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欧米における港町の変化と対応
国際間の移動手段が海から空へ変わったいま、港町から客船や貨客船が消え、かつての賑わいは遠い昔の話になりました。 神戸や横浜といった国内の町は、時代に流されてどんどん普通の町になっている気がします。 (すくなくとも自分が住んでいる横浜はそうですし、神戸にも何回か行ったことがありますが、同じように感じます) 一方、サンフランシスコやマルセイユなどのように、海外の大きな港町には空港があることが少なくないため、交通のハブでありつづけられます。 サンフランシスコもマルセイユも移民や外国人が多いことや、海が見える坂道、魚を扱う市場の存在もあってか、港町らしさをかなり保っている気がします。 欧米の港町はどう変化に対応したのでしょうか? あるいはとくに努力はしなかったのでしょうか?
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港町が賑わう理由は、 その地域を出入りする物資や情報の集積地であることだけでなく、 港と消費者・生産者を結ぶ物理的・人的な「ライン」が存在していることによります。 ハブ、ハブといいますが実はスポークのほうが大事なのです。 スポークが弱いハブはハブとして成り立ちません。 さて海運が衰退したあとも港町が往時のままの姿でいられるかどうかは いかにその産業のスポークを維持したまま変化を受容できたかにかかっています。 既存のラインを守りつつ、上手にその中心点を空港やトラックターミナルに移し、 なおかつ官民ともに各産業の情報発信の最前線でいられたなら、 その港町の姿ははいつまでも変わらないと思います。 どの港町を見ても、この「産業」と「スポーク」の原則は間違いないはずです。 よく復興のためのウォーターフロント計画などを目にしますが、 この原則を見落とした「市民参加型」だとか「箱モノで集客」だとか、 トンチンカンな方向を向いたものが随分多いように見受けられます。
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- blackhill
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以前は、神戸も横浜も人流、商流、物流の結節点でした。しかし、今は物流だけが残り、それもコンテナ輸送で省力化、大規模化が進みました。 サンフランシスコやマルセイユは過去の遺産を巧みに利用していますが、もはや港町とは言えないでしょう。ボストン、バルチモア、ロンドンなども「ウォーターフロント再開発」で有名です。googleで検索してみてください。 より詳しい情報は、地理や歴史のカテゴリーで尋ねてはいかがですか。
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ありがとうございます。 なるほど。 地理のカテゴリーの方が良かったかも知れませんね。 「ウォーターフロント再開発」、調べてみます。
お礼
回答ありがとうございます。 ハブとスポークですか。 はじめて拝聴する理論ですが面白いですね。 ウォーターフロント計画に対する見解も傾聴に値すると思います。 ただスピードと効率が向上した現代にあっては、仮に扱う物量が同じだったとしても、作業に必要な人手や時間が過去に比べてかなり軽微になっています。 たとえば貨物船一隻の荷下ろしには1970年頃までは一週間かかっていましたが、現在は機械化が進み、一晩で済みます(しかも過去の船よりも大きな船です)。 当然船員の滞在期間も短縮されていますし、そもそも自動化の影響で船員の数がかなり少なくなっています。港の施設もかなり変化しています。それは街の風合いにも繁栄されます。 したがって産業のスポークが維持されていたとしても、「繁栄」の中身が違ってくる気がしますね。 (風合いの変化は、工業化社会から情報化社会に変化したことも原因ですが) 繁栄を維持することと港町らしさを維持することを、切り分けて考えなければいけないと思いました。