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世界遺産の数は多すぎる?私が思う理由
- 世界遺産の数が多過ぎると思う理由について考えてみました。
- 世界遺産の数は国ごとに異なる素晴らしい文化や遺産がありますが、数が多すぎることが問題視されています。
- 自国の文化財や自然を守ることが重要であり、ユネスコに頼るだけでなく、国内での保護も必要です。
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質問者が選んだベストアンサー
世界遺産となったとたん観光地化していく様に、またひとつ遺跡が無くなったと嘆かわしく感じてしまうのは同感ですが、世界遺産ってエントリー制ですからその国やその遺産を所有する機関が世界遺産となって観光地となりお金が動くことを望んでいるということなのではないでしょうか。 世界遺産だからといって補修費用などがユネスコから出るわけではありません。 またエントリーに際して世界遺産としての学術的価値を証明する記述や添付映像が必要でこれを作成するのに2~3000万円かかるといわれていますが、それをしてまでも世界遺産登録を望むということは「世に広めたい、収益が見込まれる」ということではないでしょうか。 世界遺産に登録されたい国と世界遺産に登録しようとするユネスコの考え方が合致すれば 個人的な考えに過ぎず、世界遺産の数がいくつまでが多くていくつが妥当な数なのかはわかりませんが、ユネスコの選出基準もどうかと思いますがエントリーする国側の考え方にもどうかと思う節はあります。 所有国がどうしようと所有国の勝手だろう、といわれれば仰る通りですとしか言いようはありませんが。
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- superski
- ベストアンサー率19% (388/2010)
確かに多すぎるし、そもそも世界遺産なんてこと自体が胡散臭いものです。 >自国の文化財や自然は、自国が守らないと。ユネスコになんて頼らず。 その国のその時の考え方次第で「消滅させてはイケない」と 多くの国や地域の人が越権行為でも保護すべきだと考えるものに限定すべきですが、 観光資源の基になるので各国から余計な茶々が入るのでしょう。 建築物に関しては、ピラミッド、法隆寺だけで良い気がします。
同感!! 45年前から辺境の地を探索していますが、大自然の中でひっそりと存在してきた遺跡が、「世界遺産」となったとたん観光地として開発され、またたく間に行楽地になっていく姿を見聞きするたびに、“ああ、また一つ、遺跡が無くなったか・・・!”と、嘆かわしくなります。 人類の大切な遺産が、現代人の欲望によってその本質を失ってしまうことは、あまりにも哀れなことです。ユネスコの主旨は尊いものなのですが・・・。
- tourisuga
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毎年かなりの件数を認定していますから 世界遺産のインフレが起こっている状態だと思います。 第一、日本の世界遺産ですら頑張ってもせいぜい日本遺産程度の ものが溢れていると思います。 私にとっての世界遺産とは、そこだけを目的に海外から旅行に来たとしても 十分耐えれるレベルのものであるべきだと考えています。 それを基準に考えると、世界遺産の安売りもはなはだしいですね。 参考までに、登録年が古いものに関してはそれなりに信用できると思います。
- dogday
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世界遺産ってなんでしょう? ついでですから、巷でよく聞く、お菓子のモンドセレクションとか、家電とかのグッドデザイン賞とかISO9001なんかも一体どうすれば取得できるのか仕組みをご自身でお調べになるといいかと思います。 国連傘下のユネスコによる認定以外の価値はないのです。 国連組織のほとんどは、国家間の問題提起と警鐘を鳴らすだけの機関が多いので、問題がなくなると存在意義もなくなるのです。 だから頑張ってますよという加盟国の報告を求め、一定数を認定しないといけない。