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愛情の無い日本の現実。
Q1 ボランティア、義援金、放射能除染、デモ、など。あなたが何故、もう一歩を踏み出さないのか。 理由を教えて下さい。 Q2 また、日本政府の体質を変えるにはどうしたら良いでしょうか? (1)対政府へのテロにも匹敵する犯罪すれすれの報復。 (2)大勢のデモ、各署名など。 (3)救世主的政治家を待つ。 (4)それ以外(簡単に説明して下さい。) 率直なご意見お待ちしております。
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アンカテではありますが、せっかく充実したレスポンスをいただいたので、再度、投稿します。 個人差はあって当然です。ただ、各県の知人たちやメディアを見ていて、東日本大震災の被災6件のあいだで、そうした温度差があると感じたことは、私はありません。 それに「一生懸命コツコツ」やるのは理想ではありますが、それは義務ではないと思うんですよね。特に、人それぞれ“許容範囲”が違うと思うんです。 例えば私は瓦礫撤去には行きません。頑張れば行けるのですが、そうすると日常生活にさしつかえるほど体力を失うと思っているからです。代わりに、お金や物資や観光や情報交換などで貢献しています。 同様に、お金や物資や観光や情報交換する余力もない人もいると思うんです。肉体的や経済的な事情がある人がいるのはもちろんのこと、精神的に向き合えなくて、しかもそれを認めたくない人は山ほどいます。 それはそれでいいと私は思うんです。その人たちが無理をすれば、社会の相対的な幸せ度が下がり、代わりに、頑張っている人たちがますます頑張らねばならない羽目になるので。 そして、そういう人たちが、「自分達が口にする放射能食品の事しか頭に無い」のは、むしろありがたいことです。自分の健康管理をしてくれているのですから。一方で、もしもその人たちが、必要以上に放射能に対して不安になっているのなら、私は自分がストックしている公式の情報源を並べて、不安を取り除いてあげる努力をします。それが私のしている「ボランティア」の一環でもあります。 前回の回答で書いた「森ばかり見ずに木を見る」とは、まさしくそういうことです。社会(森)の最小単位は自分(1本の木)です。自分が幸せにならないことには、他者を幸せにはできません。自分が安定して初めて、家族やご近所や友達や知り合い(周囲の木)を幸せにできます。ひとりひとりがそうしていけば、やがて社会全体が豊かになります。でもまず大切なのは自分です。 「派遣切り、国の借金、年金問題」は一夜にして「解決」するものではありません。まずはタイの洪水被害を緩和することに貢献して、貿易や生産が滞りなく進むようにしなければなりませんし、オキュパイ・ウォール街をただのお祭りにとどめずに、金融業界に向けた具体的な提言をそろそろ打ち出す必要もあります。その裾野が広がれば、日本の経済も安定します。 今日は外出先で、タイへの募金箱を初めて見かけました。オキュパイ運動への具体的な提言は、ローリングストーンマガジン(原語版)に出ていました。大卒就職内定率は、ほんの少しではありますが回復しました。つまり、「解決」はしていませんが、「何も変わらない」わけではないのです。変わっています。 なんであれ、大きな失意を感じた時は疲れている証拠です。少し、ご自分を幸せにすることに集中してみるのも悪くないかもしれません。
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- ucok
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Q1 ボランティアは、時間、金銭、体力の面で、これ以上はできないからです。それなりにやっているつもりです。大きなこともやりますが、毎日少しずつ、できることをしています。 義援金は、経済的にこれ以上はできないからです。継続的に投じています。大きな額も投じますが、財布を手にしている時に趣旨が見合う募金箱があれば、最低でも1円は入れると決めています。 放射能除染は、時間、金銭、体力の面で、これ以上はできないからです。これ以上やるには重機が必要ですが、働きかけた結果、導入できていません。 