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クリスチャンの方に伺いたいのですが、
宗教、特にキリスト教に興味があります。キリスト教は世界では二十億人もの信者が居るそうですが、日本では全人口の一パーセントも満たしませんね。宜しければ、そのような中で敢えてクリスチャンになって、(1)良かったことと(2)悪かったことをお教え下さい。片方のみの御回答でも結構です。不躾な質問で恐縮ですが、御回答頂けると助かります。
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高校の時カトリックの洗礼を受けた、現在50代後半の男性です。 私は、父方母方両方の祖母が信仰厚く(但しキリスト教ではありませんが・・・)、子供の時から神様・仏様とか宗教というものに大変親近感を持って育ちました。 又、近親者にカトリックの信者が多く、幼稚園、小学校とカトリックのミッションスクールで学びました。そういうわけで、何の抵抗もなく自然にカトリックの洗礼を受けたいと思うようになり、本来なら一番自我が育ちあまりこのようなものに関心を持ちたがらない年頃である高校生の時、進んで洗礼を受けました。 それでは、前置きはこの位にして質問に答えます。クリスチャンになって・・・ (1)良かったこと: ・やはり、人生を送っていくうえで、かけがえのない精神的支柱・バックボーンがあるという安心感でしょうか? 時代の進展に伴って世の中の価値観や生活習慣などが変転したり、人々の心の安定感が失われるようなことがあっても、誰が何と言おうが、私は私、自分の信念と良心に従って坦々と生きていきたい。尚且つ人々とは良い関係を保っていきたい、そういう自分の心を創り、磨いていくために、信仰は大切なバックボーンになっていると思います。 ・キリスト教がもたらしている色んな文化・・・例えば西欧文明、文学や英語などの外国語、キリスト教的考え方、教会音楽、教会建築や「教会」のたたずまい、信者の皆さんとの交流・・・などとのアクセスが、非クリスチャンの皆さんに比べ、楽なような気がします。 私は、教会音楽を専門とする合唱団や聖歌隊に入っていますが、聖書やキリスト教の聖句を歌詞にしている歌が非常に多いので、すんなり入って行けますし、より楽しめます。 又、英国やフィリピンに旅行した時も、「お客さん」として接してもらうのではなく、現地の教会に行ったり、聖歌隊にも入ったりして、現地の人々と深く交わることが出来ました。 ・そして、実はこれも非常に大きい要因ですが、多くの年齢層の異なる女性と全く抵抗感なくつきあえることです。教会でも、合唱団・聖歌隊でも、どちらかというと男性より女性の人口が多いのですが、私は 男性とより女性とお話しすることが圧倒的に好き・・・「一国一城の主」たらんとし、見栄を張りたがり、目的のある話しかしない男性と会話するより、自由に目的を持たない話をしている中に多くの示唆を得ることが出来、相手を立て、相手の心に入って行こうとする女性的井戸端会議の方に、圧倒的に楽しみと安らぎと収穫を得ることが出来るような気がします。 (2)悪かったこと: ・日本人のクリスチャン比率が低い理由は、日本人は、自然や祖先たちに神の面影を感じたり、特定の宗教ではなく一般的な、超自然的存在である「神」の存在には親近感は持つものの、特定の、ましてや一神教への入信にはためらいを感じるからだと思います。私も全く同様であり、クリスチャンになったからと言っても、そのような一般的な宗派を超えた「神」を信じていることには変わりなく、キリスト教は単なる方便、アクセスの道具にしか過ぎません。寺や神社にも普通に参拝しますし、家には仏壇も置き、毎朝晩手を合わせます。坐禅にも通ったこともあります。 幸い、カトリックはその点融通無碍な所もありますが、これがプロテスタントだと、結構「原理主義」的傾向があり、「聖書」が唯一のよりどころ、神以外のものを少しでも崇拝しようとするものなら、全て「偶像崇拝」として退け、ましてや他宗教の聖像などに頭を下げるのはとんでもない、という空気が読み取れます。たとえ地獄に落ちようと、私は他宗教と融和しない宗教には近づきたくありません。でもそのような人間がとかく多いのがキリスト教です。又、偽善者や変にプライドがある人も中にはいると思います。
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- Paulus0412
