるケースが増えていると思いますが、墓守が居なくなることについてどのように考えていますか? 「家」は養子を取ってでも守るべきことだと考えますか? 6:そのほか、墓参りに関して自由にご意見を述べてください。

みんなの回答

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5697)
回答No.5

1:あなたはお盆に墓参りへ行きますか?  行きます。 2:1年に何回墓参りへ行きますか?  春秋のお彼岸、お盆、そのほか年末の草取りなど、年に4~5回です。 3:墓参りに意味があると思いますか?  あると思います。  4:3について、意味があると回答した方へ、詳しく教えてください。  お墓を清め、お線香と花と供物を献じ、静かに手を合わせ、亡くなった身内、さらには祖先、  血のつながった者たちの冥福を祈り、この世に生きる者たちの平安を祈念する、それだけで  も心は澄み渡り、正しく生きていく意欲がみなぎってくる。しっかりと意味のある行為だと  思います。  5:ここ近年、一人っ子が多くなり嫁ぐことをきっかけに墓守が居なくなるケースが増えてい   ると思いますが、墓守が居なくなることについてどのように考えていますか?  たしかにそういったケースは多いことでしょう。地方から都会に出てしまうと、なおのこと、  そう簡単には故郷の墓前に…とは行かないことと思います。当然のことながら、お墓は荒れ  ることでしょう。でもそうした人であれ、心の中に刻み込まれたお墓、それは清らかなまま  のはずです。  できれば親戚か、あるいは墓守に、たまには手を入れてもらいたいところですが、それもま  まならないなら仕方がありません。時に触れ、ことに触れて、心の中のお墓に向かって手を  合わせる、それだけの心があれば十分だと思います。 「家」は養子を取ってでも守るべきことだと考えますか?  それが可能で、そして円満に行くなら、それが最上の方策でしょう。わたしたち夫婦には子  供がありませんが、さりとて、タイミングもすでに逸してしまっています。すべては縁、良  い縁でもあれば、それはその時のこと、無ければ、それでも仕方がありません。 6:そのほか、墓参りに関して自由にご意見を述べてください。  距離的に、経済的に、などと特別に難しいことでなければ、お墓参りはとても心の洗われる  行為です。誰からも強制されるでもない自分の気持ち次第、でも、ご先祖と対話してみるの  も良いことかもしれません。

回答No.4

1:行きます 2:3回(春・秋のお彼岸、夏のお中元時期) 3:意味ある行為だと思います 4:定期的に行かないと墓地を使用させてもらえないため 5:仕方が無いことだと思います 「家」は養子を取ってでも守るべきことだとは決して思いません 6:押し付けがましい風習のようなものが非常に面倒

noname#159062
noname#159062
回答No.3

1.お墓参りに行きます。 2.お盆とお正月の年2階です。 3.意味はあると思います。 4.主人の両親も喜んで下さるので、意味はあると思います。 そして私自身もこの人たちがいたから、主人が生まれてきてくれたので  いろんなことに感謝できるので、いいと思います。 5.私たちは、宇宙葬をしようと話合っています。 6.いろんな形があって、いいんじゃないでしょうか?

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.2

1、お盆には、行きません。 混雑しすぎです。 2、一回行きます。 友人と母の命日が重なる、11月です。 3、私には、意味があります。 16歳で亡くなったクラスメイトと、お話しをする日です。 そして、両親に元気で頑張っていることの報告をする日です。 「ただの慣習」と感じる部分もあります。 「お盆だから、~しなくちゃ」という考え方は、大嫌いです。 5、私自身、養子ですが… 「守るべき」などとは、微塵も思いません。 仕方のないことです。 6、毎朝、亡くなった人たちには挨拶をしていますので、お盆だからといって墓参りはしません。 一年に一回、掃除をかねて行くだけです。 それから… クラスメイトの墓に…、 【生きているんだもん  幸せにならなくちゃ  生きてゆくんだもん  不幸になんかなるもんですか】 という墓誌があるので、 落ち込んだ時に、力をもらいに行っています。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.1

 幼少時は、ずっと祖母に毎月連れられて墓参りしてました。故に、墓参り自体が苦痛ではないように育ったように思います。その私でも、今までは、「まぁ意味無く行くモノ」と思ってました。  嫁さん方は厳しい真言宗の多い地域です。葬式に行けば、全員が何も見ずに般若心経を当たり前に大合唱する光景に腰を抜かしました。  そして、その祖母は、いたこができたほどの霊感者です。故に嫁さんも霊感が強く、明らかに嫁さんが知らない土地で、大きな火災でたくさんのヒトが死んだところの近くを通りかかると、「なんか暑い」と汗をかいて「おかしい」と言い始めます。それに対してほぼ無感覚の自分は、「演技かかっている」と当初は思いましたが、そこがそれであることは絶対に知らないのです。その祖母が死んだ電話が掛かる前に、私に「ばあちゃんが夢に出て」と、あちらに行く話を始めたこと。死ぬ前に「狸が来る」と言っていたが、家の近くに狸が死んでいたこと。藁葺き屋根を大事にし、「絶対に屋根を囲うな、神様が息が出来なくなる。家が没落する」と、藁葺きの維持にしんどくなった家の者に言い続けたこと。囲ったとたん、その家の50代の嫁が、動脈瘤破裂で突然死し、3年後に私より年下の次男が自殺し、残った旦那・長男・三男は家から離れ、その家に誰も住まなくなったこと。嫁さんの血が関わっているのか、娘も幼少時は霊感体質。法事の時、遺影を指さし、「このヒトがここに座って笑ってる。なんで?」と言ったこと。テレビで「デジカメで写すとオーブが写ることがある」と聞き、良く試すようになったが、娘が「おばあちゃんが来てる」と言うと、必ず写ること。極めつけは、「ひいばあちゃんとばあちゃんが来てる」と言ったとき、ちゃんとふたつのオーブが写ったこと。「来ていない」と言ったときには絶対写らなかったこと。  死後の世界はわかりませんが、何かしらのことはあっても不思議ではない、偶然で仕方づけられないようなことが続きます。故に、私は墓参りは大事と考えます。今回も、父と弟は、先祖を迎えに行かず、坊さんに拝んでもらったそうです。信用していなかった私は、父方母方とも盆の入りに参ることだけはしています。そうしない父と弟の家は、なんだか見ていて不幸そうです。細かい金に執着し、何かと巧く行かなくてよくボヤいています。ウチは、いろいろありますが、首の皮一枚でいつも切り抜けている気がしますし、そう思えます。弟の家はまではいろいろあるかどうかはわかりませんが、マイナス思考なコトばかり言いますね。  先祖を大事にしないと、護ってくれないとを信じるのは、なんだか安心でもあります。弟には比較して悪いですが。信心深くなかった私が、信じるようになったのは、弟というよくわかる対象のおかげですね。