山崎まさよし
山崎まさよしの曲で
いつでも探しているよどっかに君の姿を
向かいのホーム路地裏の窓
そんなとこにいるはずもないのに
って曲がありますが
この曲ってどうゆうイメージで書かれた曲なんでしょうか?
私はこの曲は
死んでしまって二度と会うことができない彼女を
いまでも忘れられなくてずっと
面影を探してしまう・・・
とゆうようなすごく切ない曲だとおもってました。
でも今日友達に衝撃的なことをいわれました
ここから友達との会話です。
友達[これってただの失恋ソングじゃないん?]
自分[パードゥン?冗談はよしたまえ]
友達[え?違うん?]
自分[いやいや。これがただの失恋ソングなら
曲のイメージかわってくるんやけど。自分が思うとおり
亡くなった彼女を思った曲なら、会いたくても会えない。
そのもどかしさに苦しんでいまでも彼女の面影を
いろんなとこで探してしまう・・・あぁ切ないってなるけど
これがただの失恋ソングなら
別れた彼女を忘れられへん未練たらたらな男で
今でもずっとホームや窓をみて彼女を探すとか
ただのストーカーやんけー!この曲怖っ!!!]
ってゆうような会話をしてました。
自分はずっとそう思って聞いていたんで
あぁ切ないなーって感動してたんですが
なんかこれがホントにただの失恋ソングなら
わたしはこの曲ではもう感動できません
皆さんはどう思いますか?
とゆうかこの曲に関して山崎まさよし本人は
どうゆうイメージで作った、とか
いっているんですかね?