ドキュメンタリー映画で良かったものをご紹介します。
社会派作品として優れているものも多いことがわかります。
日本映画
「アントニー・ガウディー」1984年 監督. 勅使河原宏
ナレーションはなく、説明の字幕も極力抑えて、「アメリアの遺言」と武満徹の音楽で静かに建築家ガウディーの世界を見せていく記録映画である。従って伝記的な要素もほとんどなく、動く博物館といった切り口は、実に清々しく、観ていて心の落ち着きを感じることができるだろう。
「全身小説家」1994年 監督. 原一男
89年12月16日、文学伝習所の生徒を相手に余興で女形の格好をして踊る場面から始まる。このドキュメンタリーは、作家の井上光晴の晩年の姿を手術の場面に至るまで克明に描いて行く。冒頭のシーンで、井上の壮絶なサービス精神と鬼気迫る色気が見事に凝縮して呈示される。
「サワダ SAWADA」1996年 監督. 五十嵐匠
副題に「青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死」とある。沢田教一についての様々な証言を中心に、その生涯をたどっている。事実の持つ重みが圧倒的な力作である。
「教えられなかった戦争・沖縄編―阿波根昌鴻・伊江島のたたかい」1998年 監督. 高岩仁
阿波根昌鴻〔あはごん・しょうこう〕の淡々とゆるやかに歌うがごとき語りは、不条理な暴力に対して暴力によらない彼の運動を象徴的に物語る。威厳に満ちた人格そのものを感じさせる声の響きでもある。「犠牲・負担を感じてやっているのでは、平和運動を行う資格はない。自分自身が豊かでゆとりがなければ、人を幸せにすることなどできないからである」昌鴻さんの言葉は軽やかで重い。
「ファザーレス 父なき時代」1998年 監督. 茂野良弥
事実の持つ重みがびしびし伝わってくる凄い映画だ。78分の上映時間の中に詰まっているのは、村石雅也〔22歳〕という日本映画学校の生徒と、その父母、義父、兄との葛藤である。そして、これは日本映画学校の卒業制作版がもとになっている記録映画である。
「日本の近代土木を築いた人びと」2001年 監督. 田部純正
現在の日本の姿を見るにつけ、明治の偉大な先人たちの業績を食いつぶして生きているなと思わないわけには行かない。日本人だけで作った鉄道トンネル〔京都・大津間の逢坂山トンネル〕の建設。琵琶湖の疎水工事の一環である長等山トンネル工事。三条蹴上の水力発電所建設。彼らの涙ぐましい努力によって、我々の豊かで安全な生活が成り立っていると言ってもいいほどだ。今の日本の利己的で荒廃した精神状況や物質にのみ頼った向上心のなさを考えると、この映画の投げかける意味の大きさに更に気づかされる。
「チョムスキー 9.11 Power and Terror」2002年 監督. ジャン・ユンカーマン
アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーの講演とインタビューをもとに構成されているドキュメンタリーである。鋭く問題点を指摘しながらも、常に穏やかさを失わず、激越な調子にはならない。温かく豊かな人間性が顔や表情、たたずまいに溢れているチョムスキー。
「曖昧な未来、黒沢清」2002年 監督. 藤井謙二郎
現在の日本映画で最も重要な監督・黒沢清の考え方を知る上で、とても貴重なフィルムだ。彼は、人間のほとんどの行動には理由がないと言う。俳優への指示も「どっちでもいい」と言う時、それは本当にどっちでもいいからなのだ。人間は判り合えるはずがないから、議論するのも苦手だと言う。議論をして行くとはっきりするはずのない理由がはっきりしてくるから怖いと言う。
「蟻の兵隊」2005年 監督. 池谷薫
日本軍山西省残留兵の一人・奥村和一(おくむら・わいち)(当時80歳)にスポットを当てて、戦争の残酷さを描く。彼らは、敗戦後、中国国民党軍に編入され、共産党軍との内戦を戦うことを強いられた。1954年にようやく帰国した時には、国は彼の軍籍を認めなかった。つまり、彼らは勝手に戦争を続けた・しかも中国国民党の傭兵として、という解釈なのだ。奥村さんは語る。「自分は本当の戦争を知らないかもしれない。だから、もっと知っている人たちに聞いておかねばならない。それは時間との闘いでもある」
