クジラの竜田揚げくらいしかおいしかったと思えるものがありません。よく話題に出るソフト麺や揚げパンは「何それ?」です。デザートなんて「けしからん」ものでした。
地域的な理由もあると思います。当時(今でもそうですが)給食センターで働く人は親や祖父母の世代の人でした。この時点で子供たちと味覚が違います。栄養面は配慮していたのですが当時の子供や今の大人が考えるような「おいしく食べる」という感覚はほとんどなく、極端な薄味、極端な野菜偏重がありました。肉は細切れがわずかに入っている程度で冬期には冷えてしまって脂身や浮いた油がロウのように固まって口の中にこびりつきます。カレーはありましたが米飯はないのでカレー汁というものでした。カレーと言っても色と匂いだけで辛みは全くありません。香辛料は無条件で体に悪いと考えられていたようで食べると「秘結(便秘のことです)になる」と言われたものです。
そんなこんなで当時思ったのは「おいしいものは体に悪い。体にいいものは食べにくい」ということでした。まさに「良薬口に苦し」を毎日行っていたわけです。
思い起こしてみると、あの頃増えつつあった加工食品、冷凍食品、インスタントへの恐怖心、子供たちを「変なもの」から守ろう、このままでは子供たちの舌が変になってしまう、という思いがあってのことだったのかもしれません。しかし今のような食育という考えがあったわけではないので子供たちには伝わらず、給食に対する敵対心だけが育っていったような気がします。「給食のおばさんに手紙を書こう」という企画があればそれこそここでは書けないような内容のものが出て来る始末です。
食べ物以外で記憶に残っていることとして「おてふき」と「ランチマット」があります。おてふきは紙製で殺菌剤の入ったおしぼりですが、これの配布の仕方が全く考えられていない。ちゃんと手から手へ渡さず当番が机の上にべちゃっと落とすだけ。給食時間には班ごとに机を寄せて上にマットを敷くのですが、子供のことです、おかずや牛乳をこぼすヤツはたくさんいます。なのにそれを洗うような指導は一切しない。次の日なんか凄まじい悪臭を発する中で食事をすることになります。
どうやら私の地区では給食が始まって間もないころで、食べ物面、指導面ともに暗中模索の時代だったようです。
お礼
大人の側の「子供の舌を守ろう」という意識は確かにあったかもしれませんね。今から考えると「飢え」の経験がないだけに、子供側は好き勝手な注文をしていたような気がします。食事の指導もしていた地域もあったのですね。 回答ありがとうございました。