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死刑を自殺の手段としたがる殺人犯に対して、どう向き合うか?
タイムリーな話では、通り魔の犯人の例をあげます。 自分で死ぬのは痛いので、人を沢山殺して死刑判決を得て、それをもって(国の力を借りて)自殺としたいという考えです。 こういう場合、死刑判決以外だったらいずれは世の中に出てきます。 無期懲役でも出てくるでしょう。 もし、その時点で本人が更正されていなければ、再び人を殺してどうしても死刑になるように画策するでしょう。 こういう考えは今までになかったものですが、本人が死刑にならない限り、犠牲者が出てくることは容易に想像がつきます。 「自殺の手段として死刑を利用する人」に対して、どう向き合えばいいのでしょうか?
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その程度の浅はかな考えで殺された人間の無念を思うと、胸が張り裂けそうになります。 私が遺族なら死刑以外に考えられませんが、一瞬の苦しみでは到底納得しないでしょう。 「お願いです…いっそのこと、一思いに殺して下さい」 と哀願されるほど痛めつけたい(一言でいえば長期間の拷問です)ですね。 どう向き合う?そんな人間にまともに付き合う必要はありません。
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- fuss_min
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すごいタイミングですね…。 質問者さんがこの質問を立てた約一時間後の23日20時過ぎ、 東京駅で“死刑願望”の24歳の男が、 60歳の女性を線路内に突き落とす事件があったようです。 また、米国では自殺願望の人が、 警察官を利用して自殺する事例が多発して 社会問題となったようです。 警官にナイフなどで刃向って撃たれて死んだあと、 所持品から遺書が見つかる事例が多いようです。 数年前には、東京の私鉄で線路に飛び込んで 自殺を図った女性を救助した警察官が、 入ってきた電車にひかれて死亡しました。 さらに、自殺願望を明確には宣言していないものの、 韓国の地下鉄で病気で余命が短いことを悟った男性が、 電車に放火して乗客100名超が死亡する事件もありました。 この四者に共通するのは、 自分の都合で人様を巻き込んでいるということです。 そこで私は、彼ら彼女らの自殺願望という前提そのものを 疑う必要があると考えます。 つまり、死にたいという願望よりも、 他人を巻き込みたい、世間の注目を浴びたいという 願望が上記の人達に共通しているように思います。 本当に死ぬ覚悟があれば、 山の中で一人で死ぬはずです。 質問の前提を否定してしまって恐縮ですが、 私はこの点から考えていく必要があると思います。 極端に言えば、彼ら彼女らは、 ある種のジコチュー人間ではないでしょうか? しかし、彼ら彼女らはそれに気がついていないでしょう。 この点をもっと世間の人々に認識させるべく、 他人を利用した自殺願望は真の自殺願望などではない 自己中心的な甘えた発想以外の何物でもないことを、 心理学の専門家などが先頭となって 警鐘を鳴らしていくべきでしょうね。
お礼
駅のホームで突き落とした犯人は大阪の人らしいですが、わざわざ東京までやってきての犯行なんですね。 >死にたいという願望よりも、他人を巻き込みたい、世間の注目を浴びたいという願望 意志の弱いジコチュー人間なのかも知れません。 きっと、ひっそりと死ねない人なんでしょうね。 死刑を利用した自殺志願者というのは、今までになかったパターンかも知れませんから、そういう人の心を分析することが必要ですね。 そこに至ったことを知ることで防ぐことができる可能性もあります。 回答を頂き、ありがとうございました。
- dell_OK
