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映画監督の役割
映画を作るにあたって原作、脚本は重要だと思いますが、宣伝文句なんかでは監督の名前が強調されているような気がします。たとえば、同じ脚本でも監督が違うとこうも違う、と言った例はありますか。また、そもそも監督って何する人なんでしょうか。会社で言う「社長」のような存在ですか。どんな権利があるのでしょう。教えてください。
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映画監督は、現場監督と同じです。映画は総合芸術ですから、美術には美術の専門家が居り、カメラにはカメラの、録音には録音の、音楽には音楽の専門家が集まって出来あがります。カトリーヌ・スパークのお父さんのように、台詞だけの専門家もいます。しかし夫々が勝手に自分の解釈で作業をすると、バラバラでちぐはぐな作品になってしまいます。それを束ねるのが監督です。 脚本は設計図ですから、殆どの監督がこれに絡みますが、C・チャプリン、J・カーペンターの様に音楽まで自分でやってしまう監督もいます。S・キューブリックは映画以前は写真家でした。 映画が監督のものとされるのは、クラシック音楽に於ける指揮者の位置と似た様なものです。 脚本が立派に出来ていても、監督の才能が足らず凡作に終わることもあります。逆に、監督の才能があっても、良いスタッフに恵まれなければ、これも失敗します。最近の日本映画を見ると、昔からのスタッフが減り、大手作品が衰退し、逆にVシネマなどに新しいスタッフの成長が感じられます。 この組み合わせを考えるのがプロデューサーです。良い素材やアイデアを元に、これに合った監督やスタッフの組み合わせを考え、交渉します。また、スポンサー集めなどの金策もプロデューサーの仕事です。映画が失敗した時の金銭的な責任は全てプロデューサーが負います。 映画監督が建設現場の監督としたら、プロデューサーは建設会社の社長と言えます。その辺に監督とプロデューサーの微妙な関係があり、確執になりがちなのも事実です。 G・ルーカスの様に、監督よりもプロデューサーの面白さにはまった監督も多いですね。
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- PEPSI
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僕は一番近いのは「料理人」だと思います。 どんなにいい素材を集めても「料理人」が悪ければ話にならないし、 同じ素材でも料理人によってかなりできてくる料理は違います。 単純に「美味しい」「まずい」だけでなくね。 もうひとつ関係ない補足ですが、 どんな名監督といわれる監督でも「駄作」は撮っていますので その監督の一本だけ見て「この監督はダメ」と思いこまない方がいいですよ」
お礼
料理のイメージ、ですね。同一監督作品による名作と駄作ってたとえばどんなのがあるのかなあ。見比べてみたいです。どうもありがとうございました。
- ojiq
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確かに原作、脚本は重要だと思いますが、監督の役割というのは、土台としてある脚本をどういう視点や角度から料理するかにかかってくると思います。 脚本が全く同じかどうかは判りませんが、リメイクされている作品は数多いと思います。それらが監督が違っていても、全く同じ趣の作品になってしまうとしたら、リメイクする意味などないでしょう。中には、同じ監督によってリメイクされている映画もあります。アルフレッド・ヒチコック監督の「暗殺者の家」〔1934年〕と「知りすぎていた男」〔1956年〕などは、白黒映画とカラー映画という違いもありますが、同じとは言えませんし、市川崑監督の「ビルマの竪琴」は、1985年のカラー版より1956年の白黒版の方がずっと感動的だと思うのですが。 映画とは違いますが、1996年に、フジテレビで三谷幸喜脚本の「3番テーブルの客」というドラマを放送していました。毎回違う演出家が、同じストーリーを演出するという斬新な試みでした。10回以上放送されましたが、脚本の捕らえ方はそれぞれ随分違っていましたよ。
お礼
なるほどそういうわけでしたか。三谷幸喜脚本の「3番テーブルの客」、見てみたいです。ビデオにはなっていないでしょうね。残念…。どうもありがとうございました。
お礼
わかりやすい回答ありがとうございます。プロデューサの役割も説明していただいて、納得すること然りです。 どうもありがとうございました。