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地元住民が反対する八ッ場ダム
まず、本当に必要なダムなんですかねー。専門家100人ぐらい聞いて判断しても遅くはないと思うんですけど、如何なもんですかー。
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地元住民が反対する八ッ場ダム・・・ではなくて、地元住民が工事中止に反対する八ッ場ダム・・・ではありませんか。 八ッ場ダムが今日においても本当に必要なものかどうか、それは私には分かりません。 また、専門家の意見と言いますが、土木や建築、治山治水、都市工学、農林関係、温泉関係などといろいろ関係する専門家が居ますが、ただ彼らの評論だけを聞いても、なんの役にも立ちません。 専門家の意見とは何か、専門家がプロとして、この八ッ場ダムが当初本当に必要だと判断されたのか、そして今日、本当に不要になってしまっているのか・・・、真に正しい意見をまとめるには、数十年の歳月を遡ったこのダムの計画を、当初からの経緯にそって、多大な調査とその裏づけをしなくてはなりません。 しかし、その結果とて、いまさらあまり意味があるとも思えません。なぜなら、政府や官僚が考える国土開発というものは、極端に言えば、そのほとんどが只の思いつきからスタートしたものに過ぎないからです。 何時の世にも、役人というものは何か実績を作らなくてはなりません。何かしなくては予算を獲得できないし、確保した予算は何かなんでも使い切らなくては次年度の予算が削られてしまうからです。 しかし、学生時代から勉強一筋で、旅を楽しんだことも無ければ山歩きひとつしたことの無い官僚たちの幅の狭い頭脳では良いアイデアなど浮かぶはずもありません。しかし、そこは巧く出来たもので、いつしか政治家の先生から話が持ち込まれます。あの谷間にダムを作ればいい、いずれ首都圏は水不足になるから・・・と。 なぜ政治家はそんな話を持ち込んできたのでしょう。答えは簡単です。政党を支援する民間の土木関係者から、先生、あの谷間に国が公共事業としてのダム建設を考えれば、そしてその工事を私どもに請けさせてもらえば、我々はたんまり潤いますし、となれば先生も活動資金がたんまりと・・・とお尻を叩かれたからです。 ほほう、なるほどそりゃいいかも・・・と官僚は動き始めます。計画推進本部という木製の看板が掲げられ、基礎調査が始まります。谷間にはかなり大きな集落があり、しかもひなびたとはいえ立派な温泉郷があります。 でも、すべてはダム建設のために無視されます。住民にはただ立ち退きを求め、移転先を提供するだけです。計画に不利な条件は幾つも出てきますし、工事が困難な部分も明らかになってきますが、計画書にはそんな不利なことは一切掲げられません。 すべて、行き詰ったら行き詰ったで、追加予算で獲得した税金という名のお金をつぎ込んで解決するだけです。そんな程度のずさんな工事計画でも、計画するのも、それを監査するのも同じ仲間の官僚ばかりだから問題にもされません。こうして条件は整ったとして工事が始まります。 そしてそれから数十年、そして出来高はまだ70%、民間の開発工事では考えられない、あまりにも無責任で異常に長い工事期間です。そしてその間、ダラダラと工事は続けられ、業者と政治家の先生だけは潤います。 その間に首都圏での水事情は大きく変貌を遂げます。しかし、一度決めた国家開発事業というものは、担当する官僚が入れ替わろうが、考え方や世情が変わろうが、これまでは一切中止にはならないものなのです。 では、住民はどうでしょう。それまで静かに平和に暮らしてきた当時の住民にとっては、ダム建設の計画などは寝耳に水、都会に利益をもたらすと聞いても自分たちにはなんの関係もありません。ただ、必要な工事だと言うだけ、だから当然工事に反対します。しかし、それも限度があります。やがて住民たちは湖底に沈む村や温泉郷を捨てて、高いところに移転を覚悟します。 そしてあれから数十年、今になって70%も出来上がったダムをそのまま捨ててしまうと新政権が言うのです。