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映画「AKIRA」
今、映画チャンネルNECOというもので、 映画「AKIRA」をやっていたので、見ていました。 見たのはこれで5回目ぐらいですが、 何度も見ても何が言いたいのかよくわからない…。 特に最後のほう…。 ご覧になった方、 すでに解釈された方はいますか? 教えて下さい。<(_ _)>
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んーー・・・私もLD版と原作を持ってはいるの ですが(酔汗) 老いた実験体(ナンバーズ)達の台詞で 「バクテリア(←ただ生きる&増殖する事のみに準ずる生命体)が もし神の様な"力だけ"を持ってしまったら・・・」 ・・・が有ったと思いますが。 借金持ちの両親に捨てられ&孤児院でも虐められて育った鉄雄が、 他者との関わりを否定し、人間らしい自意識を持つ事もなくただ「生きたい」 という執着と欲望のままに生き続け・・・ 事故と薬物依存の結果、たまたま人間には制御出来ない力を持って しまった為に多くのものを犠牲にするも・・・ 唯一、自分を好いてくれていた女性をも自らの暴走の所為で 殺めてしまった事でやっとこ人間らしさを見出した。 ・・・という一人の人間の目覚めを描くと共に かつて神話において「光あれ、と思った(望んだ)神」という自意識 (・・・おそらく、全てを失った闇の中で自分を見出した存在)が目覚めた事、 その思いが宇宙を今の形にしたという作者さんなりの考えを表現したのでは ないかと。
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- tarksreno
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何が言いたいか、ということはとても難しいので一言で表すと 「一は全、全は一」 ということだと思います。(ハガレン参照) 哲学なので掘り下げるとそれだけ深くなりますね。 おれもアキラは何回も見ました。大人になって見た方が納得できますね。小中学生の時には 漠然と「鉄雄の能力すげー」で終わってましたしw ちなみにマンガだともっと詳しくストーリーがあるのでぜひぜひ読んでみてください
お礼
どうもありがとうございます。<(_ _)> お礼が遅くなり申し訳ございません。 >大人になって見た方が納得できますね。 なるほど。 >「一は全、全は一」 私は漫画に疎い(うとい)者なので 「ハガレン」というのも何だかわかりませんでしたが、 「鋼の錬金術師(第12話)」なのですね。 AKIRAと「鋼の錬金術師」とは 何か関係があるのでしょうか? >ちなみにマンガだともっと詳しくストーリーがあるのでぜひぜひ読んでみてください そうですね。原作と映画がかなり違うという話はよく聞くので、 いちど読んでみたいと思います。
鉄雄は最後には消えそうに小さくなったが、その極小の鉄雄が新たな宇宙の素になった、という感じのようです 「火の鳥」にもコスモゾーンだったかどうか素粒子のを拡大したら、その中にまた宇宙がありその宇宙の素粒子一粒づつがまた・・・・という無限入れ子のような世界観らしいですが・・・・・ (情緒的には、馴染みやすい観念なのでしょう) 消滅したかに見えた鉄雄は実際には新たな宇宙の創造者になった、ようでタイトルにもあるアキラは作品世界の「この宇宙の外側の宇宙」で、「この宇宙(劇中の)」を創りあげた何者かの名前にちなんでいる? (そのアキラが劇中での地球のある宇宙を生成した事情も、何がしかのトラブルの果てなのか?) 何者かがその生涯の終わりに、新たな宇宙(その宇宙の人間にとっては極小サイズ)に変じ、その宇宙の中の人間(でなくても強大な超能力の持ち主)がロシアの人形マトリョーシカのように「宇宙の中の宇宙」になるというのがAKIRAの世界観なのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。<(_ _)> えーと…。(^_^;) ご回答を、3回ぐらい読み直したのですが、 ちょっとよくわからない…。(^_^;) 難しいです…。
- mimazoku_2
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私は、LD、BDソフトを持っています。 【私の解釈】 AKIRAは実験中に「超・能力」を身につけた。 けど、その、「超・能力」は、実は「超・エネルギー体」であった。 その「超・エネルギー体」のメカニズムを解明、制御するために、臓器単位での標本化をされてしまった。 しかし、それから数十年後、その「超・エネルギー体」を目覚めさせようとした連中がいた。 そこへテツオが、運び込まれ、強制的に「実験体」として、利用された。 テツオ(実験体)は、順調に「超・エネルギー体」に近づきつつあったが、急速な成長と、悪しき思考が幸いし、巨大な、「未完成 超・エネルギー体」となってしまった。 AKIRAと友達であった、老少年達は、AKIRAを呼び起こし、制御不能になったテツオを連れて行ってもらおうとした。 作戦は、成功しつつあったが、カネダの行動が老少年達をAKIRAに吸い込まれることになる。 AKIRAは、「超・エネルギー体」になったテツオを飲み込み、AKIRAのエネルギーが大きく解放された空間が急速に収縮し、エネルギーの均衡が取れたとき、小さな小さな見えない点になり、消滅した。 この能力は、人間が誰でも持っている潜在能力であり、解放できる。 しかし、そのエネルギーの解放手段を、知らないだけである。 とまあ、大分はしょりましたが、大筋において、読めるかな?と考えています。
お礼
大変ご丁寧に、感謝致します。<(_ _)> >この能力は、人間が誰でも持っている潜在能力であり、解放できる。 しかし、そのエネルギーの解放手段を、知らないだけである。 なるほど。。 これはちょっと【ネタバレ注意】になってしまうのですが、 最後のセリフが「僕は…鉄雄。」で、 鉄雄が目にしているような白と黒のよくわからない映像が出てきますね。 なんか、自分も巨大化した鉄雄になったような 錯覚を覚えました。 「超・エネルギー体」をコントロールできなかったのが鉄雄で、 コントロールできたのがAKIRA…? AKIRAも「コントロールできた」というわけではないのか…。 最後、キヨコとマサルの会話で、 「いつかは私たちにも」 「もう始まっているからね」 とありましたが、 原発事故のことを示唆しているなら、 すごいと思いました。
お礼
どうもありがとうございます。<(_ _)> お礼が遅くなり申し訳ございません。 >借金持ちの両親に捨てられ&孤児院でも虐められて育った鉄雄 >事故と薬物依存の結果 こういうのは映画の中にありましたっけ… 原作だけの話なのかな? 私がAKIRAを観た感想は、 (映画だけですが) (鉄雄の)劣等感、コンプレックス。 そしてそれを、どう自己コントロールするか? ということなのかな? と思ったのですが >かつて神話において「光あれ、と思った(望んだ)神」という自意識(・・・おそらく、全てを失った闇の中で自分を見出した存在)が目覚めた事、その思いが宇宙を今の形にした 「自分を認める」ということですかねぇ…。 何やらエヴァに通じるとこも ありそうですね。 ありがとうございました。<(_ _)>