• ベストアンサー

結婚てなんでしょうね?

どうでもいい質問ですが。 標題の通りなのですが、結婚っていうのは愛し合った結果の1.「自然な形」のようでもあるし、そうではなくて極めて2.「社会的」なものでもあるようだし、とっても3.「理にかなってる」ようで又ひょっとすると4.「反生物学的」なようでもあります。 1.は、やはりほぼ世界的に又歴史的に同じ形態がとられているしね。でも、結婚生活と色恋ってのは関係はないですよね。実は。だって結婚生活(共同生活)に色恋は必要ない。収入と役割分担で成立する。ひょっとすると恋愛は結婚するちょっとしたきっかけ程度のものなのかとも思う。恋愛をわれわれは勝手に大げさにしているが。2.社会的というのは親や世間から結婚してるしてないという事が人となりにかなり重視される。「そろそろしなきゃな」「いきおくれる」などの概念が残念ながら成立してしまう。3.この制度のおかげである種の整理が行われている。善悪が発生し、争いのひとつの解決がはっきりとしている。4.逆に動物に結婚という制度はない。結婚は反本能的。 で、そんな中でわれわれには結婚について「する」「しない」という選択肢「だけ」がある(もちろん離婚する選択肢もあるが、かなり絶望的)。 おっと、忘れてた子孫繁栄。やはり色恋か? 結婚てなんでしょうかね?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mayuusa
  • ベストアンサー率18% (108/579)
回答No.6

ヒトは妊娠期間が短く子育て期間が長いので、子孫が一人前になるまで、周りが守ってやる必要があります。ヒトは脳が発達しているため、弊害かも知れませんが、「アイデンティティ」が確率されないと生きてゆけません。なので、確率されるまでは、自分の直接のルーツ(産みの両親)を良く見ることが出来る環境があることが望ましい。 そういうわけで、社会が自然に結婚制度を採用し続けているのではないでしょうか。 結婚前なら、どちらか一方が「別れたい」と思った瞬間に別れは成立しなければなりません。つきまとっても時間の無駄。ストーカーとなりさがるだけ。 ですが結婚後は、どちらか一方が思うだけでは別れは許可されません。すごい違いです。 また、色恋について言うと、相手との関係性で、先生でもそうですが、同じことを好きなひとに言われると、希望を持って努力したくなる。嫌いなひとに言われると、正論としか受け取れなくて反発したくなったりする。だから、やはり色恋のない結婚生活は辛かろうと思います。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど-。とってもわかり易いです。動物には2種類あるんですよね。シマウマとかは生まれて直ぐ立つ。形も親のミニチュアな状態で産まれてくる。自分でおっぱい飲みにくる。人間や猿は「無能」状態で産まれてきます。人間は本能ではなく「親を見て学ぶ(学習)」ということですかね?なるほど。 次の話も"超”納得です。結婚は「一方的別れたい」が成立するかしないかかあ。わかり易い。確かに凄い違いです。これって考えてみれば当然なのですが、わすれてないか。 色恋もなるほどそうですね。ただ、恋愛感情なくても普通の「好き・尊敬」ではいけないのかな?これに関しては色恋ある方が腹たつ事って多い気もします。まあでも好きなら「しゃあないな」となるかな?

その他の回答 (5)

  • tama187
  • ベストアンサー率13% (3/23)
回答No.5

>僕も「契約」という言葉がいちばんしっくりくる と思います。会社の契約とかなり似てます。 私は結婚を決め同居し始めた当初、あまりにも家庭内の陣取り合戦が激しく(経済分担、家事分担から家の中に置く机の大きさまで)、結婚って会社の契約に似ているなあと思いました。そんなものと割り切っていたのですが、そんなぎすぎすした生活の果てにはお互いに普通の人間関係上最低限の思いやりのかけらもなくなり、(結婚前にもかかわらず)檻の中の敵同士というような関係になって、結局婚約解消をしてしまいました。 「騙しあい」のできるうちはまだ、お互いを傷つけないようにという情はあるのだと思います。 希望を持って結婚を決めたものの、その後「生活を楽にする為の契約」と考える結果になりましたが、結局はそれだけでは破綻すると分かりました。今は「運命共同体としての情」が最低ラインだと思っています。それがなくなった結婚は実質的には破綻していて単に書類上のものと考えます。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 僕は最近のモットーは「遊びは真剣に」「仕事は適当に」「家庭は”超”適当に」でございます。これは結構理にかなっていると思っています。これは「逆説」であります。遊びこそ真剣にやるつもりで挑まないとダラダラになるので常に「真剣」を意識してちょうどよい。仕事は本来真剣にやるべきだが、あまり自己意思に忠実にこだわるとチームワークが乱れる。仕事はバランスが大事。家庭はこれは真剣にやりだすともう誰も収拾できなくなる。何しろ家庭には第三者がいないのでうまくいかなくなると際限なく坂を転がり落ちる。但し例外は子供だ。子供は仮想第三者になりえる。子供すらも陣取り合戦の対象になったら終わるのだろう。ところで私は子供はまだいませんが、一旦際限なくころがり落ちた経験をもっています。なぜか奇跡的に首の皮一枚でつながり、其の後「際限なくいいかげん」に暮らしてとても楽しくやっています。いいかげんというのは権利の完全放棄ですね。結局結婚は契約以外のなにものでもないと気付いた瞬間にその契約という問題に触れてはならないものである。そういうジレンマが結婚=契約である。色恋というある種「なんじゃそら」というオブラートでつつまれているというメカニズムはあたかも意図されたかのように「納得」の状態なのです。契約を意識した瞬間契約は破綻へ向かうのです。結婚の最大の敵は「希望」なのですねえ。うまくやろうとするからうまくいかなくなる。しかしとはいえ破綻はかならずしも不幸とはいえない。なぜなら破綻すれば又新たな色恋にはしることができるからである。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.4

