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犬を殺してよくて、人を殺してよくない訳、人の命「だけ」が尊い理由

時の人、小泉被告の主張です 「何故、人の命だけが尊いのか」 「何故、毎日千頭以上も罪のないペットを殺していいのか」 これに対する、識者(?)の見解は「自分の生活に不満があり、その欲求不満をぶつけただけ、別に本当に犬のことを思っている訳じゃない」とかいったものが多いです。 いや、それは本当のことだと思うんですが(自分の生活の不満をやつあたりしただけ)、でも、だったら小泉被告が自分の生活になんの不満もなく裕福な暮らしをしていて、で、本当に犬のことを思って殺人を犯したとしたら、それは正しい訳? と疑問にもちます。 このようなことを書くと、私が「小泉被告の行為はともかく、主張には共感している」と誤解されるかもしれませんが、全くそんなことはありません。私は、小泉被告の行為も主張も否定します。だからこそ「主張」は棚上げし、「行為」が悪いので「主張」は無視していい、とでもいったようなマスコミの取り上げ方に物足りなさを感じています。しかし、そういう自分自身も「何故」と問われると答えに窮してしまいます。そこで皆様に「何故」についてお聞きしたいのです。 「何故、人の命だけが尊いのでしょうか」 「何故、毎日千頭以上も罪のないペットを殺していいのでしょうか」 この質問に「人の命だけが尊い訳ではない」「罪もないペットを殺してはいけない」とおっしゃる方には「では、何故殺人だけが罪となるのか」という質問を追加させていただきます。 くどいようですが、この質問の趣旨は、単純に「人の命だけが尊いとされる理由」であり元厚生事務次官連続襲撃事件そのものを話題としているとしている訳ではありません。なのになぜ、あえて事件の話を出したかというと、単純にこの質問だけをしたら「あの事件のこと? 人殺しのいうことに耳を貸す必要なし」(この考えも勿論正しいと思います)という、今回の趣旨に沿わない回答が寄せられるのでは、と考えたからです。

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  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.7

>「何故、人の命だけが尊いのか」 彼の言葉というのは別に、確かにこの言葉は引っ掛かりますよね。 命の重さは違うのかっていう・・ ペットを子供同然に可愛がっている人からすれば人と同じくらいの重さがあるし、状況によっては人の命だって軽んじられる場合があるわけですから、やはり自分達が安全に生きやすいように作った法律だからですかね。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 実際のところ、見知らぬ他人が亡くなるより、自分のペットが死ぬ方が悲しい、ということはよくあることで、特に責められることでもないと思います。しかし、自分たちが安全に生きやすいように作った「法律」というのはまた別の話ですね

その他の回答 (16)

  • coco1701
  • ベストアンサー率51% (5323/10244)
回答No.17

>「何故、人の命だけが尊いのでしょうか」  ・人は地球上の他の生物とは違うと言う、暗黙の了解・・特別な存在 >「何故、毎日千頭以上も罪のないペットを殺していいのでしょうか」  ・良くはないが、人ではないので黙認・・人以外の生物だから

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 結局は、生態系の中で強いものが勝つ、といったところでしょうか。

  • can1966
  • ベストアンサー率9% (2/21)
回答No.16

自宅付近での話し 通行人がちょっとした弾みでしょうか? 何かを、何かを指して"愛犬家"と アクセントにおいては≒揶揄する意味での"専門家" 「何故、人の命だけが尊いのか」: 尊いといった文字通りの表現は人だけのいや人間だけのもの それが心に届くのも人間届けるのも人間 以下赤ちゃんポスト云々 「何故、毎日千頭以上も罪のないペットを殺していいのか」 ペットとは果たして生態系内にあるのか? だとしてペットの懸かるべき存在無しに 生態系のなかで進化の道をともに歩むことが出来うるのか? 懸かるべき存在から放棄されたペットにおいては 最早有機体であることを維持していくに於いて 残り僅かな時間、慙愧に耐えない時間が待ち受けているに過ぎない かもしれない 人殺しのいうことに耳を貸す必要なし: 耳を貸すことは危険極まりない所業 公的に認められたスペシャリスト以外 口を挟む事ではない この質問には質問者が意図するしないにかかわらず おびただしい危険が潜んでいる 懸案内容において質問者の失調を ともに統合していく事は ある種のスキルとキャリアが必要とされることを 今後の回答者にアナウンスさせていただく 参考url: ,http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%84%9B%E7%8A%AC%E5%AE%B6%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=28206852 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E6%84%9B%E7%8A%AC%E5%AE%B6%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=28769006

noname#256382
noname#256382
回答No.15

そんなこと人間しか言っていません。 今の人間の理論で言えばもし人間より高度な生命体が誕生した場合人間が家畜にされても文句は言えません。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >そんなこと人間しか言っていません。 ごもっともです。

