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【ネタバレを含みます】「インセプション」について疑問。
【ネタバレを含みます】「インセプション」について疑問。 先日字幕版を見まして、いくつか疑問におもったことがあります。 ご自分の仮説でかまいませんので、ご回答くださると嬉しく思います。 ・奥さんが[向かい側の]ホテルに座っていたのはなぜでしょうか? どうやってあそこにたどり着いたのでしょうか?(ジャンプは不可能な距離ですよね?) ・第4層の虚無(Limbo)「サイトーがこれから落ちてくるから助けにいかないといけない」と言っていたコブ。 なぜ、コブたちのほうが先に虚無におりてきていたのにも関わらず、年老いたサイトーとコブの外見にはあれほど差があったのでしょうか。 ・一階層降りると時間の経ちかたは20倍になる、と劇中で説明されていたと思います。 これはどの時点から20倍なのでしょうか? 現実→夢第一階層の時点で20倍に感じるのでしょうか? それとも第一階層と現実は同じ速度で、第一階層→第二階層といったように、夢の中で階層を潜る時に 20倍になるのでしょうか? なぜこれが気になるかというと、劇中コブがアリアドネに「何年虚無にいたの?」と聞かれて「50年かな」と答えています。 私はこの間現実の時間がどれだけ過ぎていたのか気になるのです。 なぜかというと、彼らには幼い子供がいた、という設定だからです。 夢の層だけ20倍でも、彼らは2年強を眠って過ごしたことになります。(計算間違えていますでしょうか) もちろん食事やトイレのために1日のうち何時間かは起きていたのでしょうが、虚無で過ごした時間の方が現実と感じるほど長く夢の中にいたわけですよね。 あれだけ幼い子供がいた夫婦では考えられないことです。 ・賛否両論を呼んでいるラストシーンですが・・・。 先日、映画を見た友人から 「実はあの映画全編コブがインセプションされて見た夢。(現実に夢4層ではなく、5層の夢) エンドロールで流れる'目覚めの音楽'は、コブが目覚める合図」 という説があると聞きました。 この説が正しいとすると、上述の「夫婦として子供への対応がどうも非現実的」というのはある意味、しっくり来ます。 いかがお思いになりますか? ・逆に、あの話を素直に現実と受け取ったとしてです。 コブとサイトーはどうやって'キック'したのか、覚えておりません。 虚無でどうやって何を合図にキックしたのでしょうか? また、2人だけ別行動だったコブとサイトーは、さらに上の階でもイームスやアーサーが起こすキックとタイミングがずれていたと思うのですが・・・。 飛行機で目覚めた時間を見る限り、第3階層×20秒の間にサイトーを探して戻ったということなのでしょうか? (目的があったコブと違い、サイトーは絶望感から時間が長く感じ、年を取った?) ・なぜ夢の中で現実同様の加齢が可能だったのかも不思議ですが・・・。
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- MONKEYMONKEY
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ラストの部分のみ回答です。私は、ディカプリオはアイデア泥棒でもなんでもなく、ただのサラリーマン(か何か)で、そのサラリーマンが普通に出張から家に帰る飛行機の中で見た「壮大な夢」という仮説を立てました。【1】ラスト、ディカプリオが飛行機で目覚めると、夢のマシーンは存在しません。つまり、それもこれも全てサラリーマン・ディカプリオの見た夢の中だけの設定だからです。【2】飛行機が着陸すると、メンバーたちはぞろぞろと普通の乗客として荷物を受け取って空港を出ます。社長の息子を見送ったら、その後、みんなでハイタッチでもしたらいいのですが、全く見知らぬ人という感じです。【3】飛行機が空港に着くと、マイケル・ケインがゲートに迎えに来ています。このフライトが本当に社長の息子をはめる飛行機だったのなら、その到着の飛行場にマイケル・ケインが出迎えることに有効な説明がありません。その空港は社長の息子のビジネス上の目的地の空港であるはずで、そこにマイケル・ケインがわざわざ出迎える意味があるでしょうか?・・・・・これは、「オズの魔法使い」のパターンです。ドロシーは、夢の中でカカシとかライオンとか魔女などと大冒険をしますが、すべては普通の少女であるドロシーの見た夢です。そして、カカシやライオンや魔女は現実の世界では、大家さんや、酒屋のにいちゃんや、親戚の叔父さんです。そういう現実の知り合いをドロシーは自分の夢の中で勝手に配役しているのです。つまり、ディカプリオは、帰省の飛行機のまどろみの中、たまたま同じ飛行機に居合わせた、見知らぬ人たちを、夢の中で勝手に配役したわけです。もちろん、マイケル・ケインも教授でもなんでもない。