あの当時はあの当時、でも、今は東京の水資源も十分間に合うようになっているんだよ、人口の伸び悩み、省資源活動の成果、他の水系からの取水、とまあ言うんだが、本音は官僚の無駄遣いを締め上げる見せしめにしたいと思ってね、まあいろいろの事情があるんだよ、だからもう、このダムは止めちゃいたいんだわ・・・と。 ちょっと待ってよ、最初に計画を聞いた時には猛反対もしたよ。でもさ、きれいな水をたたえ、立派な橋が架けられるなら、新たに観光事業でも成り立つかもしれないと、やっと考え方を変えて、先祖代々の土地を捨てる決心はしたものの、まあそれでもいいか・・・と思い続けてきた数十年、なのに・・・。 先行き湖底に沈むと言われ続けて、これといった産業も地に付かないまま、温泉事業もなんだかいまさら活性化も出来ないまま、そして、いずれは水辺になるという山の中腹に追いやられたら、それはまたその時から・・・と宙ぶらりんのまま、ただダラダラと過ごしてきた数十年、これをどうしてくれるのさ・・・と。 話はここまで、後をどうするか、私には分かりません。四年後にまた政権が変わってまた工事再開なんて???。
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- localtombi
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非常に単純な話で言えば、引越しが決まって荷造りも終わって、明日は業者が荷物を運び出す予定で、“いよいよ引越しだ”と、心身ともに準備万端、それに対する将来設計も出来ている時になって、引越し先の家が“急に売らないと言ってきたんで、ごめんなさい、なかったことにして・・・”というような心境です。 ダムの有効性云々よりも、生活の軸足を「ダム後」に移しているにも関わらず、“どんでん返し”にあったことに対する困惑なのです。 今まで反対してきたけど、やっと心の整理が付いて移ろうと決心したことを覆されることへの反対です。 ダムがどう役立とうが役に立たなかろうが、地元民には関係ないのです。 ダムの有効性を唱えての反対は建前です。 自分たちの生活の基盤を犠牲にしてのダムなので、作ってもらわなければいけないダムなのです。
- trajaa
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ま、地元じゃ無いんで間違っているかもしれませんが。 地元の中止反対には複雑な事情があるのでは?と推測 心底ダム建設推進を願っているわけでなく、消極的推進と思います。 今回テレビなどで中止に反対の立場でコメントしている地元のメンバーも元々は建設反対の立場で活動していた人も多いようです。 しかし、10年20年・・・50年もの間地域が賛成派と反対派に分かれ、地域の整備も後回しにされ、集落から移転に同意した世帯が移転すると集落そのもの存続も困難になっていくでしょう。 そう言った過去の経緯があって、どこかの時点で『事ここに至ればダム建設』を前提に、ダムを活用した地域の再生策を作ってきたのでは無いでしょうか? で、苦渋の決断として国のダム建設に協力をしたのに・・・・ この時点で中止なのか? 我々の苦労は何だったのか? と言うような心情があるんじゃ無いでしょうかね。 ダムそのもの必要性では無く、過去の国の推進活動(アメとムチだね)に翻弄された地域住民としては 今更遅い!というのがあるんじゃないのでしょうか? その為、専門家の数値や論理で中止を決めても、住民の感情論とは議論がかみ合わないのが、また難しいンじゃないかと。
- Lupinus2
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専門家といっても、判断するためのデータはすべて国土交通省が持っているし、 土木の専門家は多くが国土交通省から仕事を貰っているので、 なかなか中立客観的な判断ができる専門家もいないのですよ。 反対派はそのデータの矛盾を指摘して、ウソを暴いているのですが。 水利用の予測にしても、国土交通省の予測では増えるとなっているけど、 実際にはここ何年も減少に転じている、少子化による人口減少で増える見込みも無いなど。
地元住人が反対しているのは建設中止に対してですけど。