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川崎といえば?
あなたの川崎に対するイメージ、 もしあればエピソードなどを おきかせくださいな☆
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1988年10月19日 全国の目は【川崎】に集まりました。 プロ野球公式戦、ロッテー近鉄のダブルヘッダー。 近鉄は、このダブルヘッダーに連勝すれば優勝という 大事な試合でした。 一方、ロッテは近鉄戦、8連敗中で、 なんとか一矢報いたい試合。 意地と意地のぶつかり合いの試合でした。 引き分けも許されない近鉄は、 第一試合、常にリードを許す展開。 8回に村上のタイムリーで同点に追いつくも、 「ダブルヘッダー第1試合は延長戦なし。9回で試合打ち切り」 という規定があったため、 近鉄はこの9回表に勝ち越さなければなりませんでした。 9回ツーアウト二塁。 近鉄、万事休すと思われた、その時、 すでに引退を表明している、代打・梨田(現・日ハム監督)の決勝タイムリーで勝ち越し。 その裏のロッテの攻撃もエース阿波野で乗り切り、 ドラマは第二試合へと繋いだのです。 そして迎えた、ダブルヘッダーの第二試合、 8回にブライアントのソロホームランで勝ち越し! 誰もが近鉄の優勝を確信していました。 そして8回から阿波野を投入する必勝リレー。 しかし、首位打者・高沢にソロホームランを浴び同点。 9回裏、阿波野の2塁への牽制球をめぐり、 ロッテ有藤監督が9分間に及ぶ猛抗議。 第二試合も3時間30分を過ぎて新しいイニングには入らないという規定があり、 結果的に有藤監督の抗議は、 近鉄から11回表の攻撃を奪い取る形になってしまいました。 そして10回表の近鉄の攻撃も無得点。 この時点で近鉄の優勝は消滅しました。 優勝が消えた、空しい10回裏の近鉄の守備。 しかし、誰一人スタンドを立つ人はいませんでした。 私も「せめて引き分けで・・・」とテレビに噛り付いて近鉄を応援してました。 涙と感動に包まれた1988年10月19日の川崎球場! 今でも思い出すたびに、涙があふれてきます。
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- cucumber-y
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Z2からZX-10Rに至るまで時代時代に憧れの名車を多く出していますね。 いつかは一度所有してみたいとは昔から思っているのですが、国産4メーカーの中でカワサキのバイクだけ持ったことありません。 「硬派のKAWASAKI」のイメージが強いので、軽佻浮薄と自覚がある私は無意識下に避けているのかも。(笑)
- kei811
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行ったことないんでエピソードは無いけど、イメージは 川崎フロンターレ ラゾーナ川崎 ですね。 特にラゾーナ川崎はしょっちゅう歌手やCD出すタレントが発売記念イベントしてて芸能ニュースで取り上げられているからイメージが強い。
「川崎」と聞くとやはり、(天体戦士サンレッド)を想い浮かべます。 あんなアニメ[良い意味で]初めてだし、強烈な印象がありましたから!
- santana-3
- ベストアンサー率27% (3891/13901)
川崎を言えば「風俗」か。 なかでもソープは「泡踊り」発祥の地と言う事なので。 でも私は「川崎大師」の方をイメージします。 親が大師に行って「くずもち」をお土産に買ってきてくれた事は、今でも楽しい記憶の一つです。
HONDA、YAMAHAも思い浮かびます。
奥さんがコワい川崎麻世。