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犬を亡くしたあとの心のもちかた、出来ること。
- 犬を亡くしたあとの心のもちかた、出来ることをまとめました。犬が14歳9ヶ月で亡くなり、病気で薬を飲んでいたが突然亡くなった。蘇生術をしてもらったが助けられなかった。
- 犬を亡くしたあと、もっともっとしてあげるべきことを考える。愛が足りなかったと思う。高齢になってからの介護に思いやりが足りなかった。お金をかけたがまだ足りないと感じている。
- 犬を亡くした後の気持ちについて。遺骨が目の前にあり、メモリアルグッズを見ても自己満足に思える。高い葬式をしても心は晴れない。家族にはまだまだ足りないと言われるが、もう一頭の犬にかかりきりだったのがつらい。犬を亡くした人はどのように乗り越えているのか。涙が出てきているが、遺骨に話しかけることもできず、ありがとうと言いたいのにできない。
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質問者が選んだベストアンサー
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お気持ち、お察しします。 『虹の橋』という詩をご存知ですか? 結構有名な作者不詳の詩で、検索すれば沢山ヒットします。 私はこれを読んでほんの少しですが気持ちが楽になりました。 時間はかかると思います。 天使になった愛犬にできることは質問者自身がきちんと前を向いて歩いて行くことではないでしょうか。 もうひとりの愛犬と素敵な犬ライフを過ごして下さい。
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- konanah
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私は今まで3頭の犬を亡くしました。 初めの犬ナナは14歳、 娘のコナツは16歳、 娘の姫奈は5歳です。 私は姫奈をとても愛していました。 私は犬の仕事をしていて、 毎週末showに出かけます。 姫奈はもぅ、これ以上ない成績をもらっていたので 家に、母に託して私は出かけました。 私が出かけるとき、 姫奈は今までなかったくらい「ワン!ワン!! って鳴いていました。 私は「うるさい!!」「ノー!!」って言って出かけたんです。 帰りに電話があり、姫奈が危ないと・・・ 急いで帰りましたが、家に着いたときにはもう・・・ 信頼出来る獣医さん3件回りましたが、原因不明・・・ 最低でしょ・・・ あなたは出来るだけのことをしてあげた。 いくら思っても後悔するばかりです。 楽しかった思い出を思い出して、精一杯生きてくれたことに 感謝できたらいいですね。 もちろん私も同じ。。3年経ってもまだダメですが・・・ 今でも思い出して書いていると泣けてきます。 最愛の犬の死は時間では解決しません。 気持ちを変えないと・・・ と、私は思います。。
お礼
3年経っても泣けてくるのにご回答を頂き、ありがとうございます。 今は最後のことよりも、飼いはじめたころや、若いときのあの子を思い出しています。 突然の死は飼い主が参りますね。 心の準備が出来ていませんから。 回答者様はぜんぜん、最低じゃありません。 私のほうがだめだめです。 皆さんにお礼を書いていてもやっぱり涙がでます。 今日も天気の良い空をみて、あの子が一目散に天国に駆け上がっていくのが目に見えるようでした。 良い思い出、楽しい思い出を胸に生きていきたいと思います。 ご回答ありがとうございました。
その犬は、質問者さんがお世話してくれなかったら多分9歳くらいで亡くなってたと思います。 犬なんて、7歳超えればいつ病気になっても死んでもおかしくないです。ただでさえ短い命なのだから、その尊い時間をいっしょに過ごすのです。一所懸命可愛がるんですよ。 15年って長いと思いますよ。小型犬だとしても。病気を患っていながら、よく頑張ったと思います。そしてそれは質問者さんが一所懸命お世話したからです。いつもいつも病院に連れて行くのは大変だと思います。 その犬ちゃんは、お世話してくれる質問者さんに対して、頑張る姿勢を見せようとして、病気をして5年間くらい?頑張ったのです。うちの2番目に飼った犬は、病気を患ってから半年ほどで死んでしまいました(癌)。8歳でしたが最後まで頑張っていました。いつも人間を喜ばそうと無理してました。 質問者さんがたとえ「もう!」