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障害者と家族
自分は、気分障害とてんかんを持ってます。札幌に居たときは、治りかけてました。石川県に来て1ヶ月です。親父の障害者に対する態度に病気は、悪化しました。 家族は、障害者にどう対応したらいいですか? 親父、生保やめたから障害者じゃないといいます。 精神的辛さを分かってくれません。 兄は、自己中で、障害者を理解していない。先生にドライに付き合えと言われました。 死にたいです。居なくなりたいです。 仕事は親父といつも一緒です。 よろしくお願いいたします
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こんにちは。レス、有難う御座います。 駄目な人間でもいいじゃない。私だって同じ。他の回答者だってそう。完璧な優れた人間なんて存在しないんだから。 「一生の間に、一人の人間でも幸福にすることができれば、自分の幸福なのだ。」 これは川端康成の一人の幸福の中の一文なのですが、完治しなくても退院したいうことは良い方向に向けたからで、そのお礼コメントで「良かった、生きていてくれた。」と幸福感を私に与えてくれたじゃないですか。 入退院を繰り返している人も多くいるけど、その都度回復していけばいいだけ。大丈夫 ! 駄目人間だから、こうして助け合って与え合って生きていこう。
- tomban
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>この世から居なくなれば刃は帰ってこないですか? うーん、死んでしまうということは「無」でしかないんです…本人にとってはね。 でも、残された人は結局「なんで?、どうして?」って迷い続けて生きていくことになるじゃない?。 君が「どんな気持ちで選択したとしても」まわりにはそれは理解できないんだよ。 本人にしか、本人の気持ちはわからない。 それは理解できるだろうか?。 生きてこそ関係の改善はありえる。 現に入院することで「動き」はあったじゃない?。 いまのまま、そのままっていうのは、生きている限り無いんだよ。 必ず変わっていく…途中で投げてしまわない限りはね。 きっとどこかで「お互いが納得できる地点」というのはあるんだ。 ただ、それには嫌でも関係を切らない…少し距離を離れても、互いを無視しないということが条件になる。 お兄さんも早々逃げてはいられないはずなんだ…ただ、少し距離をとったほうが、かえってつきあいやすくなる、っていうのはあるんだよ?。 その辺はわかるとおもうけど…だからあまり責めないで。 なぜ生きている?という答えは「生き抜かないと」出ないと思うよ。
お礼
コメントありがとうございます。自分は、初めから親父の隣で住むのは、嫌でしたがお金のくめんなどしてもらったので何も言えませんでした。今から又引っ越しは、ちょっと辛いです。札幌に居た頃は、親父からそんな連絡もありませんでした。どうしていいか分かりません。辛いです。
明けましておめでとう御座います。お礼なんて気にしなくていいんですよ。それよりも、今年はピョンピョンと一歩ずつ、慎重に確実に良くなるようにして下さい。その方が私が喜びます。(笑) 話しても聞く耳を持たなかったお兄様が、入院したことで聞く耳を持って下さって良かったですね。人間は常に流動的な生き物だから、お父様も何かのきっかけで変わることがあるはず。今の立場が逆転することもあるでしょう。お父様だって、何時事故に遭うか病気になるかは未知数なんだから。 仕事を覚えて悪いことはない。病気でもできる自分を認めてあげて、自分の自信にして積み重ねていきましょう。仕事をしながらでも治療は受けられるし、お兄様という理解者もできたのですから。 お父様が大嫌いでも構わない。他で嫌いな他人と働くよりは苦ではないはず。他人の中で、辛い思いを抱えて働く人からすれば、血縁というだけで首にならないんだから「大嫌い」と言えるのは強みですよ。 仮に死んだり居なくなったりすれば、それこそ偏見ばかりで無理解なお父様が正しいことになってしまう。死んでからも居なくなってからも、それ見たことかと思い続けられるなんて損ですよ。お父様を知っている自分だから、過剰な期待をせずに「ドライ」に、例えば「この人は他人の父親だから」と思って接するとかね。 軽いようですが、生きて今年を迎えたんだから、せめて今年は生きて過ごしましょうよね。
お礼
コメントありがとうございます。自分は、ドライになれないけど、入退院を繰り返しながらやっていきます。駄目な人間だから
