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 みなさんの人生であきらめた事(エピソード)を教えてください。

 みなさんの人生であきらめた事(エピソード)を教えてください。  例えば、出産をあきらめたとか、結婚をあきらめたとか、〇〇会社に入社する事をあきらめたとか、〇〇大学に入る事をあきらめたとか、何かの資格を取得する事をあきらめたとか、〇〇さんと恋人になる事をあきらめたとか、薄毛改善をあきらめたとか、ロールプレイングゲームのゲームクリアをあきらめたとか、昇進をあきらめたとか等等。  時期はいつの事でも構いません。  何年ぐらい前にこんな事をあきらめたという表現の仕方で、ご自身の人生において代表的なあきらめたエピソードを教えてください。  

質問者が選んだベストアンサー

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  • yamasakaki
  • ベストアンサー率32% (364/1113)
回答No.1

中学の時にNBAのトッププレーヤーになり年俸40憶の夢を諦めました。 高校のときに他人との関わりを諦めました。 大学のときに会計士になる夢を諦めました。 今は大金持ちになることは諦めてます。

oyajin2
質問者

お礼

 なるほど、壮大な目標をあきらめているようですね、回答ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#112519
noname#112519
回答No.8

『公認会計士』という職業。 “伝票をパラパラと眺めていると、何かおかしい。他の帳簿を見ても、何かおかしい。そして、ついに“粉飾決済を見破る!”という有名な話から、憧れ、目指しましたが、どうしてもお金の計算(会計)が好きになれず、諦めました。(未練たらたら)  ところが、10年前の、相次ぐ『名立たる監査法人』の不正、腐敗しきった会計士の実態を見て、完全に『縁を斬りました』  あきらめる、には「明らかにして、極める(きっぱり未練を断つ)」といういい意味もあるようですし・・・。  ただ、やはり、その時、努力したことが、後々、なぜか、生きてきます。 苦労した経験は、後で威力を発揮する、といった感じでしょうか。

oyajin2
質問者

お礼

公認会計士ですか、回答ありがとうございました。

  • rika-chan
  • ベストアンサー率18% (198/1052)
回答No.7

 女性です。どんなに頑張ってもドライバーで200ヤード以上飛ばないので、プロゴルファーを目指すことができずに、研修生になることすら諦めました。あと大金持ちと結婚して、ゴルフ三昧するのが夢でしたが、現実を見て、普通のサラリーマンと平凡で幸せな生活を送ってます。

oyajin2
質問者

お礼

プロゴルファーですか、回答ありがとうございました。

noname#137877
noname#137877
回答No.6

高校や大学でチアリーディングをやりたかったけど足が短いのを知っていたからあきらめました。

oyajin2
質問者

お礼

チアリーディングですか、回答ありがとうございました。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.5

上手くいきそうになると何かと抵抗ができるので、お金の余るような生活をあきらめました。

oyajin2
質問者

お礼

なるほど、お金の余る生活ですか、回答ありがとうございました。

  • usokoku
  • ベストアンサー率29% (744/2559)
回答No.4

私のことを書いても面白くないでしょうから ピアノその他楽器。 中学の時に、指が短くて届かない、一つの指を動かすと隣の指が動いてしまう(指付け根の間接の2-3cm上まで肉がある)ので、楽器をあきらめました。 当然ですが、特定の位置に指を置いて操作する、ブラインドタッチもできません。

oyajin2
質問者

お礼

なるほど、楽器ですか、回答ありがとうございました。

回答No.3

世界的なピアニストになる夢を諦めました。 これは恥ずかしながら結構最近で、音大でないにもかかわらず、学生時代には諦めてませんでした。 「プロのスポーツマンくらい何か出来るんだろ」と思っていましたが、そういう甘い世界でないことも最近理解出来ました。 コツコツと前に進んでいくこと以外の何一つとして自分にはふさわしくないということが最近解ってきました。

oyajin2
質問者

お礼

ピアニストの夢をあきらめたのですか、回答ありがとうございました。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.2

私は中学生の時に大学進学を諦めました。 理由は、姉が成績優秀で父親に成績を比較されてばかりで反抗的になってしまった事です。 学校でも、〇〇の姉さんは頭が良かったと先生に言われっぱなしで先生にも反抗してましたから、通知表も1から5まで揃う乱れぶりでした。 そんな私を母親は理解して工業高校に進学する事を勧めてくれました。 ただ、父親の失望感はかなりのものだったようで、〇〇は●●大学を卒業して△△会社に就職したと言う話ばかりで父親と良く喧嘩しましたし、父親の世話になるものかと新聞配達のアルバムをする等で根性だけはつきました。 勿論、大学進学は出来ませんでしたが、好きな分野の専門学校に進み大学卒業でも難関と言われる国家試験に合格しました。 いつか、父親を見返してやろうと思ってましたが、専門学校卒業の年に父親が急死して物心付いてから涙を流した記憶が無かった利かん気の私も涙を流して泣きました。 今となっては懐かしいエピソードですが、諦める挫折感をバネに希望を叶える原動力に変える事が出来るのも本人の努力次第だという事を若くして学んだと思います。 「転んでもただでは起きぬ」の精神は教訓になってます。

oyajin2
質問者

お礼

大学進学をあきらめたわけですか、回答ありがとうございました。