回答No.14

実は深いテーマだと思うので書き込ませてもらいます。 私の中でも結論は出ていませんが、最近見た映画でこんなセリフがありました。 『人類は生命を過大評価しすぎている』 なるほどな、確かに命は何よりも重いなどといいますしそれに異論はないのですが、宇宙的規模(おおげさ)で見れば生命なんて取るに足らない一瞬の泡のにも満たないものかもしれません。実は生命なんて貴重でもなんでもないのかもね。 >人の命だけが尊いとされる理由 別に人の命も犬の命もどっちも尊くはないのかも。 で、なぜ人を殺したらだめかというとルールだからでしょうね。ルールが変われば人を殺してもかまわないでしょ?戦争とか。 それと、人が犬を殺しても罪になりませんが(厳密にはなるけど)それは人間側の話。賢い犬だったら親なり子供が報復にくるかも。犬の世界では犬を殺した人間は万死に値するかもしれません。 逆に、犬が人間を殺しても犬の中では罪にはならないですよね。人間がその犬に報復することはあっても。でも犬が犬を殺した場合はその群れから制裁を受けるかもしれません。 まとまりのない書き込みで失礼しました。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「命はみな尊い」も「命なんてみんな大したことない」というのも同じ「平等」かもしれませんね。現在でも例えばヒトが熊に殺されるなんてことはまれにありますが、そんな時に「どうしてヒトだけが殺されるんだ!」なんて言っても通じませんね。

noname#106932
noname#106932
回答No.13

それは、『同種』だからです。 私だって、人間より犬猫のほうが好きだったりします。 ですが、犬と(他人の)子供が溺れていたら、子供を先に助けます。 何故なら、人間の子供は生物として私の同種だからです。 犬よりも人間のほうが貴重だと思うから助けるのではありません。 同種の動物の幼体を守れないようでは、生物として終りだからです。 今、地球の覇権はホモサピエンスが取っています。 ですから、全てはこのホモサピエンスの価値観を中心に回るのです。 強い者のルールが、ルールです。 個人的には、「こいつなんかより、犬猫のほうを助けたいね!」と思う人間、たくさん居ますけれどね。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「こいつなんかより、犬猫のほうを助けたいね!」と思う人間、たくさん居ますけれどね。 私もです。でも、実際はそうはいかないということですね。

  • kita33dr
  • ベストアンサー率32% (86/268)
回答No.12

最近『生命』や『死』というものを考えたことが多く、出した結論は、 「『生命』って凄い」。 遺伝子やら人体やら化学物質やら、生命の神秘って、もうハマればハマるほど、 今現代の人智では全然及ばない、すばらしい存在がたくさんあります。 その凄さに心から敬服してしまってから、虫ですら殺すのが惜しくなりました(さすがに不殺まではできませんが)。 逆に言えば、それまではハエとかクモとか平気で殺してたわけです。 何が言いたいというと、尊さなんて人の考え方次第。 その中で、自分に近い存在からより尊ぶだけの話だと思ってます。 だから「人の命だけが尊い」とは思わない。 しかし、その尊さに序列はあると思います。 社会の一般的な常識では人>ペット>虫でしょう。 小泉被告が「人よりペットを尊ぶ」人だったということです(本心はしりませんが)。 多数の人間の集合体である社会から見て、異端の価値観であれば、 その危険性によっては排除されてしまうものでしょう。 そのラインを決めるのが法律だと思っています。 法律は社会がよりよく存続できるために出来たルールであり、 常識の塊だと思ってます(古くて使えない常識もありますが)。 今回小泉被告はそのラインを超えてしまった。 「罪のないペットを殺していい」とは思わない。 だけど、社会の法律では人とペットを同列には置いていない。 だから、ペットを保健所で殺しても法律では問題にならないが、人を殺しては問題になる。 そもそもある行動を「正しい」とするかは、結局のところ 価値観というレンズを通してでしか判断できないでしょう。 本当に犬のことを思って殺人を犯したとしても、社会の価値観(法律)としては「正しくありません」。 ペットの序列が高い人ほど、正しいと考える方向に寄るのかもしれませんけどね。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 子どもの頃はアリとか平気でつぶしてましたね。今はできません。だからといって肉は食べるし、蚊も殺すのですが。

