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知識は人を救うのか。

ある有名な霊能者の方の本に寄るのですが、 その方の主張は 一貫して「知識を得よ」というものでした。 その方の著書に寄れば、 判断力や理解力を養うためには、「読書」が有効である、と。 知識というのは、所謂、学歴のようなもの(国語、数学、理科、社会・・) といったものに留まらず、あらゆる分野の勉強・・・例えば、料理、農業、政治経済、医学・・等々 の書物を広く深く読み込んで、知識を得ることにより 人や物事等に対する真贋を見極めるといった判断や、理解ができるようになり それがひいては、幸せへの道へ通じる、という趣旨でした。 私は、この主張に対して、半分納得し、半分疑いを持っている、というところです。 著者の方いわく、知識というのは、必ずしも読書に限るものでもなく テレビを見ていても学ぶことはあるし、 或いは飲食店に入って、何か注文すれば、その際のスタッフの接客の仕方ひとつでも 学ぶことはある、知識をえることはできる、とおっしゃっています。 最終的には、知識を得ることで 幸せになれる、と説いています。 私の「知識」に対する印象は「知識の詰め込み」という側面があり、必ずしも肯定的ではありません。 知識ばかり増えて、頭でっかちになったり 或いは、知識はあっても、それが即実践とはならなかったり(例えば、スキーの仕方を書物で学んでも、実際に滑れるようになるわけではない)、例えば人間関係にしても、本で人間関係について知識を得ても、では人つきあいがそれで達人になるかといえば、本を読む前とほとんど変わらない、ということもある。人間関係は、人間の幸せと直接結びつくものですから、なおさら、読書と幸せの因果関係がわかりにくくなります。 みなさんは、これについて どう思われますか? できたら、例を出して説明してください。

みんなの回答

  • d194456
  • ベストアンサー率27% (423/1524)
回答No.1

著者の言う「知識」をあなたは魔法の薬だとお考えのようですね。一服飲めばすぐ効果が出ると。 「スキーの仕方を書物で学んでも、実際に滑れるようになるわけではない」ですが、実際にすべることの出来る人は練習をしたのではないですか。著者の方法での練習はなしとして、あなたの考えでは練習するのが普通では、半での付き過ぎでしょう。世の中に一度で上手く出来るような人などいませんよ。 知識が頭に入ったら、それに拘らないことが肝要だと書いてありませんでしたか。 拘って、後から入る知識の邪魔をしたら、「知識の詰め込み」状態に成ってしまいます。聞き流しの方法で英会話を覚える方法の宣伝がありますね。「知識の詰め込み」などしなくてすむ方法ですよ。 バスケットクラブの選手を2つに分けて、実際にシュートの練習を20分したグループと、頭の中でイメージするだけのグループのシュートの成功率の比較結果は同じだったそうですよ。 仕事の課題に対する解決方法を幾つ提案できますか。5つから10くらいまでなら多くに人が出せます。 それを20個出して欲しいと要求されたら出来る人は殆どいないものです。 その20個のアイデアを出せる人たちから新製品が生まれます。技術開発部での訓練方法です。 あなたが幸せになる方法は何がありますか。思いつくもの全てを書き出してください。 最低でも20個は求められますよ。あなたの恋人からは。恋人には逃げられたくないでしょう。

cibone
質問者

補足

著者の言う「知識」をあなたは魔法の薬だとお考えのようですね。一服飲めばすぐ効果が出ると。 >そのように考えていません。 知識が頭に入ったら、それに拘らないことが肝要だと書いてありませんでしたか。 >そのようには書いてありませんでした。 仕事の課題に対する解決方法を幾つ提案できますか。5つから10くらいまでなら多くに人が出せます。 それを20個出して欲しいと要求されたら出来る人は殆どいないものです。 その20個のアイデアを出せる人たちから新製品が生まれます。技術開発部での訓練方法です。 >私は100以上出せます。