結婚には少なくとも2通りの意味があると思います。 1.広義の「結婚」 →2人の人が1対1で寄り添うこと  (だから、結婚式を挙げなくても、この世のカップルというものは全て「結婚」状態) 2.狭義の「結婚」 →結婚相手の人と1対1で寄り添って生活していくことを周囲の人や社会に知らしめて認知してもらうこと。  ・・・法律上の「婚姻」(内縁を含む) 重婚が法令で禁止されているのは、人間の倫理のひとつである「人類みな平等」から来ているのでしょうね。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有り難うございます。なるほど。シンプルですね。 僕もこの二つが思いっきり思想として違うのに、同じ「結婚」としてひと括りにされているというところに「疑問」と同時に「納得」とも思います。疑問は当然、「色恋」と「皿あらう」のはどう考えてもいっしょじゃないだろう、で、納得は「結婚」という人生のパートナーを選ぶにあたり、色恋という「思い込み」というええかげんなもんを利用するのが一番「楽」なのかもしれないという意味で変に「納得」したりもできます。

  • Ulu_lun
  • ベストアンサー率26% (269/1019)
回答No.3

結婚は、契約です。 では何故そのようなシステムが存在するかは議論のわかれるところですが、ムラのように小さなコミュニティの中で複数の男女と性的交渉を行いますと、当然のように誰の子かわからなくなる結果としての近親相姦的な要素を廃絶する、もしくは女性、家族を財産として保有するという事であるのかもしれません。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。僕も「契約」という言葉がいちばんしっくりくると思います。会社の契約とかなり似てます。 つまり、最終的に破棄もありえるが、一応「法的に約束」されているという状態。目的は「安心」ですよね。「自由主義」に反する意味での「安心主義」。 近親相姦はこれまた特殊例ですが、これは本能的にも抑制があるらしいですよね。普通欲情しないようになってる。 ムラと現代社会は共通なのでしょうか。 歴史を遡れば信頼たる回答が得られるかもしれないですね。ただ、先程「鳥類」の例が出たけれどより人間に近い「猿」が一夫多妻制だったりするのでよく分からなくなります。まあ、歴史も要素だけど、「現代にマッチしているか?」が気になりますね、どっちかっていうと。 それと、結婚=出産ていうのも現代では「コンドーム」の出現で必ずしも一致しなくなっているわけですしね。

  • koya55
  • ベストアンサー率36% (70/192)
回答No.2

昔社会行動学にかぶれていた者です。 直接回答、ではないのですが、生物学的な見地から、 ご意見出させていただきます。 動物も、一夫一婦で「結婚」するケース、あるのですよ。 自分の遺伝子を継いだ子を残すためのコストが多くかかる 場合は、1組のオスとメスが、強固な「つがい」を形成し て両方で面倒を見る、というケースが結構あります。 鳥類に多いですね。鳩とか代表です。 哺乳動物の場合には、メスが妊娠、授乳という時間+体力 のコストを担って、オスは種だけだからあちこちばら撒く 方が有利、という戦略が大多数なのですが。 ヒトの場合は子供がひとりだちするためのコストが大きく 増えてきて(離乳しても終わらないでしょ)、男親を巻き こまないと成り立たなくなってきて、社会的に「結婚」と いう「つがい制度」が定着したんだと思っております。 何でわざわざ制度化するのか、というと、男親たちが他人 の子のためにコストをかけずに済ますためには、社会的に 「こいつは俺の子だ」と安心できる仕組みが必要だった のではないかなぁと想像しております。 以上、全く個人的な意見でした。 ちなみに、「つがい制度」の裏でこっそりつまみ食いして 自分の子だけ残して逃げてしまう輩がいるのは、ヒトの世 界も鳥の世界も変わらないようです…。 これも戦略の一つのようですね。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 こういうのは勉強になります。 つまり「反生物学的」というのは間違いなんですね。人間が浮気するのはこれで正当化できなくなった(笑)。 ところで、鳥類のつがいはどのように一夫一妻制が成立しているのでしょうか。浮気はできないようになっている?。こっそりはあるとの事ですが、基本的に制度化されている抑制要因ってなんなんですか?そうプログラミングされている?。 動物って本能的の一言で終わらせがちですけど、実は結構社会的側面もあるんですよね。ある種の猿なんて、メスが「出世しそう」なオスを選んで若いうちに色目をつかうらしい。すごいです。

回答No.1

過激に言わせていただきます。 恋愛と結婚はキツネとタヌキのだましあい 結婚して数年後にはお互い「だました、だまされた」と言い合っているのでしょうね。 質問の答えになっていないかもしれませんが、自分が思っている結婚とはこうだと思っています。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 過激ですね(笑)。 言葉のとりようですが、当然そういう側面はある。僕も楽しく「だましあい」してます(たぶん?)。 むしろ、「うそだけはつかないで」なーんて言ってるうちはまだまだだななんて思います(笑)。 苦し紛れの嘘と、楽しいだましあいは違うというかね。うそでもいいから毎日「愛してる」なんて言うのもいいんじゃないでしょうか。実際は思ってなくても。 まあ、選んだのは自分だから「だまされた」ってのはイコール「選球眼のなさ」であります。あるいは相手が一枚上手?いずれにせよ「自分が悪い」「自分の負け」ですね。