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どう向き合うか。 これは単純に、理由はどうであれ、 「人を殺そうとしている人」の事ですから、 殺されないようにするしかありませんが、 それはどんな人のどんな状況からもと同じで、 普段どおりに生活するしかありません。 ※おそらく、人を殺さないと死刑にはならないと想像。 向き合うも何もないような気がします。 私は向き合う必要もありません。 では、彼らをどのように処していくか、と言う事を検討してみました。 とにかく死にたい、死ねればいい、と言う事で。 まずそのような人がいたら、 「自殺にかわって死刑を志願する」届け出をしてもらいます。 そのような人が何人か集まると、提出順で死刑にします。 最初の人は何もしません。 2人目は最初の人を殺し、その刑罰として死刑を宣告されます。 3人目が2人目を殺し、その刑罰として死刑を宣告されます。 と言う具合に、死刑を受けるために人を殺し、 その刑罰として死刑を受けます。 殺される人は、その前の死刑囚です。 殺す人が死刑執行人であり、次の死刑囚となりますが、 死刑の方法は定めてはいません。 最後の人は、次の人が届け出るまで待つか、通常の死刑を行います。 死にたい人が死刑によって何の問題もなく処されていきます。 死刑の名を持った殺人、殺人の名を持った死刑。 死刑執行人を殺す事は重罪であり死刑に値する、 と言う法があれば十分でしょう。
お礼
なるほど、刑務官の代わりに死刑囚同士で執行するんですね。 もしそうなったら、直前になって考えが変わるかも知れませんね。 執行したら、次は確実に自分が後の死刑囚から執行されるということ。 しかも生死の判定までやらされたら、きっと萎えてしまうでしょうね。 最大の抑止かも知れませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
死刑を「希望制」にする。 どんなに更正させようとしても、更正できない人、更正する気のない人は、更正できない。 そんな人がまた社会に出て、新たな犠牲者が出るのは許せない。 ただし、安楽に死ぬのは納得いかない。 恐怖の中で、苦しんで苦しみ抜いて死ぬ方法を考える。 そして、死に至る苦しみの中で、自分が犯した罪をほんの少しでも認識して欲しい。
お礼
希望制ですか、面白いですね。 こういう人は、痛み苦しみながらの刑がいいですね。 こういう人は死刑が唯一の希望ですから、更正も何もないでしょうね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- NEKOGABURI
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- haraido
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実行不可能なのは、分かってますが、あえて言ってみます^^ >自分で死ぬのは痛いので、 ものすごく痛い刑を作ればいいんじゃないか、と。 ただじゃ死なせないみたいな残酷刑とか。 江戸時代なら磔獄門ですよね(;^_^A あるいは、ちょっとコミカルだけど、 つらそうな全国民から一発ずつビンタされる刑とか。 ちょっと空想で考えてみたりするだけで、実現は無理でしょうけど。 楽をさせちゃぁいかんかな、とは思います。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 そうですね、痛みと苦痛を伴う刑が効果ありそうです。 逆に、1年間くすぐられ続けるとか・・・ ありがとうございました。
どう向き合うか… 何故、殺す少数派に、殺さない多数が合わなくてはならないのでしょう。 安易な考えで回答するなら、死刑を望む人ほど生かして欲しいと思います。 死刑を自殺の手段に選んだ時点で、命を持って償うという考えは、成立しません。 一年間拷問後、死刑。 また死刑を望むもの同士、戦わせる。 1ヶ月晒しもの。 など、奪われたものの恐怖や痛みを少しでも思い知って欲しい。
お礼
>何故、殺す少数派に、殺さない多数が合わなくてはならないのでしょう それは、そういう人が、一般市民を殺すことで自らの希望に近付くという考えに基づいて行動するならば、私たちにも危害が及ぶこともあり得るからです。 別に対峙するということではありません。 そういう考えの元に悲惨な状況が生まれているのは現実ですから、どう考えたらいいか、ということです。 回答を頂き、ありがとうございました。
- 砲術長(@houjutucho)
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それこそ、死刑制度を廃止する代わりに 終身刑(特赦・恩赦は認めない)を早急に法制化すべきです。 さらに言えば、終身刑専用の刑務所を 尖閣諸島・南鳥島・竹島に造って これらの島々が、全て日本の領土だと 宣すべきです。 因みに、此処(この刑務所)では 完全自給自足を、受刑者に義務付ける事といたしましょう。
お礼
終身刑&完全自給自足ですか! 生きたくない人が生きるために自給自足をする・・・ これはまた彼らにとっては屈辱ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- sugeaho