とおしっこをもらしたのを怒ってしまっても、それでも犬はお世話してくれる質問者さんが大好きで、いつも頼りにしていたんです。仔犬のうちに本当のお父さん犬やお母さん犬や兄弟たちから切り離され、一人見知らぬ家にやってきました。その家の人達が唯一頼れる家族なのです。できれば元気な姿を見せたい!って犬も思ってたんですよ。 特に、犬というものは病気にかかると莫大な治療費がかさみ、さらに世話をするのがとても大変です。後悔してしまうのは仕方ないです。でも、質問者さんがいくら後悔しても、犬はお世話してくれた人や家族を絶対に恨みません。最後まで忠誠を尽くそうとするのです。 高い葬式して満足してもそれまでです。死んでしまった犬をyoutubeに動画投稿するようなものです。 それよりも犬といっしょにいられる今という時間が尊いものだということです。 残された犬をたくさん可愛がりましょう。今の犬を可愛がることで乗り越えられると思います。 私は、いつも犬たちが明日死んでるかもしれないと思って犬と過ごしています。今飼ってる犬たちも実は疾患があって、病院通いをしているのですが犬も大人しく診察されて頑張っていますよ。大量繁殖とかで生まれてきた犬は奇形とか体が弱いこともあって、ただでさえ10年前後しか生きないのにかわいそうです。 犬の写真を飾って、毎日その前に水をあげましょう。日課にしましょう。 1年過ぎれば少しは落ち着くでしょう。 犬は後悔なんてしませんよ。いつも前向きです。痛いところがあっても泣かないです。 質問者さんも犬のように前向きに楽しく生きましょう!
お礼
ご回答ありがとうございます。 10歳で癌の手術を2度しました。 食品アレルギーなどもあり、できる限りの手を尽くしたとは思うのにまだまだダメです。10歳から4年と9ヶ月頑張ってくれたのにってわかっていますが、心がついていきません。 亡くなる3日前は元気なのにベットの上でおもらしをして総洗濯でした。 もう!自分の寝床でおしっこして!と怒ってしまったこと。 病院があと1時間早く着いていたら、行く決心が早ければと悔やんでしまいます。 ご回答にあるように2ヶ月でうちに来た子なのでほんとうにべったり子でした。 分離不安です。 だから家族でこの15年旅行をしませんでした。 そのくらい困った子なのに家に縛られる理由が無くなるとどうしようもなく寂しいです。おっしゃるように写真を飾ります。 今日、プリントをしてきました。 私自身は無神論者ですが、供養の気持ちをもって水をあげます。 利尿剤を飲んでいたので毎朝水をがぶがぶでしたから。 ご回答ありがとうございました。
- makaay5
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我が家の愛犬も病気でなくなりました。最後は臓器に水がたまり、水をあたえる事が出来なくなりました。犬からすれば何かの罰を受けているような気持ちになるでしょうし、えさ場の水をいれる皿の前で1日中座っていたのを強く覚えています。「もう駄目かもしれない・・・」というときに、家族は最後まで諦めずに看病してやることが最大の努力で最大の愛情表現と考えていましたが、回答者は「最後に信用し愛した人間に裏切られてしまうような気持ちで死なせるよりも・・・」と思っていたので、犬が亡くなったときに「あいつは人間に裏切られた気持ちで死んでいったのか・・・」と後悔したのを覚えています。答えは出ていませんし、強く自分の意見を主張すべきだったのか?とも思います。 ただ、もし犬が回復する未来であったならば、自分の行為は「苦しむ愛犬をみたくない・・・」というエゴにしかすぎなかったわけで、未来を見通す事ができない人間は、その時の判断でベストとおもえる努力をしてあげればいいのかな?とおもえるようにはなってきました。なくなってから11年もたつのに忘れられてないのは、その時の判断と行動に悔いがあるからですが、どういう行動や決断をしたとしても後悔は残るでしょうね。2者択一とか正解があるものではないですからね 回答者も犬の死後に、病気でもらした糞尿を「汚いなぁ・・・」と思ってしまった自分をすごく冷酷に思ったり、後悔した時期もあります。ただ、それは仕方の無いことだと思います。「そろそろやばいかも・・・」と思っていても、明日死ぬとは思っていません。平穏な時の中にふと犬のことをわすれてしまったりする瞬間があるのも人間ですから当然でしょうね。むしろ、愛犬を強くおもっていたからこそ、そのささいな感情や行動が後悔の念となって浮かんでくるのだと思います。普通といったらなんですが、多くの人はそういう事さえも忘れていくものだと思います。