デモに関しては、話せば長いのですが、自分の場合はデモよりも署名運動のほうが貢献できると考えているからです。 Q2 消去法で(4)ということになるのでしょうか。まず、一筋縄では決していかないと思います。したがって、まずは、日々、身近な人たちと世間話や討論の場を通じて意見を交わし合いつつ、実行力のある立場の人たちに意見を送り、投書もするところから始めるといいと思います。 それと、あまりにも多くの人が、政治と日常生活を切り離して考えているように思います。例えば、町内会活動をするために議員に口をきいてもらって隣町よりも有利な立場を得ることと、官僚の天下りは、事実上、質が同じです。その決定が下される場で黙っているのも問題ですが、そもそも決定を下される場に参加しようとしない私も問題です。また、政府に文句を言いながら、自分にできることは何もしようとしない人も多いです。月並みですが、一人一人が“森ばかり見ずに木を見る”ことも大事だと思います。
お礼
ucokさんのご意見に共感します。 ですが、個人的にいくつか思っている事があります。 県名は控えますが、一番痛みが分かっているはずのその人達は、まるで他人事。 義援金やボランティアより、自分達が口にする放射能食品の事しか頭に無い。 同じ被災地の人でも、温度差がかなりある現実。 簡単に言うと、行動している人は一生懸命コツコツやっている。 しかし、その逆の人が "もっとたくさんいる"という現実。 過去の様々な日本の社会問題は、何か1つでも解決したのでしょうか? 派遣切り、国の借金、年金問題、その他、 震災、放射能も同じようにフェードアウトして行くのではないでしょうか? 今のままでは何も変わらない様な気がします。 貴重なご意見ありがとうございました。
Q1:愛情とは別問題です。「やりたい気持ち」と 「出来る事」はイコールではありません。 Q2:(3)救世主的政治家を待つ。 消極的ですが、今はそれしかありません。
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。
- k-841
- ベストアンサー率27% (129/465)
いたって真面目に回答します。あなたと価値観が相当違うかもしれませんが、決して腹を立てないでください。 >Q1 >ボランティア、義援金、放射能除染、デモ、など。あなたが何故、もう一歩を踏み出さないのか。 >理由を教えて下さい。 これらの行為を以て愛情とは思わないからです。 男子用便器にはもう一歩踏み出しています。これは愛情ある行為だと信じています。 >Q2 >また、日本政府の体質を変えるにはどうしたら良いでしょうか? (3)救世主的政治家を待つ。 nairatinamuhさん、こういった問題提起をされるあなたのような人を待っています。
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。
お礼
>温度差があると感じたことは、私はありません。 残念ながら、わたしは多々経験しております。 >人それぞれ“許容範囲”が違うと思うんです。 すでに何かを行動している人はそれで良いと思います。 問題なのはそれ以外の人たちの認識の甘さ、自己中心的な思考。 >自分が幸せにならないことには、他者を幸せにはできません。 幸せの定義は人それぞれの主観によりますが、 わたしが尊敬している方は、自分の資産、体、人生を犠牲にしていて 他人から見ても、決して幸せには見えません。 幸せでない人が他人を幸せにする事もあるのではないでしょうか。 >「何も変わらない」わけではないのです。変わっています。 その変わっている速度の何倍もの速さで別の事実も進んでいます。 上記は反論ではなく、違った視点、事実があると言いたいだけです。 何故わたしがここまで言うのか、簡単に付け加えておきます。 具体的に何をしたかは記載できませんが、震災以降、企業、支援団体、県、都、地域、メディア、その他 業界の壁を越えて様々な人とコンタクトをとってきました。 が、自分自身が期待していた物とは程遠く、ある意味絶望感さえ持つようになりました。 人は醜い我欲と、美しい良心が対になった生き物だと思います。 今は自己の欲を飲み込み、人間の美しい部分をもっと表現する時ではないのでしょうか。 おそらく今後、規模は小さくなると思いますが自分に出来る事は続けて行こうと思います。 ありがとうございました。