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母親との思い出
母親との思い出 あなたのお母さんとの思い出を教えてください。 ささいな日常の一コマから他人が聞いてもビックリするような事件まで 何でも結構です。 良ければ今のあなたの年代と性別も添えてください。
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39歳女性です。 母との思い出(まだ健在ですが)で一番印象に残っているのは… 20年前、私は専門学校に通っていました。 学費は払ってもらいましたが仕送りはなく、学校から紹介されたレストランの寮に入り、アルバイトして生活してました。 時給630円、学校が終わった後と休みの日はフルでアルバイト。 月に7~8万円、夏休みは10万円くらいでした。 そんな生活でしたが、チビチビ貯金して確か30万円ほど貯まった時に、この中の25万円を母に送金しました。 予告ナシに送ったのですが、着いたと思われる日に、私が「送ったの着いた~?」と呑気にたずねると… 「こんな大金、どうやって貯めたん?ありがとう…。」 泣かれました(^^;) 交通費や学費以外の講習代は自力で払ってましたが、給食もあるし賄いは安い。寮費は格安で給料引きで、楽しみはバイト代が出た時にビートルズのCDを一枚買うくらいでしたから、お金も残りましたし。 母は今も健在ですが、払ってもらった学費に比べたら、申し訳ないくらいの金額でしたが、あんなに喜ばれたのは、後にも先にもこの時が最高でした。
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- 7kugino
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三歳のときに外から庭に入った時に、片袖脱いで弟に授乳中の母が上半身裸になり、私に乳を勧めました。 私は母に駆け寄りましたが、途中で足が止まり母に要らないとと言ってしまいました。 せめて 弟がいないところで言って欲しかった。私はおにいちゃんです。 男性 不明
- asebi-0806
- ベストアンサー率39% (1265/3233)
思い出って言うより逸話?なんですが。 現在70代の母は田舎の農家育ち。 農家のお嫁さんがどんなに苦労か知っているので「農家の嫁にはなりたくない」って母親(私の祖母)に言ったそうです。 昔のことですから右も左もわからない農家の娘が勤め人の嫁になるのは大変なことだ、という事で祖母がツテを頼って東京のある邸宅に行儀見習いに出したそうです。 女中が何人もいて運転手もいる、ある大会社の社長宅です。 そこで社長つまり大旦那様付きの女中として行儀一切を仕込まれたとのこと。 右も左もわからない十代の山出しの娘だった母はそれは一生懸命つとめたそうです。 他の女中より上の扱いを受けたので妬みからいじめにも遭ったそうです。 最初は叱られることも多かったけど、よく務めるので大奥様や大旦那様にも気に入られたそうです。 ある時その家の次男の部屋に呼ばれ、朝の支度の時にズラリと並んだネクタイを指して 「どれが良いと思う?君が良いと思うのを締めて行くよ」と。 「私にはわかりません」と言うと「いいから選んでごらん」 それで母なりに一生懸命考えてこの色と思うものを選んだそうです。 「ありがとう」と言って嬉々としてそれを締めたそうです。 そんな事があって任期の一年が過ぎようという頃、大奥様に呼ばれました。 「あなたのお母様は大変厳しい人だったようですね。あなたを見てればわかります」 「次男があなたを気に入ったと言ってます。もし良かったら一緒になる事を考えてみてくれますか?」と。 母は大層驚き動揺したそうです。 しかし長男の嫁が苦労しているのも見てきました。陰で声を殺して泣いてるところも見たそうです。 こんな世界、こんな家で嫁としてやって行くなんて無理だ、と思った母は任期が終わると逃げ帰るように田舎に戻ったそうです。 その後、父と結婚し私や弟を産んだ母。 しばらくするとその次男の結婚が新聞で報道されたのを見たそうです。 相応の良いご家庭の令嬢が相手だったと。やはり断わって正解だったと思ったそうです。 母にとってしがない商いを営む父との結婚は苦労の連続でした。 こんな事ならあの縁談を断るんじゃなかったかしら、と冗談まじりに言う事もありました。 もしかしたら私だって大企業の令嬢として生まれてたかも?なんて思いました。 笑い話として時々話してくれたのですが、まるで昼ドラのような話です。 結局貧乏暮らしから抜けられない生涯をすごした母です。 「でもあの時仕込んでもらった事はずっと役に立ったわ。若いうちの苦労はするものね」と母は言います。 母はかなりの根性の持ち主、頑張り屋なのは筋金入り。気に入られるわけもわかるというほどです。 そんな母や、母を育てた今は亡き祖母が私には誇りです。 女の生き方の手本です。
お礼
感動しました。 回答ありがとうございました。
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