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日本人の外国人への見方はいかなるものでしょうか。

日本人が外国人(例えば、中国とか)への見方はいかなるものでしょうか。日本より貧乏の国から来た者とか、自分より下とか、出稼ぎ労働者とか、そういう見方でしょうか。 ご教授願います。

みんなの回答

  • Nannette
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回答No.4

明治の開国当時からもはや百年以上も経た今日でさえ、日本人は外国人を、日本人とはまるで違う異質の人類として、ある面で興味を覚えながらも、多くは不気味に思い、中には怖がり、意思の疎通が困難な厄介者と考え、それが故に、できれば直接接したくないと考える人がまだまだ多いように思います。その意味では、日本人にとっては、なるほど宇宙人とほとんど違いがないのでしょう。 たしかに彼らの多くは、その風貌が日本人のそれとはっきり違いますし、彼らの習慣の幾つかは日本人の目には異様なものとして映ります。常識もものの考え方も違いますし、文化そのものの違いから日本独特の慣習や常識を無視しているかのように見えたりもします。もちろん言葉も違います。だから、何を考えているのかが皆目わからない不気味さを感じてしまうことになります。 ひところ、短い期間でしたがパリで暮らしてみて、自分がエトランジェ、つまり外国人の立場に立ってみてはじめて、外国人ということをとても考えさせられました。 パリは観光の名所、多くの日本人がパリを訪れますが、彼らの多くが口にするのが、パリの人は日本人を馬鹿にしているのか冷淡で無愛想でムカついた・・・という感想です。たしかに彼らは見知らぬ者にやたら微笑んだりお追従を言ったりはしません。たしかに一見して無愛想だと感じはします。 なぜでしょう、パリは古くから世界中の人種が移り住んできた国際都市です。人種が違えは生活習慣も常識も、そして言葉もと文化そのものがそれぞれ違います。そうした異質な人々があの狭いパリという街で肩を寄せ合って暮らすには、互いを無視し毛嫌いするのではなく、互いを適度に受け入れることの方が気が楽なのだと気がついたのでしょう。 そうしたところから、互いに異文化を認めながら、必要以上に相手の世界に踏み込まないという一種の節度が育ったのだと思います。そうした彼ら独特の節度の感覚が、日本人独特の、他人には笑顔と優しさを以って遇することを善としてきた感覚には、逆にとても冷たいものと感じられたのではないかと思うのです。 実際に、パリの下町に住んでみれば、日本人という異人種への彼らのこだわりはほとんど感じることもありませんでした。一旦気心が知れると、とてもお節介になってしまうのがラテン系の明るくていいところ、風邪で寝込んだりすると、ご近所のみんなが押しかけてきて、いまどき苦い薬草の煎じ薬をわざわざ作ってきて勧めるなど、まるで身内のようにとても親身に接してくださっていい思い出になっています。 それでは日本人はどうでしょうか。駅の路線と駅ごとの料金を示した大きな案内板の下で外国の方が途方にくれているとします。さて、何人の方が協力を申し出るでしょうか。一度、私は意地悪ながら、そうした方をちょっとの間じっと観察したことがありました。 しかし、その時には結局誰も自主的に声をかけた日本人はいませんでした。その観光客は何人かの日本人に英語で話しかけましたが、その誰もが手を振ったり、ただ黙って通り過ぎてしまいました。何人かがそうした後で、一人の若者が手振り身振りで熱心に案内している姿にホッとしたものでした。 これでは、冷淡で無愛想で、英語では通じないよと知らん振りをすると悪評高いパリジャンの悪口を言えた義理じゃありません。しかし、日本人はもともと他人に親切な民族のはずです。なのにどうして駄目駄目と手を振って通り過ぎてしまうのでしょう。 答えは簡単です。言葉に自信が無いからなんです。もし、最低限の英語でも話せたら、ほとんどの日本人は外国人に対する態度がすっかり違ってくると思うのです。言葉は大切です。相手と会話が出来たら、彼らの文化も理解できますし、こちらの常識や習慣を教えてあげることも出来ます。 最低限の英語、じつは中学時代に教わった英語で十分だといつも思うのです。社会に出てからでも、中学時代のやさしい英語の教科書をもう一度読み直せば、もうそれだけでも外国の方との接点ができるはずです。そして、そこから相手をにこやかに理解し受け入れることを善とする日本人ならではの心で、外国人と親しく出来ると思うのです。 今の私は、仕事の上で多くの外国人とお会いします。背が高いことで威圧感のある金髪の北欧人も、太っちょで黒ひげの気のいいイタリア人も、ゲリラの勇者みたいに精悍な風貌のアラブ人も、どこか日本人に似た東洋系の人も、すこし慣れれば、たしかに文化の違いはあるものの、そうしたことを超えて、気心だけはほんとうに誰もがさほど変わってはいない、よく理解でき親しみ会える人たちばかりだということに気づきます。 そしてさらに、外国からの観光客たちも、出張で訪れたビジネスマンたちも、日本より貧しい国から来た出稼ぎ労働者の方たちも、なにも外国人という色眼鏡を透して見ることもないのだし、色眼鏡をはずして直接見れば、つまり、ひとたび見方や感じ方を変えるなら、その瞬間から、彼らもまた、そのほとんどが日本人と変わらない気持ちで生きているのだということも分かってくると思うのです。

noname#99579
noname#99579
回答No.3

結構正直にいえば「怖い」です。 私には外国人の友達がいません。 日本国内では当たり前と思われている常識も通じませんし、言葉が通じなければ相手が何を考えているのかがさっぱりわかりません。 日本人でも外国人でも根本的には「他人の考えてることはわからない」ですが、予測もつかないのはかなり怖いですね。 あと偏見かもしれませんが「自国の常識は相手に要求するが、来ている国の常識には合わせない」人が多いと思います。 (これは海外に出た日本人にもあることなのかもしれませんが。) 当然のように英語で道を聞いてきたりとか。 電車の中で韓国語で電話してる人とか。 中国語でおしゃべりしながら割り込んできたりとか。 自分より下とは思わないですが、今のところあまり親しめる存在とは言えない感じです。 いい人もいっぱいいると思うので、知り合う機会があれば偏見を持たずに接したいと思います。

回答No.2

人それぞれではないでしょうか。 貧しい国から出稼ぎに来ていても、国に妻と子供を残して一人頑張っている姿は、国を問わず頭が下がります。 でも日本人を金持ちと勘違いして詐欺まがいのことをする外国人は、やっぱりバカします(外国人に限りませんが)。 ただ「自分より下」という感覚は無いですね。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.1

昔ガキンチョの頃に初めてインド人を見て体が凍りついた。 頭にはターバン、太っい繋がり眉毛、ギョロ目、ひげ、浅黒い、見慣れぬ民族衣装、早口で何を言ってるのか分からない怪しい日本語。 個人的にはインド人は宇宙人でした。