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1970年代のキーボードの普及はどのくらい

http://okwave.jp/qa/q7063529.html の続きの質問になります。 1970年代のメインフレーム、オフコン、ミニコンを含めてキーボード(特にQWERTY)の普及率はどのくらいのものだったんでしょうか。

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  • foomufoomu
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回答No.3

前の質問(リンク先)を見ているうちに、テープ、カードなどの紙媒体をつかうことについて、なにか勘違いがあるような気がしてきたので、追加説明します。 大型のコンピュータは小さなビルが建つぐらいの値段だったので、一人で独占して使うことは考えられませんでした。 で、複数の人が使う場合、その方法は2通りあって、 1.本体に複数のコンソールを接続する。 2.利用者は、あらかじめ紙媒体にデータを記録しておいて、コンピュータは、それを次々と読み込んで処理する。紙媒体は、いまの(少し前の)フロッピーディスクのような感覚でとらえてください。 1.の場合、マルチユーザOSが必要であり、入出力インターフェースも、それなりのものが必要になります。 2.の場合、シングルユーザ、シングルタスクという、MS-DOSと同じような構成でよいので、ぐっとシンプルなシステムになります。 1.のスタイルも、けっして珍しいものではありませんでしたが(ミニコンでもそういうシステムがありました)、2.のスタイルのほうがずっと多かったと思います。(コンピュータ自体珍しいものなので、そう何台も見たわけではないのですが) 1970年代に、入力として紙媒体が多く利用されたのは、そういう理由によります。キーボードが高価とか珍しいとかいう事は、まったくありません。 あと、フロッピーディスクのように、保存目的で紙媒体を使うことも、たいへん多かったです。一番安価に手軽に使える媒体でしたから。

51440769
質問者

お礼

米ソの宇宙開発競争時代、アメリカは無重力でも使えるボールペンを開発しソ連は鉛筆を使っていたそうです。例えればそういう関係ということでしょうか。 紙媒体はコストパフォーマンスがよいので使われ続けられたということですね。 回答ありがとうございました。

51440769
質問者

補足

>キーボードが高価とか珍しいとかいう事は、まったくありません。 とのことですので >マルチユーザOSが必要であり、入出力インターフェースも、それなりのものが必要になります この部分でコストが高く手間もかかると解釈してよろしいでしょうか。 紙媒体は便利で安価だから広く使われていたということですね。

その他の回答 (4)

  • foomufoomu
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回答No.5

>無重力ボールペンと鉛筆の話は事実と聞いておりましたが、 私はウソじゃないかと思っています。カーボンの粉が飛び散る鉛筆を、無重力の宇宙船内で使うことのリスクが心配です。 >わざわざ高価なものを開発して使うよりも、安価な >枯れた技術を使う方が現実的という意味で引き合 ボールペンの笑い話は、ソビエト人は開発の手間をかけない怠け者、あるいは前記のリスクを気にかけない無頓着、という意味が含まれていると思います。この場合はボールペンを開発するほうが正しい態度だと思います。 で、紙カードの話にもどりますと、わざわざ新しい技術を開発する必要が、その時点では、ありませんでした。コンピュータのメインメモリが数十KBしかない時代なので、普通のコンピュータユーザーは紙カードの記憶量で足りる作業しか行わなかったのです。 コンピュータの主な用途が高速な計算で、データベース的な用途がなかったのも、データ量が少ない理由の一つです。 また、それ以前に、紙以外にも保存や持ち運びが簡単な記憶媒体がある、という発想が生まれてこなかったと思います。そういう状況でした。(いま、あなたは、フロッピー、光ディスク、フラッシュメモリーとはまったく違う、40年後には主流となる、記憶媒体のイメージを考えられますか?) それから、前に書いた、一般ユーザーは紙媒体からコンピュータ入力するのが普通だった理由(マルチユーザOSシステムは少ない)は理解されましたか?

51440769
質問者

お礼

(1)マルチユーザOSシステムが少ない (2)コンピュータの性能が低かったので新しい技術を開発する必要が、その時点ではない が、紙媒体の使用が一般的であった理由なのですね。 たびたびの回答ありがとうございます。

  • foomufoomu
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回答No.4

>米ソの宇宙開発競争時代、アメリカは無重力でも使えるボールペンを開発し >ソ連は鉛筆を使っていたそうです。例えればそういう関係ということでしょうか。 その笑い話は知っていますが、ぜんぜん違うと思います。 >紙媒体はコストパフォーマンスがよいので使われ続けられたということですね。 よいと言うより、他にまともなコストで使える媒体がなかったから、使われたのです。 昔、携帯できる筆記具というと、1本20円のえんぴつと、1本1万円の万年筆しかありませんでした。 そのとき、一般庶民はどちらを使うか、ということです。 歴史的な事実を考えるとき、今の感覚を持ち込んでも、勘違いを起こすだけです。今あるものとの比較はやめましょう。