悲しみの記憶を持ち続けるのは苦しいですから 犬を失った喪失や悲しみ・自分の行動やささいな感情に後悔の念があるのは、それだけ犬に与えていた愛情がおおきかったからなわけで、自分の小さな過失や感情を責めなくてもいいと回答者は思います。我が家の犬は我が家に来るべき運命であったわけで質問者様の犬も質問者様の家に来るべき運命だった。普段は運命論者ではありませんが。犬が愛情を受けてきたかどうかは残されたものに残る喪失や悲しみで充分に犬に伝わるでしょう。「ありがとう」といってあげていいと思います。回答者は毎日は思いませんが、犬の話がでると思い出してしまいますし、忘れ無いことを供養としています
お礼
ご会見をありがとうございます。 私も回答者様と似た気持ちになりました。 具合が悪いのは知っていました。 2度の大手術、癌を乗り越えて、悪いながらも食欲があり、おしっこもよくでて、亡くなる前日も病院へいき、すごい悪いわけじゃないですからね、と言われて帰ってきたばかりでした。 悪い状態でもよくて、まだまだ生きるとなんの根拠もなく思っていました。 これから冬を迎え、正月なって新年になって、15歳の誕生日がきて、と。 そんなふうに漠然とおもっていたのに、こんなに急激に悪くなるなんて思いもしませんでした。 高齢になり目も耳も聞かなくなり、痴呆も入って凶暴になった子にきつく叱るときもあり後悔してもやみません。 悪い状態でも、いつもの悪さかなとなぜあと1時間早く病院に行かなかったのかそんなことばかりを考えてしまいます。 忘れ無いことを供養・・・ほんとうにそうですね。 供養もいろんな形があるものですね。 ありがとう、って言ってみます。 ご回答、ありがとうございました。
- HOPinDEER
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こんばんは。 ワンちゃんが逝かれる時見届けてあげれましたか? 怒られた時もある、ですがワンちゃんにはちゃんと判っていましたよ。 自分が死んでも、この人は自分を忘れない。 あなたを毎日見ていて触れ合っているうちにそう確信していると思います。 言葉を持たないワンちゃんですが、心が触れ合えていると実感していたはずですよ。 犬とはそういう人間に対しての本能があります。 ワンちゃんがきっと言っています、 「ありがとう」 「これからも愛していてね」 死んで逝った犬たちを忘れてはいません。 今も満月の中に、 草の香りの中に、 眩しい太陽に、 碧い星空に、 この部屋に、 あの場所に、 この物に、 思い出して傍にいます。 魂と魂が繋がっていたと実感できる犬たち。 私はその犬のそばにいますし、 犬たちも私のそばにいます。 生きた思いと死んだ思いがあり、 生きた思いは必ず通じていると信じられます。 お骨にワンちゃんは居ません、 あなたのそばにいますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 最後はいつ亡くなったのかわかりません。 病院についれていったときは、すでに心肺停止でした。 お答えいただいたように青い空をみていても天国に駆け上っていったあの子の姿が見えるようでした。 遺骨にはあの子はいないのですね。 ほんと私の心の中にいます。 乗り越えるまでにはまだ時間が必要ですがご回答を頂きうれしく思います。 本当にありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 虹の橋、とても慰められました。 私が悲しんでいてばかりではダメですよね。 無神論者ですが、この話に胸が詰まりました。 また会える日を、まちたいと思いました。 あの子を悲しませてはいけないと、私が悲しみに囚われてもいけないとも思いました。 素敵な詩をありがとうございます。 もう一頭も不仲だったのに下痢をして落ち込んでいます。 きっと亡くなってしまったことがわかるんでしょうね。 生きているこの子を大事にすることを躊躇していました。 亡くなったあの子にとって裏切り行為に見えてしまうのではないかと。 だけど生きている子を不幸にしちゃだめですよね。 私も前を向いて生きたいと思います。 本当にありがとうございました。
補足
皆さんへ。 ご回答を頂いてとても嬉しかったです。 皆さんも乗り越えてきたことなんだと、本当に思いました。 どれもBAでした。 1つしか選べないので知らなかった詩を教えてくださったNo.5様をBAにさせていただきましたが、皆さんの回答すべてに勇気付けられました。 本当にどうもありがとうございました。