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頑張ろう日本というのは国家主義に結びつくので・・・
PHOTOの部分が頑張ろう日本となってしまっていますね。 被災した東北の人たちを応援したいという気持ちなのでしょうが、 それなら、東北の人たちを応援しよう、でいいのではないでしょうか。 頑張ろう日本だと、変に愛国心を煽り、それが国家主義と結びついて しまう危険性があるように思います。 頑張ろう日本というキャッチフレーズは、不適切なのでは?と思うの ですが、そういう危険性はありませんか?
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質問者が選んだベストアンサー
すぐに国家主義や全体主義になるかどうかは判断できませんが,そういう可能性はあるかもしれません。 「がんばろう〇〇」という言葉は,共同体意識を湧きあがらせるフレーズなのです。「〇〇」の部分の範疇に所属する人がまるごと「~しよう」というフレーズによってまとめられてしまう。「がんばろう3年B組」だったら,3年B組が「一丸」となって運動会とかに向かって頑張るフレーズになり。「がんばろう神戸」だったら,神戸の人が一丸となって復興に向かうフレーズになります。 ただ,その「〇〇」の範疇が大きければ大きいほど,そこに入れる人々が大きくなります。直接被害を受けた人も受けていない人も,「一丸」とならなければいけないような気になってしまいます。すでに「直接被害を受けた地域」の人に完全に共感をして,心情が一体化している人たちにとってみれば,実に気持ちのいい言葉です。マスコミやウェブのおかげで,心情が一体化しやすい条件は結構揃っていますしね。 でも,反対に,被災者・地域に共感をしてはいるけれど,自分たちの生活もあるし,仕事もあるし,正直そこまで完全な「一体」にはなれないのが実情だと思います。そういうとき,「がんばろう日本」という言葉は,否が応でも「ひとつ」にならなければならないことを強要されるフレーズに聞こえてしまうのだと思います。 日本の中にもいろいろな人がおり,それぞれがそれぞれの生活を持っていて,事情を持っている。日本人じゃない人もたくさん住んでいる。なのに,「がんばろう日本」という言葉はそういう事情を無視して,全体で「日本復興物語」を創りあげていくことを強要されてしまう。 心情が一体化している人にとってみれば気持ちのいい言葉なのかもしれませんが,そうではない人たちもたくさんいることが見失われる。「全体主義」というと,なにか戦前の帝国のようなものを浮かべてしまい,言葉がきつく聞こえてしまう人もいるのかもしれません。でも,「ひとつ」になることを強制される気持ちになる人にとっては,ある意味全体主義だと思います。 あ,私は,違和感を感じる1人です。
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質問者さんは頑張らないの? 被災者の方々が働いたりできない分、我々普通に活動できる余裕があるものはそのカバーをすべきじゃないの? そういう意味で日本人全員頑張らないといけない事態だと思いますが?
あるはずもない。 あなたの様な神経の細い人には影響があるのかも。
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お礼
やはり違和感を感じますよね。 私はとても危険だと思ってます。