ただのおじいさんです。「オズの魔法使い」も、現実のドロシーのストレスが夢に反映されています。大方、現実世界のディカプリオは出張がちで、ヨメに逃げられた男で、子供達に会うのもままならない人なのではないかと思います。 ラストでコマが回っているというのは、「これで安心」と思ったら、「ディカプリオの帰省もまた、夢かもよ」っていう問題提起です。なぜなら、夢を見ている人に夢と現実の区別がつかないと設定されているからです。これは、ひいては、映画鑑賞という行為自体が夢を見ている行為と同じだということにもつながります。 同じパターンにマイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVがあります。実は、マイケルがオオカミだというのは、少女の恐怖心が呼んだ架空の夢でした。ただし、「スリラー」では、女の子が夢だと知って安心したうしろで、マイケルの目が光る(オオカミ)というオチがあります。「バンデットQ」でも、夢の中で会った英雄アガメムノン王(ショーン・コネリー)が、現実世界では、消防士でした。でも、その消防士は、少年にウインクをするので、少年の夢が本当のタイムトラベルだったのでは?とも思えるようになっています。
- ribisi
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お二人ともかなり細かいところまで見ていらっしゃいますね。私も昨日二回目を見てきました。 おおむね#1さんの考えに同意します。 モルとコブが過ごした夢の時間のことですが、この二人は映画で描かれている以外にもいろいろと夢の世界を探っていたのではないかと思います。その中には夢のまた夢と階層的に落ちていく体験もしたのではないでしょうか。そのトータル時間として50年という実感を得たということであれば、さほど不思議ではありません。 二人の子どもが成長していないという問題は大きな謎です。論理的に考えられる回答としては、モルが自殺したのはそれほど昔ではない、という仮説。 ここからはそれこそまったくの想像ですが、マイルズ教授(マイケル・ケイン)の元で学んだコブは、教授の娘であるモルと結婚した。この三人は夢の共有に関しては専門家なわけです。コブがこれをスパイ活動という非合法なビジネスに発展させたことについてのマイルズの感情としては、研究者としての純粋な探究心、自分が育てた愛弟子でありかつ娘婿であるという関係によって、コブの仕事を黙認というか、大目に見ていたのではないでしょうか。 マイルズが、モルを自殺させたことでコブを必要以上に責めていないことは、パリの大学のシーンからもうかがい知れます。ここでコブは、子どもたちへのプレゼントをマイルズに渡しています(つまりマイルズは近々アメリカの孫の元に訪れるという予定があった)。 それに先んじて、序盤、サイトーからの情報抜き取りに失敗した後、東京のヘリポートのシーンの前になりますが、チェックインしたホテルの一室で、コブは子どもたちと電話で話しています。ここで、確かおばあちゃんだったか、子どもたちの面倒を見ている人物の存在がチラッと会話に出てきたと思いました。そしてコブはプレゼントを贈るからね、と言うわけです。 ここから推察するに、コブは子どもたちには、ちょっと長い出張に出るよ、というように説明していたのかもしれません。解釈としては厳しいかもしれませんが、モルの死~コブの国外逃亡~帰国までのスパンが1年未満くらいの話であるとすれば、子どもが成長していないということのエクスキューズとしてはどうにか成立するのではないかと思います(逆に、ラストで成長した子どもを出さないことで、このように観客に想像させる余地を残しているというのが、本来の演出意図だと思いますが)。 というように、私は、ラストは現実と受け取っているのですが、少なくとも全部が夢というのはないと思います。それは駒の挙動に集約されているのですが、コブは夢から覚めた後、駒を回すという習慣があって、それはシーンとしてたびたび出てくるのですが、駒は倒れているのですね。だから素直に見たまま、現実と描写されている場面は現実だと解釈するのが自然です。問題は、最後の最後、虚無から脱出できたのか否か、ここを争点にするのはありでしょう。 #1さんの指摘するとおり、宮殿で老いたサイトーが、コブが持ってきた拳銃に手を伸ばそうとしているカットがあります。その先のシーンを描いていないところが奥が深いわけですが、「虚無」というから難しく感じてしまいますが、外から観察したらいわば意識不明という状態なわけです。このとき、肉体の状態が著しく損傷していれば、意識だけ戻っても体は死んでしまいますが(潜在意識はそれを知っているのでしょうか、意識が戻らず死んでしまう事例が現実にはあるわけですが)、体がそこまで傷ついていなければ、彷徨っている潜在意識を刺激することで、意識が戻る、生還するということになります。 