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約2年半ほど前の27歳のとき、カトリックの洗礼を受けたものです。 他の方が書かれていることにもとても共感しています。 私なりのご意見をお書きします。 (1)良かったことと ・生きていることへの感謝する気持ちが強くなりました。 ・聖書が示す教え、つまり神を愛し、隣人を自分のように愛することを通じて、物事への偏見や差別が以前に比べ、少なくなったように思います。ほんの少しですが謙虚さを身に着けたように思います。 ・教会のコミュニティで老若男女、さまざまな方と心を通じた交流ができる。 ・様々な宗教に対して、より理解が深まりました。よく「日本人はクリスマスを祝い、大晦日にはお寺、正月には神社に行って宗教的に寛容」っていうような話をよく聞きますが、宗教的な背景を理解したうえで、そのように振る舞う人は少ないと思います。私もそうでした。ただ、クリスチャンになった後のほうが、宗教的な背景を理解した上で、それぞれの立場、考えを尊重しあえるようになったと思います。 (2)悪かったこと ・正直な話、ひとつもないです。 以上になります。
お礼
なるほど、心の在り方が変わり、感謝の気持ちや謙虚さを以前にも増して感じるのようになったのですね。確かにクリスチャンというとそのような気持ちが強い人というイメージがあります。 教会では確かに色々な人とお付き合いできそうですね。やはり同じ地域の方が多いのでしょうか。 キリスト教に対する理解ばかりでなく、様々な宗教に対する理解が深まったというのは、少し意外な気がしました。自分の宗派ばかりに目を向けず色々な宗教を見て知っていくことは、とても大事なことだと思います。私も勉強していきたいです。 悪かったことがないというのは素晴らしいですね。 ご回答、ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
- cxe28284
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クリスチャンのはしくれです。 聖書の教えは非常に現実的な示唆に富んでいます。 私が「主の祈り」を覚えたのは子供の頃でした。 天にましますわれらの父よ願わくば御名をあがめさせ給え、 み国を来らせたまえ、御心が天になる如く地にもなさせたまえ と壮大な願いをのべ、その間にちゃんとわれらの日ごとの糧を与えたまえ 飢えたりすることがないように、と足元をみて、いのります。 われらを試みに合わせず悪より救いだしたまえと人間の弱さを告白しています。 これがイエス様が教えてくださった祈りです。 イエス様は「汝思いを尽くし心を尽くし精神を尽くし汝の主なる神を愛せよ 汝の隣人を愛せよ」すべての教えはそれに集約されると弟子たちに教えられました。 私達はイエス様の十字架の犠牲によって、 購われたものという考え方は少し難しいかもしれませんが、 私達の信仰をイエス様が命懸けで守ってくださっている。 とおもっています。神様を信じると云う事は自分へのとらわれ 自我からの解放です。心の平安を得ます。 どんな人でもその存在は神がつくられ神が愛しておられるた尊い命だと思います。 私達の先達が守り伝えてきた信仰を私達も伝えていけたら幸せです。 哲学のカテで質問されますと、現役の牧師さんが もっとよい回答をくださいます。私は一度も後悔したことはありません。
お礼
「自我からの解放」「心の平安」という言葉に感銘を受けました。確かにそれらは信仰より他に手に入れる術がないものかも知れませんね。現代では、心の平安を顧みる時間は余りに少ないように感じます。私達は何にそんなに時間を費やしているのでしょうか。後悔は全くないとの言葉にも頼もしさを感じました。 このまま回答が集まらなかったら、ご助言通りに哲学のカテゴリーに移させて貰おうと思います。 ありがとうございました。
お礼
「精神的支柱・バックボーンがあるという安心感」は、信仰から遠い生活では得難いものでしょうね。確かにクリスチャンの方とお話しさせて頂くと、そのような安定感を覚えます。 キリスト教がもたらした文化にアクセスしやいというのは、西洋文化に興味があるので羨ましい限りです。 女性と付き合いやすいと言うのは面白い意見です。逆に女性も男性と話しやすくなるのでしょうか。 他の宗教から距離を置かなくていいと言うのも、日本では重要な観点ですね。これはプロテスタントでは事情が違うのでしょうか。だとすれば、残念です。 中には「偽善者や変にプライドがある人」と呼ばざるを得ない人が居るのも、残念とはいえ自然なことなのでしょうね。そういう人とどう付き合っていくかは難しそうですが。 とても参考になりました。ありがとうございます。