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自殺希望者の申告によって、 殺してあげる制度を作ればいいと思います。 しかし、現実の問題として、 「はたして、本当に死刑になりたくて犯罪をしているのか?」 ということです。 本人は「死刑になりたくてやった。」 と言ってますが、必ずしもそうとは限りません。 犯罪は、犯罪を起こしたいから起こすもので、 やりたいことをやっちゃった後で、つかまったときに 死刑になりたくないが故に 「なりたい」とウソの申告をしているのだと 私は思うのです。 本当に自殺したいような無欲の人がわざわざ他人に迷惑をかけるような バイタリティがあるはずがないと私は思うのです。
お礼
>本当に自殺したいような無欲の人がわざわざ他人に迷惑をかけるような バイタリティがあるはずがないと なるほど、そういうものでしょうかね。 でもその代償として人が亡くなるのは耐えられませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
「それでも更生する日が来ると私達は信じなければならない」 死刑以外の判決に対してですが。 正直、私も100%そうは思いませんが法を司る方達はこのように考えなければ職務に対する心の軸歪んでしまうと考えます。 そう、理想論。 しかし、誰もが目指す社会があるから理想なのであって、全てを諦めてしまった社会には誰も希望は持てなくなってしまうのではないでしょうか。 私自身は江戸時代のように首から上を出して道端に埋めてそこを通る人(希望者)に一回ずつ竹製の鋸で首をひいてもらえばいいのに。などとニュースを見ながら考える残虐な思考の持ち主なのですが。。。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 多分、法治国家たる法律が想定していない状況なのかと思います。 死刑を自殺の道具に利用するなんてことは・・・ 更正を期待して、法律にのっとって粛々と遂行するしかない(それが当たり前)のでしょうね。 ありがとうございました。
- anaguma99
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動機によって死刑を選択できるわけではないので、 あいまいさをなくすためには、 逆に死刑をなくせばそのような犯罪者は発生しない ということになります。 死刑の適用基準を緩める方法もありますが、 これではそもそもの事件を防ぐことができません。 敷居が低くなることで、逆に同種の事件が増加する可能性もあります。 となると、そういった人間は、 事件を起こす前に死刑にすることが考えられます。 これは全国民について社会的性向を心理テスト等によってチェックした上で、 こういう場所への書き込みも含めて日常の行為を監視して、 犯罪を起こしそうな人間を事前に取り締まる ということになるでしょうか。 「向き合う」ことを本当に考えるなら、 彼らがそのような行為に至る前に 何らかの日常的な働きかけを行って 社会への帰属意識を持たせることが重要でしょう。 社会にも自分にも何の価値も見い出せないことも 事件の遠因としてあるでしょうから。
お礼
>彼らがそのような行為に至る前に何らかの日常的な働きかけを行って、社会への帰属意識を持たせることが重要 そうですね、ただ心の奥を見出すのは至難の技で、それこそ、価値を見出せると自覚できるかは人それぞれですからね。 >犯罪を起こしそうな人間を事前に取り締まる これも議論百出かと思います。 犯罪を起こしていない人を取り締まるには法律的な要件を抜本的に変えないといけないし、(テストをしても)何でもない人が取り締まられる可能性もありますから、そのストッパーとなる仕組みが必要かと思います。 回答を頂き、ありがとうございました。
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お礼
恨みでも何でもない動機で、見ず知らずの人が亡くなるのは絶えられませんね。 それと説明不足で失礼致しました。 向き合うというのは、付き合うということではなくて、どう考えて対処したらいいのか、ということです。 人を殺しているけど、死刑でもダメ、無期でもダメという状況・・・ 相手の希望に叶うように死刑でいいかどうか。 償いの究極としてに死刑ですが、気持ちに償いがない人をどう償わせるか、という問題です。 回答を頂き、ありがとうございました。