51440769
質問者

お礼

ウイキによると 8インチフロッピーディスク 1970年、IBMのエンジニアアラン・F・シュガート率いるチームによって8インチのものが開発された。容量はわずかに128キロバイトであった。当時はパンチカードの代わりに大型コンピュータへのデータ入力用メディアとして利用され、初期の8ビットや16ビットパソコン用としても1980年代後半まで使われていた。 とありましたが、当時のフロッピーディスクやそれに対応するシステムはとても高価なものだったんでしょうね。

51440769
質問者

補足

無重力ボールペンと鉛筆の話は事実と聞いておりましたが、それに60年代の話ですし。 わざわざ高価なものを開発して使うよりも、安価な枯れた技術を使う方が現実的という意味で引き合いに出したのですが。 私が入社した頃(80年代はじめ)は保存媒体としてデカイフロピィーやカセットテープを使っておりまして、紙テープや紙カードの実物を見たことがないのでいまいちピンとこないのかも知れません。

  • foomufoomu
  • ベストアンサー率36% (1018/2761)
回答No.2

1970年というと、わりあい最近のことですね。私は1971年にはコンピュータを使い始めていました。 当時は大型機またはミニコンしかありませんでしたが、(米国にはすでにいまのパソコンに近い構成のものがあったようですが)QWERTY形のキーボードの付いていないマシンはお目にかかったことが無いです。このころの機械の形は今のものとあまり変わりません。 http://japan.zdnet.com/datacenter/analysis/20097762/ http://museum.ipsj.or.jp/computer/mini/0009.html ただし、CRTディスプレイの付いていない(紙タイプライタで代用)ものも多かったです。 大型機も、ミニコンも、本体+コンソール+補助記憶(ハードディスクなど)という構成で、本体とコンソール(キーボードとディスプレイのセット)とは別の機械になり、本体だけでも付属の16進スイッチである程度は動くのですが、1文字を打ち込むのにスイッチを4回(旧データのクリア、十六進2回、Enter)も押すのでは作業がなかなか進みませんから、コンソールが付いているのは当たり前でした。 大型機の場合、複数の人が利用するのがあたりまえだったのですが、本体から直接複数のコンソールにつながっている場合と、利用者はあらかじめ紙テープ、紙カードに穴を開けてデータを記録し(QWERTY形キーボードから入力します)、本体は紙媒体からデータを読み取る場合がありましたが、後者でもオペレータのために1台はコンソールがつながっていました。

51440769
質問者

お礼

なるほど、機械の形は今のものとあまり変わらなかったのですね。 60年代は私は小学生でコンピューターはマンガやアニメの世界のシロモノで現実感がなかったのですが、70年代の中高大学時代は既に同じ学区の商業高校には情報処理科があり(もっとも早く設置されたグループのようですが)、工業高校の電子科ではコンピューター関係の授業があり、理系の学部(私は文系)ではコンピューター操作を習っていると聞くなど、いっきにコンピューターを現実感をもって感じ始めた時期でして、その当時のコンピューター事情に興味をもったしだいです。 >利用者はあらかじめ紙テープ、紙カードに穴を開けてデータを記録 おそらく、このことが理系の友人の言っていた「入力するために紙テープに穴を開ける練習をした」ということなのでしょうね。この話が頭に残っていたので70年代は末期以外は今のようなキーボードはなかったのではないかとずっと頭に引っかかっていました。 回答ありがとうございました。

  • yana1945
  • ベストアンサー率28% (742/2600)
回答No.1

いわゆる昔のコンピュータは、 汎用機(メインフレーム)のコンソールほぼ100% QWERTY IBMを国産メーカがリプレースしても、メーカ独自は受け入れてもらえない。              但し、マルチジョブ用に大型機では、コンソールが複数台接続                      小型機/中型機=100%              大型機=110%              超大型機=250%(1システム平均 2.5台) オフコン(初期)     コンピュータの正面パネルで操作型(超小型/小型機に多い) オフコン         中型以上はコンソール 1台(ほぼQWERTY) ミニコン         小型は本体正面パネルから操作              キーボードを別に接続=出荷台数の20~30%位                    (自分が勤務した企業しか判らず)                         ミニコンは、技術者利用でタイプライタに慣れていた。 

51440769
質問者

お礼

でっかい汎用機(メインフレーム)でもQWERTY配列のキーボードだったのですね。 70年代では既にQWERTY配列のキーボードは一般的なものだったわけですね。 オフコンでは機能(使用目的)に特化したQWERTYではない独特の操作パネルのマシンを80年代以降にも見たことがあります。 回答ありがとうございますた。