悪化したのは御家族の無理解だけが原因とは思えないのですが。治りかけているのを良い事に石川県にまで引っ越したこと、通院先や主治医が変わったことなども原因になっていると思われます。 特に気分障害は、治療中で完治の方向にある時に環境が変わるのは後退させるだのですよ。後戻りしたところからやり直しなのです。それを理解していますか ? お父様の言い分はある意味正しくて、お互いに無理解があるのだから生活保護を受けて、札幌で治療中心の生活をしていれば悪化しなかったと思われます。仕事を一緒にしているのですから、障害によって仕事ができないのではなく、きちんと仕事ができているから障害者と思えないのでしょう。だから精神的辛さがあるなどとは思い及ばないのです。 お兄様は自己中だから理解していないと決め付けていますが、自己中性格でも障害を持っている人もいれば、障害者ボランティアをしている人もいます。 自分から、きちんと病気の事や状況を話して理解してもらうことをしましたか ? 病気治療をしていることを知っているから、ああしてくれるはずこうしてもらえるはずと、それこそ自己中に考えていたのではないのですか。 それらは、医師のドライに付き合えというアドバイスからも分かります。家族だから、障害がある自分には特別な対応があって当然なのに、障害者ではなく自分の子供、自分の兄弟として扱われることが精神的に苦痛ということは、家族に対して重荷にしかならないのですよ。 家族が障害者にどうたいおうしたらいいかではなく、障害者が家族とどう関わっていくかという質問が本当なのでは。死にたい気持ちは自分が作っていることに気付いて、親子、兄弟として、ドライに付き合えることを目標に治療に専念しましょう。自分の気分に合わせてもらえないから辛いと思うのは一つの症状。障害者の息子、障害者の弟という偏見が先にあるのではないことが感謝できるようになってほしいものです。
お礼
遅くなってすいません。入院していたのでメール見れませんでした。コメントありがとうございます。 兄は、何回も障害については、話しました。入院して少し話しを聞いてくれるようなりました。父は、変わらないです。確かに札幌から石川県に来るのもヤバいと思い札幌の先生に石川県で自殺とか居なくなればと書き手紙を出しました。引っ越しが差し迫っていたので先生の胸におさめとくと言われました。 自分は、治療を重点にしたかったですが、親父は、仕事覚えろと言われました。死にたいとをおもい入院しました。 親父とは、母親は離婚していて自分は、親父が嫌いですけど仕方なかったです。居ない方がいいかな
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
同じ立場に立ってみないと、病気というのはわからないものですよね。 しかし、それは病気でなくても、実は同じことなんですよ。 人間は自分と同じ場所に二人は立てないんです。 それは親子兄弟でも同じこと。 障害の有無も関係なく、人は同じ場所には立つことは出来ないのです。 ですから、人はいつかは自立していかなければいけません。 同じ場所に二人が立てない以上、自分が立ち上がって場所を堅持して行くしかないのです。 それが、自分が生きていくという「流れ」なのです。 先生が言う「ドライ」というのも似たようなものですが、互いがどんな形であれ…それが愛情ではなくて憎しみであったにせよ…縛り付き合って生きていくことは出来ないのです。 相手に対して理解してくれと懇願したり、理解しろ、と横暴な態度に出たとしても、それは意味がないことですし、生きていくうえではマイナスにしかなりません。 それよりも自分が生きていくことに対し、能動的になれる手段や人を見つけ出すことのほうが先ですよ。 人は同じ場所には立てませんが、隣の敷地に立つことは可能です。 隣にいてくれるような人を探すことが、あなたが生きていくうえでの「命題」になると私は思います。 他者に向けた怒りの矛先は、必ず自分に返ってくるものです。 相手に切りつける刃は、必ず両刃であるということを、忘れないようにしてください。
お礼
遅くなってすいません。入院しましたのでメール見れませんでした。コメントありがとうございます。兄は、入院した事で話しを聞いてくれるようなりました。父は、変わらないです。 怒りたくありません。いつも我慢しています。父と母は離婚していて自分は、親父が嫌いです。 この世から居なくなれば刃は帰ってこないですか?
お礼
コメントありがとうございます。嬉しいです。自分は、存在価値あるかわかりませんがそう言って頂くと嬉しいです。ありがとうございます。