- 締切済み
争いを好まない人がなぜいると思いますか。
世の中、本能的に嫉妬、強欲など殺し合いに繋がる人の気持ちの種類がありますが、なぜ嫉妬をせず、心から譲り、人を敬い、平和を好む人がいると思いますか。
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- 1114711235
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私は争いは嫌いです。 なぜなら人間らしくないからです。 そんなのサルだってできます。 見てると頭痛がする。
嫉妬をせず、心から譲り、人を敬い、平和を好む人は そういった中には(争い事等‥)自分を見出だせないのです。
お礼
なるほど……すごい寛容な心の持ち主ですよね、そういう人は。ありがとうございました。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
極力争わないのが良いのですよ。自分も傷つかないから。 動物や昆虫とかだって、威嚇行動で争わないようにしています。でもどうしても危険だと分かったときに攻撃的な行動に出ますからね。 私も普段は穏和ですがね。 ただ、守るときには攻撃的になります。 それと攻撃するにしても、力関係もあるし、無駄な力もいるしで、自分に明確な損する物がなければ、面倒なので争いませんからね。 後は本当に苦労してきた人達は平和を愛します。争いとかそういったことで疲れています。それに、相手の立場も理解出来るなど経験とかも含めて、理解するんですよ。いわゆる悟りを開いた状態になりますから。良い事も悪い事も理解出来るように。そして全てを受け入れる力を持つんですよね。 そこに至までが大変ですが。
お礼
全てを知り、全てを受け入れ、自分の在り方を選択するその心は素晴らしいと思います。こうして見ると平和を好む人・発展を望まない人・悟りを開いた人、自分の価値観だけを見ている人、様々なイメージがありますね。ありがとうございました。
- pokoaruki
- ベストアンサー率35% (117/332)
個人差はあっても、欲や嫉妬がまったく無い人はいないと思います。 個人差の問題という前提での、個人的な考察です。 動物は、余りにも自分の欲求の赴くままに行動していると、共倒れになるリスクがあります。 そこで、そのような行動を制御するために、利他的な行動を「素晴らしい、美しい、すごい」と感じる脳の仕組みが構築されているのではないかと思います。 人間や犬のように、群で生きる戦略を選んだ動物は、特に「他者のために役立ったことをうれしく思う気持ち」が発達してるのじゃないでしょうか。 しかし、たぶん「個人的な欲求」のほうが優位に働くのであって、 その程度が個人差としてあるんだろうと思います。 生育歴にも当然左右されるだろうし、欲求をコントロールする脳の機能がうまく働くかという要因もあるようです。 「争いが好きな人」というのも、争う時のアドレナリン系の快感がクセになっているとか、 感情をコントロールする脳の機能が弱いとか、色々考えられるんじゃないかと思います。
お礼
脳の仕組みだとか、考え方だとか、その人の生きてきた過程次第で色々あるのですね。余談ですが、体の中も生き様や摂取するもこによって本当に様々な形・色が決まります。看護師を目指しているのですが、この前身をもって学びました。生き方は大事ですね。ありがとうございました。
まさか殺し合いまではいかなくてもという前提での話しなのですが争いを好まない人は発展しないイキモノなんです。 争うという問題を提起することで、技術も時代も、人の気持ちへの理解も学ばれるのです。 争いをこのまない人はある一定の水準、文化でしかありえなのです。 今の環境で満足できるから争わない。 また、争えば負けるから最初から争わないのです。 特にわかりやすいのは精神を病んだひとが己の価値観のみで生きるのは人と比べないことが一番幸せだからです。 人と比べて幸せかどうか、ではなく自分だけで自分は幸せだと思うように訓練するからです。 以上は、私の妹の精神科医から聞いた話です。
お礼
すごく納得しました。お礼が遅れてすみません。争いがあってこそ発展があるのですね。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
殺気を持つほどの争いで仮に勝利しても、後味が悪く感じる人なんかは好まないでしょうね。 手段を選ばず、人より勝る事だけに満足を感じる人はその逆だと思います。 全てが他人事で自己中、思いやりってもんが欠如しているのかもしれません。
お礼
争うということは、結局、自分の考えを押し通すということですので、ある程度自己中でなければ確かに勝って楽しいわけがないですよね。
人間嫌いというか他人とあまり 深く関わるのを善しとしない者には 争い事が生じるとこはまずありません。 嫉妬や尊敬や平和などの範疇外で 生活出来るのです。
お礼
自分の中で相手のことを解釈できれば、もっと知りたいという興味すら持つこともありませんもんね…。嫌いな相手には私もそうです。あまり関わりませんので。うまく返せませんが、よく分かりました。ありがとうございます。
無用な殺生はしたくないからでしょう。 「また、くだらぬものを斬ってしまった・・」 では、いつまで経っても、進歩できませんし。
お礼
そうですね。無駄な争い、殺し合い、無駄というのはいっときの感情に任せてということで、非常に醜いです。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
勝たなければ、自分を好きになれない人は、争いを好みます。 自分を無条件に愛していないので、自分を認めるために何か口実を必要としています。 そういう人は、負けると、自分を好きになれません。だから勝つ事に必死になります。 自分を無条件に愛している人は、 そもそも自分を認めるためにそのような口実がいらないので、そのために勝ったり何かしたりする必要がありません。 勝ち負けは深刻ではなくなります。 また、負ける人が落胆すると悲しいので、勝つ事がその人の幸せにはなりません。 その人が幸せになるには、他の人と一緒に幸せになる必要があります。それが平和的な考えになるのだと思います。 実際にはその割合は入り交じっていて、完璧にどちらかだけ、という人はまずいないでしょう。 強欲や嫉妬などは、生存本能の過剰な働きだと本で読んだことがあります。 自分の存在意義を見失い、生存の不安が高まっている状態なのでしょう。 あまりにお腹が空いていた反動で、必要以上に食べようとするような感じだと思います。 平和に生きられたらそれが一番よいとは思いますが、 強欲も嫉妬も、別にあってもよいと、個人的には思います。 人生はゲームみたいな物ですから、深刻にとらえないことが肝心です。 むしろ人生の波乱を楽しむぐらいでいられたら、笑いあり涙あり後悔もありで良いと思います。
お礼
さすがの一言につきます。
- naonosuke5
- ベストアンサー率10% (2/19)
生まれつき穏やかな環境で育てば暴力に免疫がなく、するのもされるのも嫌である。それとは違い、する事もされる事もある環境の中で育ち、結果として平和主義者になる人もいるだろう。どちらの本質も、するのもされるのも気持ちのいいものではないと思うからである。それは動物も虫も一緒。悪戯に傷つけないのが生物の基本である。(なんだこの論調)
お礼
後者は苦難を乗り越えた平和主義者ですね。悟りを開いたというか、自分であるべき姿を見つけられるというのはすごいと思います。
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お礼
なるほど!争いごとが嫌なんですね!ありがとうございました!