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東京、荒川・中川間の中土手の歴史について
東京の荒川の中土手について詳しい方にお聞きします。 足立区小菅から河口まで続く、荒川と中川を隔てた中土手は、荒川と中川の水位が違うために設けられていると聞きました。 これはいつの時代にできた物なのでしょうか? また、中央環状自動車道はどういった経緯で中土手を通る事になったのでしょうか? 中央環状自動車道が通る以前の中土手はどのような空間で、どんなアクティビティがあったのでしょうか? どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。 よろしくお願いします。
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- ultraCS
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回答No.1
現在の荒川の都内部分(荒川放水路)は人工河川で、元々の荒川の流路は現在の隅田川でした。 中土手の完成年は正式には荒川放水路完成年である1930年ということに成ると思います。中土手が成立したのは、荒川放水路工事開始の1913年から1930年の間のいずれかの時期でしょう。 >また、中央環状自動車道はどういった経緯で中土手を通る事になったのでしょうか? 用地買収の必要がなく、騒音や日照の問題も小さいと考えたからでしょう。 >中央環状自動車道が通る以前の中土手はどのような空間で、どんなアクティビティがあったのでしょうか? ただの土手だったと思います。河川敷グランドくらいはあったかも知れません(上流はよく知らないので)、アクティビティなんて言葉すらなく、今とは時代が違います。