つまり虚無から脱出するためには、意識的にその場所を後にして別の場所に行く、という行為が必要であると思うのです。アリアドネはロバートを転落させることでそれを実現し、またコブはサイトーを説得して、虚無からの旅立ちを促したのではないでしょうか。このあたり、死の世界で死ぬと生還するというのは輪廻の思想を連想させて興味深いです。 付け加えると、このミッションでロバートのインセプションを見届けたのはイームスだけなので、そのことをサイトーに説明していないのに、機内で覚醒したサイトーは、すぐに受話器を取ってコブの入国を許可するよう工作するのは契約としてはおかしいのですが、サイトーは自分を救ってくれたコブへの義理を果たしたと解釈すると腑に落ちます。この辺も監督は日本人をわかっているな、と思いました。
- skwk
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昨日みてきました。うろ覚えなところも多く、正解ではないと思いますが 私の意見をかきますね。 [1] 向かいのホテルというのはモルが飛び降り自殺を図るところのことですか? 我々観客はコブ視点なので、モルが狂って奇行に出たように感じられますが、 彼女は「自分が正しい、コブの方が狂ってる」と思ってたので、 自分のためならば常識の範囲内で行動できると思います。従ってジャンプなどの突飛なことはしません。 一般的な手段で(つまり階段等を使って普通に)向かいのホテルに行ったのではないでしょうか。 単に自殺するだけならばコブが来る前に死ぬこともできたので、 わざとコブに自分の死を見せつける(≒コブを説得する)ためのパフォーマンスの方法が、 向かいの部屋に移動してコブが来るのを待ってから飛び降りるということだったのだと思います。 [2] 参考URLをどうぞ [3][4] 各層ごとに現実を含め前層の20倍になります。 現実→夢第一階層も20倍になります。 映画のインセプションの作戦を例にとると、 第ゼロ層(現実・飛行機)<x20 第一層(LA)<x20 第二層(ホテル)< x20 第三層(雪山)<x20 第四層(虚無) つまり1秒が20秒に、次は400秒(7分弱)に、3層目では8000秒(22時間強)、 4層目では160000秒(18日半)…となります。 しかしモルとコブが見てた夢の世界では、夢から現実(?)へ戻るために列車にひかれた後、 モルがすぐ目覚めるカットにつながるので、 彼らの夢が、間に他の夢を挟んだ多層構造だとは考えにくいです。 したがっておっしゃるとおり2年の歳月が経っているのでしょう。 それだけの時間、子供を放っておけるはずがありません。 子供を放っておいたとして「子供たちが帰りを待ってるから」と急に現実世界に戻りたがる モルの言動に一貫性がなくなります。 またモルの死後、コブが「仕事」をしている最中も子供の面倒は誰が見ているのかとも思いました。(おじいちゃんは普段パリにいるようでしたし) ラストで家に帰った後、子供たちがコブの記憶の通りの姿で、全く成長していないのも気になります。 これこそが、ラストシーンの夢オチ(コブが誰かにインセプションされている) を示しているのではないかなと思いました。 つまり子供がいるという記憶がインセプションされたものなのではないかということです。 ・第n層:モルがこの世界は現実じゃないと言いだして、自殺する世界。 映画の中で「現実」と我々が捉えている世界。 この世界にはコブの子供がいる(と思いこんでる)。 ・第n+1層:モルとコブが創造した海とビル群がある世界。 この世界にはコブの子供がいない(いるとも思ってない)。 ただし、夢の中で死ぬと、キックで目覚めるという設定があり、キックによって上層へ人が行くと、 下層からその人は消滅するので(映画冒頭の新幹線で見る夢が事例です) コブが夢を見ているとしたら、モルが死んだら死ぬのではなく消えたはずです。 そこが死んだとなっている(おそらく葬儀なども行ったのでしょう)ということは、 モルは人ではなく、存在そのものがコブの夢だったということになってしまうのではないでしょうか。(疑問に疑問で答えてすみません) [5] この時にはすでに1層目でバンは落ちていて2層目からのキックは完了してしまっているので、 世界そのものがなく、キックしても一個上に戻ることはできないのでないので タイミングがずれた2人は第4層から0層までワープできたということです。 映画を見たときは、サイトーが銃を手に取るシーンがあるので、それが関係していて サイト―がコブを撃ち殺す、サイト―も銃で自殺 (サイト―の方が目覚めるのが一瞬あとだったので)…とも思ったのですが 特殊な薬をつかってるので死んだら虚無に落ちるという話で 上層では生き残るよう頑張ってましたけど、 最後の第4層はもう虚無なので、例外で死んでもいいのかな。と。