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ふるさとへ
昨日15年愛したネコが失明したと知りました。 私はもっと楽しませてやればよかったと後悔しました。 せめて、15年前生後3か月で離した親元へ里帰りさせて、 懐かしい匂いをかがせてやろうかと思っているのですが、 果たして15年前の生まれた家の事を、 ネコは覚えているのでしょうか? 喜んでくれるのでしょうか?
昨日15年愛したネコが失明したと知りました。 私はもっと楽しませてやればよかったと後悔しました。 せめて、15年前生後3か月で離した親元へ里帰りさせて、 懐かしい匂いをかがせてやろうかと思っているのですが、 果たして15年前の生まれた家の事を、 ネコは覚えているのでしょうか? 喜んでくれるのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 私がふるさと訪問のことを思ったのは、 最近の愛ネコを見て思ったのではないのです。 あの子は怖がりです。 あの子が初めてうちに来た時、どんなにさびしかったことでしょう。 あの子が初めてうちに来た時、どんなに恐ろしかったことでしょう。 人間がかわいい子猫がほしいという勝手な事情で、 あの子を連れて来た訳です。 この15年間、そのことを忘れたことはありません。 私があの子を飼っていたのではありません。 あの子が私の癒しの為に犠牲になってくれたのです。 しかも気の遠くなるような長い年月にかけて。 私は出来るだけその素晴らしいことに報いたいと思いました。 しかし、あまり出来なかったように思いました。 そして、目が見えなくなりました。 いささか遅いと思いました。 でも、幼くして親元から離されたあの時に対する懺悔を、 ふるさと訪問という形でやろうという、前から気になっていたことは、 嗅覚の残っている今ならまだ出来るのではないかとおもいました。 ところがそれは私が勝手に思っている事。 愛ネコの心理は今、どうなっているのか、本当にそれが報いになるのか、 慎重に検討しなければならない、そう思って質問しました。 残念ながら生家は車で1時間以上かかり、 あの子の体調もそんなに元気ではありません。 その上、郷愁の念がないというのであれば、 もう、ふるさと訪問の線はあり得ないと思うようになりました。 春、あの子が陽だまりの中で元気よく遊ぶ姿は、もう見られません。 しかし、心の中はあの頃のままです。 私はあの頃と同じように、あの子を愛して行きます。