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映画「十三人の刺客」参勤交代行列の装備について
映画「十三人の刺客」の内容に関する質問です。 以下、ネタバレがありますので映画を見ていない人は読まない方が良いかも知れません。 合戦シーンの前半、主人公達が敵の参勤交代の行列を大きな柵で閉じ込め、弓矢で一方的に攻撃しますが、敵達が一切、弓矢や銃で反撃して来ないのがとても不自然に感じました。 当時、参勤交代の行列は弓矢や銃等、飛び道具を持ってはいけないという様なきまりでもあったのでしょうか? (もし参考になるWebページや書籍等があれば、示していただけると嬉しいです)
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入り鉄砲に出女と言う言葉をご存じかと思いますが、少なくと江戸に向かうときには大量に鉄砲を持ち込むことは出来ません。参勤交代に鉄砲を持参することはあったようですが、袋に入れた状態で運ばれており、常時発砲可能な状態ではなかったようです。また、江戸で鉄砲を買い集めることは、叛逆の誹りを受けるので出来ません。ということで、大量に鉄砲を持って移動するのは不可能でしょう。 弓に関しては、和弓は大きいので、道中に戦力として持ち歩くのは困難だと思います。儀礼的道具としては持ち歩いたと思いますが。 基本的に参勤交代自体は幕府の威光を示す面もあり、道中の安全保証については大きな問題は無かったでしょう、この映画の場合は、老中も絡んだ陰謀です。
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- yasuhiro1967
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これは想像ですが、 参勤交代の長い道中、はたしてクソ重い銃を担いで、 何百キロもろくに整備もされていない道をワラジや足袋で歩けるでしょうか? また、敵に急襲されたとして、そう簡単に撃てるものでもないでしょう。 今の拳銃やライフルとは違うのですから。 当時の銃は単発銃で火薬と弾を一発撃つ毎に込めなくてはなりませんし、 火縄にも火を点けておく必要があります。とてもじゃないけれど危険ですよね? そんな状態で歩かれると。暴発したらどうします? 弓矢も同じく、ボーガンでもあるまいし、 大きな弓と矢を常に構えて長距離を移動する事は不可能です。危ないです。 それよりは刀と槍での接近戦の方が瞬間的な対応が可能です。 逆に待ち伏せする側にとってはうってつけの武器ですよね? それからもう一つ、 時代として、比較的平和で、徳川の大名が襲われる等とはとても有り得なかったと思います。あったとしても、少数の野盗か、山賊程度でしょう。 何百人からのお伴を引き連れている訳ですから、本来なら充分対処可能だったのでしょう。 ひょっとすると、謀反を恐れて、江戸への銃の持ち込みは禁止されていたのかも知れませんね。だとすれば、領地に戻る際に銃が無いのも当然ですね。 参勤交代自体が大名を経済的に疲弊させる目的があったのですから。 こんなところで回答にはならないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご回答頂いた内容は全て憶測ですし、敵側も「主人公側が何か仕掛けてくる」と事前に分かっている状態で、なお飛び道具での反撃が一切できなかった理由を説明するにはいささか弱いかなーと感じます。
補足
その後、 安藤優一郎『大名行列の秘密』(NHK出版,2010) という本を読みました。当時の参勤交代を描いた絵にも鉄砲隊や弓矢隊の一団が描かれており、また参勤交代の護衛はすぐに戦闘態勢に入れる状態で隊列を組んでいたそうです。 (すぐに弓を引ける状態で待ち伏せしていた)主人公の一団に対して出遅れる事はあるかと思いますが、敵側が一切弓矢も鉄砲も使って来ないのはやはり不自然な描写といえると思います。ここは、監督が時代考証よりも演出を優先した所と結論付けたいと思います。
お礼
ありがとうございます。 「入り鉄砲に出女」知らなかったので調べました。鉄砲の江戸への持ち込みは制限されていたんですね。鉄砲を多数用意する事が、難しかったという根拠になりますね。 ただこの映画では、敵側も「主人公側が何か仕掛けてくる」事はかなり事前から分かっていたわけで、これだけで敵側の飛び道具による反撃が一切無かった理由とするのは少し、弱いかなと感じますが… お答え下さった様な考証+「映画の演出上の都合で、思い切ってバッサリ飛び道具を省いた」と考えるとわりと納得がいきました。
補足
その後、 安藤優一郎『大名行列の秘密』(NHK出版,2010) という本を読みました。当時の参勤交代を描いた絵にも鉄砲隊や弓矢隊の一団が描かれており、また参勤交代の護衛はすぐに戦闘態勢に入れる状態で隊列を組んでいたそうです。 (すぐに弓を引ける状態で待ち伏せしていた)主人公の一団に対して出遅れる事はあるかと思いますが、敵側が一切弓矢も鉄砲も使って来ないのはやはり不自然な描写といえると思います。ここは、監督が時代考証よりも演出を優先した所と結論付けたいと思います。