今は
アー、ワイン飲んで寝られる!うれしい。
ですね。
時には離陸したのを覚えていないほど、
離陸前に眠りについていることもあります。
いつだったか、バンコクで搭乗者にぼんくらが一人いて
出発が30分くらい遅れたことがありました。
その前に待合室でシャンペンを飲んでいて、機内に座って
一杯だけワインを飲んだら、眠たくなって寝ちゃいました。
離陸前です。
当然離陸も知らず、隣の友達に起こされたのは
成田でドアが開いた時でした。
起こされた時、まだとばねーのかよ!
と思ったらすでに成田。
離陸も着陸もまったく知らず、まるでおとぎの国
寝てますから時間の意識がなく、
瞬間移動したような感覚でした。現地では毎日朝早くから
夜おそーくまで遊んでいたので旅疲れがひどかったようです。
初めて乗ったのは5つくらいのとき、今から47年ほど前のことです。
親父が台湾出張に行くときに一緒に連れて行ってもらいました。
神奈川県の田舎の会社だったので、そりゃ大騒ぎ!
社員全員で、50人くらいかなぁ・・
羽田のデッキまで送りに来てくれました。
まだ、プロペラ機でした。
台湾とはいえ飛行機で行くなんて事は、その数年前まで
戦争負けによりアメリカに制空権を奪われていましたから
珍しかったのでしょう。
そのときは超興奮状態!わくわくを通り越してましたね。
冬の寒い夕方、タラップで搭乗して
上りきってから振り返ってデッキの方に手を振って
乗り込んだ覚えがあります。まるで今の要人みたいでした。
建物や周りの灯りがとてもきれいだった印象が残っております。
大人になってからは18才のときにヨーロッパを
バックパックで旅をするので交通費はとにかく安く上げようと
南回りで行きました。
東京→大阪→香港→シンガポール→バンコク→ニューデリー
→バーレイン→アムステルダム→パリ→ロンドン
でトータル45時間飛行機に乗りっぱなしでした。
そのころのジャンボの中央列は全部肘掛が上がるようにできており
バンコクを過ぎるとガラガラでしたので
肘掛を全部とっぱらい横になって寝ていました。
さらにバーレインからはジャンボなのに
客は20人くらいしか乗っておらず
スッチー(今では死語になっているかな?)と
いろんな話したり、トランプなんかやっちゃって遊んでました。
機内食もほぼ食べ放題で腹減ると時間でなくても
スッチーに腹減ったというと適当に出してくれましたねぇ。
いい時代でした・・・。飛行機内が非常に楽しく感じられました。
さすがに帰りの便はパリ→モスクワ→東京の北周りで13時間で
帰って来ました。
学校を出てからは海外出張の多い会社で働き、
今は自分で経営していますが出張は多いです。
仕事がらみで飛行機の乗ることが多く、その中で
安息を獲得してきました。
仕事にもかかわらず、昼間っからワイン飲んで
寝られるのは飛行機の中しかありません。
その間は携帯もならないし、書類仕事をしようと思えば
はかどるし、私にとっては最も安らげる場所となっており
今では強引に最低でも月一で出張しています。
いずれにしても搭乗前は
あー、やっとゆっくりできる!
早く乗りてーなぁ。ですね。
不安がある人がいらっしゃるようですが、
そりゃクラッシュがあれば命はありませんが
その確率といったらないに等しいくらいです。
保険会社では「コンマ4パーの確率」という言葉があるくらいで
99.9999パーセントの安全でなければ
保険会社はやっていけないそうです。
逆を言うと
0.0001パーセントの死亡率だといいますから
まず、当たることはないですよ。
外野席が1万人いるとして、ラミレスのホームランボールを取れる確率のそのまた百分の1の確率しかないんですよ。
ただでさえ取れないのにその1000倍取れないんですから
絶対取れないのと同じです。
そんなの取れるくらいならとっくに万馬券当たってます。
18通りしかない単勝でさえあたらねーのに
何で100万分の1に当たっちゃうのよ!です。
だから、不安なんて感じるのはばかばかしいんです。
地べたで生活してる方がよほど危ないです。
交通事故で命を落とす人は2000人に一人です。
一方、飛行機事故で命落とす人は
100万人で一人です。
車でも歩きでも道行くより500倍も飛行機の方が安全なんです。
何で不安を覚えるか私にはわかりません。
生涯飛行機で暮らしたいくらいですよ。
そりゃ確かに事故にあう人もいるんですから
絶対に!とはいえませんが自動車より500倍安全!
なのですから不安はないと思いますけど・・。
お礼
ご回答ありがとうございました。 本当にいろんなお話を聞かせていただきました。 こんなに力のこもった回答は久しぶりです。ww 私も世界旅行をした気分になれました。