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御朱印をいただく際の写経について
- 御朱印を集める旅行趣味に加えて、仏閣でも御朱印を集めたいと考えているが、お寺では般若心経の納経が必要であることが多く、写経してから御朱印をいただくのが良いとの情報が多い。
- 参拝時に般若心経を読経すると4〜5分かかり、時間に余裕がある時に写経してから御朱印をいただきたい。
- 写経には毛筆が一般的であるが、筆ペンや硬筆で写すことはマナー違反になるのか悩んでいるが、気持ちがこもった写経であれば問題はないのではないかと友人から言われた。
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写経は写経用紙なるものが市販されていますし、ネットからダウンロードもできます。 うっすら字が印刷されていて、なぞり書きするタイプと、薄紙の下に敷く下敷きタイプがあります。 どちらも筆ペンで充分です。 100均にも置いてあるのを見たことがあります。 とりあえず、100均で筆ペンと写経用紙を買ってみればいかがでしょう。 投資は200円です、惜しくはないでしょう。 一般的に、写経を納経されているのを見ると、ほとんどがなぞり書きのタイプです。 私も趣味でご朱印を戴いています。 最初は神社ばかりでしたが、あるきっかけで寺院も戴くようになりました。 寺院の場合はご朱印帳のことを納経帳と言うがごとく、本来はあなたのおっしゃるように、経を納めてその証として戴くものであると思います。 ただ、時間的な余裕のない場合にはそれは簡略化されてもよいと思いますし、寺院側もそう思われているようです。 私の場合は、頭を下げて合掌し、念仏を唱え、ご挨拶するだけです。 これから、寺院を回られると言うことで、アドバイスを。 大きな寺院では、ご朱印が複数ある場合があります。 目的によって選ぶとか(例えば観音巡拝とか)、全部戴く(お金かかるけど)とか、代表的なものを戴くとか、決めておいたほうがいいと思います。 また、目的によって戴く場所が異なっている場合もあるので、確かめたほうが良いでしょう。 寺院によってはサンプルがある場合もありますし、そうでない場合もあります。 それから、宗派によってはご朱印がない場合があります、例えば浄土真宗系は原則としてありません。 相対的に寺院のご朱印は墨書きも立派で見ごたえのあるものが多いです。 スタンプラリーとは違うと思いますが、趣味で集めるために戴くことは決して悪いことではないと考えます。 http://www.hanshi.jp/ http://www.osakakyouzai.com/shakyou2.htm http://matome.naver.jp/odai/2128374338790059101 http://www.chofukuji.or.jp/bbs/syakyo_down.htm http://myozenji.jp/download/index.htm
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- k-josui
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仏閣へ納経はしていませんが・・・・・ いや写経自体しておりませんが参考までに。 両親が朱印帳に朱印を集めております。 「スタンプラリー感覚」と書いていらっしゃいますが、それほどでなくても「参拝の記念に朱印を頂いてくる」という感覚でいいのではないでしょうか? 何年も経過してから開いてみると、あそこへ行った時は暑かっただの、ここの朱印は文字が素晴らしいだのと、当時の事を思い出すようで、いいものだと思いますよ。 両親はお経も上げる事はありませんし、写経など更々しません。 寺院でも、ぶっちゃけた話収入源です。お経を上げなければ駄目とも言いません。 「参拝した記念として朱印を頂いてくる」 これでもいいのではないでしょうか。
補足
早速の回答ありがとうございます。今日は暑いですね…。 >参拝記念でいただくというスタンスでいいのでは そうですね。あまり生真面目に堅苦しく考えることはないのかもしれません。 ただ、写経に関しては、余裕のある時間を使ってやろうというのがありますので、精神集中と硬筆書道の現状維持(パソコンのキーボードばかり叩いていると文字は忘れるし直筆の文字も汚くなるしですから)という観点も、ないわけではありません。 ……で、特定の宗教・宗派を信仰しているというわけでもないので、仏教の基礎になった般若心経で、字の練習も兼ねようという狙いもあります。 ただ、やはりお経ですからそのままゴミ箱を経て可燃・生ゴミと一緒に捨てるというのは罰当たりな気もして、それであれば、寺院仏閣の御朱印をいただく際に、奉納して焚いていただくなどすれば、罰当たりな行為でもありませんし無駄にもなりませんし。 で、問題といえば、和紙に毛筆が暗黙の了解になっている写経・納経で、洋紙で硬筆という写経(それも純粋に写経だけが目的ではなく、字の練習や精神修養が目的の)が非常識・マナー違反かどうかという点での質問でした。 言葉が足りなかったと反省しています。 でも、重く考える必要がないというのはごもっともな意見かなとも思います。 御朱印のために迫られて写経するとかになったらそれはそれで本末転倒ですし、少しカジュアルになってみたいと思います。(なんでも形式主義で物事を始めてしまうというのは、自覚はしているんですが、私の悪い癖のひとつでもありまして…) ありがとうございました。
補足
詳しくありがとうございます。 リンクの中の曹洞宗近畿教区センターのえんぴつ写経の紹介ページを見て、「あ、硬筆による写経も決して糾弾されるほどだめなものではないんですね」という感想というか自身を持ちました。 写経用紙やなぞり書きの用紙をプリンターで印刷できるというのも、和紙でなければならないわけではないという根拠かなと。 ただ、最近は手書き風のゴムスタンプなどで代用できるとはいえ、ご祝儀袋や結婚式の芳名帳など墨書きが主流なTPOも多いことですし、筆ペンで毛筆の練習も兼ねて、暇な時間に写経する習慣をつけてみようと思います。 また、寺社仏閣の場合は御朱印にも種類があるということで参考になりました。これはたとえば観音様を廻るときはその御朱印とか、そういう感じなんだと解釈しました。今は、たとえばお四国八十八カ所だとか西国三十三カ所だとか、目的を特に定めているわけではないので、その寺社仏閣の代表のような御朱印(そういう性格のものもあるかなと勝手に想像しているのですが)を考えていますが、いずれ何らかの方向性が決まったら、そういう性質の御朱印をいただくなど、分岐していくかもしれません。 必ずしも納経する必要はないけれど、普段に練習で書き溜めて、旅行の際にはハードカバーのクリアファイルなどに入れて、納経できるところでは納経し、できない(足りなくなるなど)ときは通常通り合掌して、御朱印のあるところではいただいて廻る、というスタンスでやっていこうと思います。 ありがとうございました。