  • goook
  • ベストアンサー率40% (529/1297)
回答No.11

この件に関しては、命の尊さという根元の事よりも人類が生きていくためのルールの中での影の部分による事件だと思います。 無意味に動物を殺すことは悪事でしょう。 野犬や野良犬を管理することで安心して生きてけるって事もあるはずです。 可愛いでだけでペットを飼い、狂犬病の予防注射をしなかったり、捨てたりと無責任な飼い主がいるからある程度の残酷だろうけど必要なルールも必要。原因は動物ではない人間の怠慢なんです。 犬の好きな人には心が痛む事だと思います。 私も犬は好きです。実家でも飼っています。 でも自身ではそこまで責任もって飼う事は出来ないので飼いません。 客観的に見て飼い主は愛犬可愛さに迷惑な行為も多いですよ。 我が子のように可愛がるのも分かりますが、他人から見れば可愛くても畜生でしかないって事実もあります。それは飼い主にとっては受け止められないでしょうね。だからこそ人と動物が同等って思い込みでこのような事件が起きるのだと思います。 犬と人間が喧嘩したら喧嘩両成敗でしょうか? 罪に問われるのは犬であり、飼い主が居たら飼い主が責任取るでしょう。 犬に怪我させたら傷害罪でしょうか? 器物損壊ですよね。 無責任な飼い主が多いから失っていくペットの数が多いのです。 その中に自分のペットが居たからといってそれは特別ではないほかの動物と一緒なんです。 ペットを飼うのも資格制にしてほしいです。 金儲けのためのブリーダーも制限してほしい。 散歩時の糞尿管理の罰則も厳しくしてほしい。 そうすれば安易にペットを買う人間も減り、可愛そうな動物も減るのでは? 同じ尊い命と主張した制度を出せば、「天下の悪法」と言われたお犬様の生類憐れみの令再現ですよね。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 無責任な飼い主や人間の為に殺されていく犬猫のことを思うと、個人的には「可哀想だ」という気持ちをもってしまいますね。たとえ偽善と言われても。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6195)
回答No.10

自己防衛の為です。  自分が殺されない為、人に殺してはいけないというのです。  自分の物が盗まれない為に、人に盗んではいけないというのです。 お互い協定を結ぶことにより、自己の生命、財産を守っています。 >「何故、人の命だけが尊いのでしょうか」  →尊くはない、法で決められているから。   >「何故、毎日千頭以上も罪のないペットを殺していいのでしょうか」  →ペットは人間に対して反撃しません、絶対的な強者は弱者の命をもてあそぶ権利があります。 >では、何故殺人だけが罪となるのか  人は反撃しますからね、人を殺すことは罪としてしまえば、自分の生命は保護されます。  人を殺してはならない、盗むな、欺くな、姦淫するな。全ては嘘。まやかしに過ぎません。殺されたくない、盗まれたくない、だから正義や倫理という嘘で、弱いその身を守っているだけです

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すべては「自己防衛のため」なるほどです。

  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.9

人間は肌の色が違うというだけの理由で、最近まで合法的根拠により残忍な殺人を行っていました、それも文明人として。 きっと現在でも、それが正当であると信じている人がいるでしょう、人間は自分を正当化しますがあくまで自己保身的だと思います。 ゲームとして狩猟を楽しむ人は、動物に感情など無いものと割り切っているのでしょう、でなければ矛盾が生じるから。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「肌の色が違う」以外にも、いろいろな理由で人は人を差別するものですね。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.8

それは、人間が唯一無比のものであるという無謬性の中に身を置いている以上、避けられないことかと思います。 >何故、毎日千頭以上も罪のないペットを殺していいのか ということですが、ペットと解釈するのは人間が「ペットという愛玩動物」と思えばペットになるし、全く興味もない人には単なる動物にしか映りません。 これは鯨の議論と似ています。 “哺乳類で頭がいい鯨を殺すとはけしからん”という人にとっては、鯨は人間に近い存在と見ているのに対して、獲る側は「貴重な食糧源」として、ある種魚と同じ感覚で、その認識に乖離が生じることになります。 先ほどの犬の話に戻しますが、韓国や中国では「赤犬」を食べる習慣があることを聞きました。 彼らには犬は蛋白源ですが、犬を食べる行為は日本人には奇異に映ります。“野蛮人のすること”と言う人もいますが、それはペットという感覚だからです。 要するに、人の考え方次第で、犬はペットになったり食糧になったり、あるいは怖い獣になったりするものです。 ですから人間の都合で解釈が変わるものを「殺す」ということで、一元的に決め付けるには無理があるように思います。 無謬性といいましたが、人間はどうあっても、殺せば殺人です。 人間と犬を同列で語ることが出来ないのは、そういうことです。

sawai197
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「命はどんなもの尊い」という時「生命」の定義をどうするか、というのは確かに問題です。蚊やゴキブリを退治するのは悪いことなのか? ミジンコは? 細菌は? それに対し、生命を「ヒト」と「ヒト以外」に分けて、ヒト以外をみな同じとするのは確かに「合理的」ではありますね。