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ソーシャルゲームのアイテム課金について考える
- ソーシャルゲームのアイテム課金についての議論があるが、そのデータを作成する人に対する配慮も必要ではないか。
- 「たかがデータ」と一言で片付けるのは失礼ではないかという疑問が生じた。
- イラストを描いた人など、関わった人に対しても配慮が必要であると感じる。
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私は「たかがデータ」と判断するのでゲームで課金はしませんが 課金しようがしまいがゲームそのものが「たかがデータ」なんですからうまくいって喜んだり失敗して悔しがったりする事そのものがアホらしいと思うかと言えばそんなことは無いんですね。 人間は想像する生き物ですから、「たかがデータ」でもなんでも夢中になったり執着してしまったりするのはそれほどおかしなことではない、と思います。 世の中の人が宝石なんかを珍重しているのを見ても私には全く理解できませんし、デザインがどのようなものであるかよりブランドロゴがなんであるかが重要であるが如く語られる時計だの服飾だのについてもバカじゃねえの、と感じますが有用性よりもモノに与えられた意味を重んずるという点においては、私がゲームでレアアイテムを無課金で入手できた時の嬉しさと同じものなんですよね。 ただ、そういう価値観というのは「本質はかわらないじゃないか」といくら言ったところで社会にとってはあまり意味がありません。 より多くの人がゲームの課金アイテムを無価値だと感じているならば、鉱石や黄色い金属などで時刻を示すという機能に無関係な装飾を施された時計がいくら高価だろうとそちらのほうに意味があるとされてしまうんですね。 ところで、「たかがデータ」ってデザイナーやイラストレーターにとっての制作物としてのデータの価値について言われる台詞じゃないと思いますよ。 デザイナーにとってはデータで示されるデザインそのものが作品なんですから「つまんない絵」とでも言われない限り自分の仕事が否定されたという解釈はしないでしょうね。 いや、まあ、世の中にはデジタルデータであることそのものが無価値と信じる人もいますからそういうワカランチンに「たかがデータ」と言われればその無知や悪意には腹を立てるかもしれませんが。
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人間は単純な様に見えて、 かなり複合的な理由、価値観で物を買いますよね。 旅行に行って、何か珍しいものを見つけ、安価なら買ってみる。 海岸に行って、綺麗な小石や貝殻があると、それを所有したがる。 本人にとってそれが少し珍しく、好奇心を惹かれたり、 所有したいと思える場合、 それが他の人に無価値に見えても自分は欲しいと思う。 ソーシャルゲームのアイテムなどの価格設定は、 ごくごくそうしたレベルの購買意欲を狙っている と思えます。 いくらでも複製しうるもの に何万、何十万というお金を出す人は少なく 何万、何十万というお金を出す人は 「多くの人の中で、自分が優れる(希少品を所有する)」 というステータス意識が、購買意欲の大きな部分を占めている そんな印象を受けます。 ただまぁ。お金はある所にはあり、 無い所にはないもので、 300円のアイテムが好奇心を満たすのに丁度良い対価か 3000円のアイテムが好奇心を満たすのに丁度良い対価か 価値観が人それぞればらついています。 また、 300円で1/10で入手できるアイテム 300円で1/50で入手できるアイテム など ギャンブル性が高く、実際のコストとリスクを考えずに ズルズルと課金して行く人も大量に存在しており、 ソーシャルゲームに限らず、 大半の無料ネットゲームがそうしたギャンブル性に頼った 生産コストの低く収益性の高い課金方式に依存し、 それがないと対抗できない様な状態にも陥っていますよね。 「たかがデータ」の購入を見る場合、一番重視すべきは、 ・それが小さな好奇心を満たすに相応しい低価格か。 ・高額な場合、ステータス意識を刺激しているか? だと思います。 延長線上には家庭用ゲームもただの複製データで数千円ですし 視野を広げると一概には言えない難しい面が有りますね。 私の意見はこれ位でしょうか。 何かの参考にでもなれば。
お礼
回答ありがとうございます。 やっぱり価値観の問題ですね。 アイテムという名のデータに対して、価値を感じるか感じないか、価格が高いか安いかは人それぞれということですね。
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いまいち質問内容がわからないのですが・・・ 「ただのデータに金を出すのはどうか?」 という問にたいしては、何に価値を見出すかは人それぞれです。 「ただのデータと言うのは製作者に失礼だ!」 という問にたいしては、多分製作者は気にしてないだろう。 と私は思います。 前者に対してもう少し詳しく話すならば、大抵の課金ゲームはネットワーク化されており 他の人との繋がりがあります。そこで少しでも周りの人より優位に立ちたい。と思うのは自然だと思います。 その手段が、100円の課金アイテムなら100円ぐらい出すでしょうし、もっとゲームにのめり込んでる人は、トップに立ちたいという思いで20万以上するアイテムを買う人もいれば、100円を重ねていって数十万とか大金になる人も出てくるでしょう。 後者に対してもう少し詳しく話すならば、課金アイテムは大抵ゲームで意味のあるものです。 強い武器、防具など。 その武器のグラフィックスやその武器の案を出した人が侮辱されたと思ったりはしないでしょう。 さらに言うならば、そのアイテムが絵だとしても、批判してる人は絵に対して批判している訳ではなく、課金アイテムに対して批判しているのであってやはり、絵を描いたイラストレイターさんは怒らないでしょうし、そもそも描いたイラストレイターさんは自分が書いた絵が課金アイテムのものになるか大抵の場合、知らないと思います。 それと混同していますが、データーのイラスト販売と課金アイテムの販売は別物です。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに少し混同している部分がありました。 制作者側が気にしていないのならそれでいいと思っています。 アイテムである以上、ゲームをする人には価値がありますがゲームをやらない人には無価値なのは当たり前ですしね
お礼
回答ありがとうございます。 「たかがデータ」に対して価値を感じるか感じないかは、やっぱり人それぞれということで間違いないですね。 「たかがデータ」というのもアイテムというデータの集合体に対して、なおかつそれに価値を感じない人が抱く感想なわけで、 データのピース一つ一つを名指しで否定しない限り、それを制作した人の仕事を否定していると考えるのも変な話ですね。