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幻聴とは聞いていて面白いでしょうか。

幻聴とは聞いていて面白いでしょうか。 幻聴とは聞いていて面白いこともあるのでしょうか。 それとも、必ず不快なものでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

「面白い」と感じる幻聴もあるようです。 統合失調症などを患っておられる方が、思い出し笑いのように一人で笑っておられる場合(「空笑」と言います)などは、そのような幻聴が聞こえていたりする場合もあります。 もちろん、面白い内容だから「不快ではない」という訳ではありません。

kassbege
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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回答No.3

本人の感じ方でその事は全く違うものになると思います。嫌だと思う場合には『嫌だ、嫌だ、心に残って何時までも心が苦しくなって嫌だ!』と意識した場合には本当に苦痛と感じてしまいます。 その苦痛と感じたものを、心に在ってはならないものという風に考えた場合には、幻聴が無くても『心に幻聴というものを作って苦しむかも知れません』実際にないにも関わらず、心の中で作り出して苦しむ場合を『妄想』と言います。 現実に不安の事柄や、恐怖の対象があって、そうして不安や恐怖感が湧く事を『真実を見ている』と言いますが、人間には現実が見えなくなって、目の前に不安や恐怖の実態が無くとも不安や恐怖感を抱いて『実際に脳内のホルモンが』出たりでなくなったりする場合があります。 その事を仏教では地獄に落ちると言います。それは妄想を相手にして、真実が見えなくなった状態という事になります。人間の心はその人の心の持ち方で大抵の事は決まってしまいます。不幸になりたくない気持ちを強く抱いた時には、返って不安が大きくなって、その不安から不幸を招く場合も在るという事になります。 或いは失敗しないように強く意識をした場合には返って失敗しやすくなる場合も在ると言う事です。それは人間の意識が人間の生きる事を邪魔する事があると言う言い方でも良いかもしれません。 耳鳴りでも気にして、苦にした場合に、耳鳴りが気になって仕方が無くなって医師に相談した場合にはその意識したことを『症状名』にしてしまうかもしれません。耳鳴りが苦になって仕方ない人も、この教えてGOOにも時々相談が寄せられています。 要するに気になることを『意識して』症状にする事が『心を病む事です』耳鳴りがあっても、他の事に気を取られて忘れていたなら、耳鳴りは意識には上がりません。耳鳴りを意識するから耳鳴りが気になっています。 精神科医の回想録の中で、幻聴で苦しんでいたお婆さんが或る日を境に、幻聴を苦にしなくなったと言う事が書いてありました。その訳を聞いたところ『耳が聞こえない人よりは良い事に気が付いたから』という事でした。何も聞こえなくて孤独の淵に沈みこむよりは『にぎやかの方が良い』事に気が付いて普通の暮らしに戻れたという報告をしています。 早い話が幻聴という事実を受入れられるのか、受入れられないかで変わって来ると言う事です。受入れた場合には『意識』しなくなって苦しみはなくなってきます。受入れられない場合には『意識』の上って苦しい想いが続くという訳です。 心を病むと言う場合『心に感じたものを』受入れられなくて意識の上に乗せて問題にする事自体が問題という意味になります。その問題にした事が『症状名』として固定されて本当の症状になってしまうという事実です。 或いは『心に感じたものを』受入れて、もう治らないと諦めて受入れた場合には、あのお婆さんのように普通の暮らしに戻れると言う事になります。その分かれ道が『必ず不快なものでしょうか。 ?』という事をどういう風に受け取るのかということが分かれ道になるという事です。 心に湧き上がる感情をその人がどういう風に受け取るのかが分かれ道になります。不安も安心も本当は同じところからの同じ情報です。不安と感じるのか安心と感じるのかはその人の『意識』の捉え方です。我で捉えようとするのか、或いは無我で捉えようとするかの違いです。 不快と感じる時は『我』が感じています。快と感じた時には『無我』が感じています。我を張って生きた時に『孤独』を感じます。我を張らない時には他の人との繋がりを感じます。我を張った生き方が『生き難い想い』を作っています。我を張らない生き方で『生き易くなります』 どちらも『我』の使い方の問題です。それは『意識』の遣い方と言っても良いです。四方八方に気を使うと言う意味です。四方八方に気を遣う事は『全身全霊』で生きているときです。全身全霊で生きているときとは『没我』或いは我を忘れいている時という意味です。 我を忘れて『自我意識』がでしゃばらない時に症状は忘れています。その時は『意識』していないからです。言い方を替えたなら『無意識の自分に』「我」を預けた時という事になります。

kassbege
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • foxface
  • ベストアンサー率42% (15/35)
回答No.1

こんにちは 私は幻聴というものを体験したことはありませんが、これまでの読んだ本(医学関連書など)から考えると幻聴にも種類があるようです 要素的なものから人(単数)の話し声(この場合は脅迫的な事が聞こえてくることもあるそうです)複数の話し声(会話)など複雑な物もあります 不快かどうかはその内容によるのではないかと思われます 良い例を出すなら、その幻聴が自分の願望である(好きな人の声だとか)などということもあるので 一概に不快とも面白いとも言えませんね ただし、幻聴自体は統合失調症の症状(てんかんでも起こり得ますが)だったりするので、聞こえないに越した事はありません 参考になれば幸いです

kassbege
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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