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執念深い心を持つ人間が

これは執念深い期間の長さではなく 時折心にあらわれる 執念深い心が恐ろしく深い心の人間が 信仰を続けると 良い点悪い点 なにがあげられますでしょうか。 わたくし自身の執念深さに少々弱り質問させて頂きました。 故意に様々経験させられた為 そんな心も仕方ないんですけどね。

みんなの回答

noname#159516
noname#159516
回答No.3

執念に体を乗っ取られる事。 敵討ちを良しとする時代もありましたが、自己犠牲をしいて気を晴らして、その間しなかった事、執念にとらわれなかったら出来た事を計りにかけて、どちらが自分の為になるか、世界の為になるか、考えて。

minaotehon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 しなかった→できる状態でなかった 執念にとらわれた→奇しくも執念深くなる出来事を与えられた故意に 虐めの図式になりますが 1と多勢の人間 外野からは1が憎しみを持つ相手は多勢の中の数名だと判断してしまいます しかし1の心内は誠に複雑であり 様々な経験から根元を探し憎んでいます 文章に限らず その捉え方次第では変化いたしませんか。 執念深くなる様な真似をしたとこは どこかに尽きるのではないでしょうか。 結果心理云々など何の意味も成さないということになります。 つらい少数のため は世界のためになりませんか。 あくまで普通感覚で んな大それた考えありませんが それたお礼コメントでしたら失礼致しました。 ご回答ありがとうございました。

minaotehon
質問者

補足

失礼致しました補足です。 1の経験からコメントさせて頂きました。 心の移り変わりや人によりけりではございましょうが。 ご回答ありがとうございました。

  • EFA15EL
  • ベストアンサー率37% (2657/7006)
回答No.2

信仰という言葉からして、宗教の話になるかと思いますが、 仏教的な世界では執念はマイナスでしかないでしょう。 克服する材料があるってのは良い点とよべるやもしれませんがね。

minaotehon
質問者

お礼

とても参考になります。 先輩のとある発言が強く心にございます。 彼女に信じさせる持たせると大変な事になるから充分考えなくてはと云われたそうです。 この事は何年もしてから始めて聞かされました。 これは何を意味するのか悩み考えました。 思い当たるのは悪意に対する時折出る執念深さだけであります。 お仏壇前に座り願うのは楽しいことしあわせなことばかりながら 心は正直な時間は否応なくあります。 この先輩の言葉の記憶と様々は非常に悩む点でもあります。 ご回答ありがとうございました。

  • w_letter
  • ベストアンサー率13% (199/1496)
回答No.1

おはようございます。 信仰とは、自分の心の中で行うものであり、他者によって強制されるものではない。ということを前提にすれば、 良い点:執念深い心が現れる頻度を低下させ、自身の心を落ち着かせる方向に信心を進められ、その結果、心穏やかな生活が得られるのではないかと、思料します。 悪い点:他者からのアドバイスを、受け入れる心の余裕を持つことで、執念深い心が悪だというすりこみを受け付け、自分自身を否定し、それが大きくなると精神を崩壊させるという危険性があると、思料します。 信仰するにあたり、まず自分という個人をしっかりともち、 そして、信仰において、自分にとって必要なものを取り入れ、不必要なものをむやみに取り入れないことが大切なのではないでしょうか。 なお、信仰心が、他者によって強制されるようなものであれば、良い点はありません。 一時的に、良いと思えても、その先には、必ず今よりも悪くなる結果が待っています。 宗教に対する信仰心が希薄な、オチャラケなウソツキオジサン。の宗教観です。

minaotehon
質問者

お礼

参考になりました。 試され強制され図られる これはお仏壇前に座る座らない時なども含め事実様々経験致しました。 もはや小さな範囲の戯言に心は終わってはる感覚でございます。 何にしても安易に決めるのは宜しくないと実感致します。 ご回答ありがとうございました。