※ かなり前に観たので、記憶は曖昧ですが、「1000年刻みの日時計 牧野村物語」1987年 監督. 小川紳介
も有名な作品で、傑作です。
外国映画
「砂漠は生きている THE LIVING DESERT」1953年 監督. ジェームズ・アルガー
女亀を争っての男亀同士の闘争、同じくカミキリムシの戦い、タランテュラの求愛ダンスとそれを見守るフクロウ、負けてやけになったカミキリムシ対蜘蛛・カエル兄弟、ガラガラヘビから赤ちゃんを守るポケットネズミ、ヘビを撃退するネズミ・タランテュラに勝つクモというような弱肉強食ならぬ柔よく剛を制す、ヘビ対鷹、などとても見どころの多いドキュメンタリーである。
「夜と霧 Nuit et Brouillard NIGHT AND FOG」1955年 監督. アラン・レネ
ワルシャワ近郊にあるアウシュヴィッツ強制収容所を描いた記録映画。感傷的でない音楽が残酷な歴史を一層際立たせる。
「ロジャー&ミー ROGER & ME」1989年 監督. マイケル・ムーア
怒りを叩き付けるようなタッチではなく、冷静に粘り強く追求して行くマイケル・ムーアの姿勢は、近作の「ボウリング・フォー・コロンバイン」にもつながっている。かつてゼネラル・モータースのCMキャラクタだったパット・ブーンが、失業も転機だと思って“アムウェイ”の販売員になれば、などといい気な事を言う場面は印象的。
「ハロルド・ロイド物語 命知らずの喜劇王」1989年
教会の屋根をてっぺんまで登った少年時代から始まって、ロイドの生涯を、関係者の証言と本人の言葉、映画の名場面集から探って行く記録映画である。200本近くの映画を製作したロイド〔チャプリン81本、キートン141本〕。今我々はその中のほんの僅かをビデオで観ることしかできない。
「ワイルド・マン・ブルース WILD MAN BLUES」1998年 監督. バーバラ・コップル
ウディ・アレンのニューオーリンズ・ジャズ・バンドを率いてのヨーロッパ・ツアーの模様を描く。
「ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実 ONE DAY IN SEPTEMBER」1999年 監督. ケヴィン・マクドナルド
スピルバーグが「ミュンヘン」で描いたことは、何と不十分なのだと、改めて思い知らされるドキュメンタリーの傑作だ。現在唯一生きているテロ団〔パレスチナ・ゲリラの過激派《黒い九月》〕の1人の証言から始まり、その余りに身勝手な言い分にあきれ果てつつも、その世界にどんどん引き込まれて行く面白さがある。
「戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界」2001年 監督. クリスチャン・フレイ
人を思いやれば、人から受け入れられる。その心があれば、私は私を受け入れられる。ナクトウェイの生き方は、凄いとか勇気がある・立派だということを超えて、神々しさを感じさせる。
「デブラ・ウィンガーを探して SEARCHING FOR DEBRA WINGER」2002年 監督.ロザンナ・アークエット
似通ったSFXに片寄り、大人としての女優の出番が少なくなって来ているハリウッドへの批判である。女優ロザンナ・アークエットが自らの悩みから発して、いつのまにか、アメリカ文化の問題へと追及を深めているのは素晴らしいと思った。
「敵こそ、我が友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~ MY ENEMY'S ENEMY
MON MEILLEUR ENNEMI」2007年 監督. ケヴィン・マクドナルド
リヨンの虐殺者といわれたナチスの戦犯クラウス・バルビーが、戦後ヨーロッパの選挙で左翼政党を台頭させないために必要な存在となり、アメリカ陸軍情報部(CIC)に入る。バルビーの秘密結社は、過激派とも結託し、90年代まで暗躍することになる。1950年クラウス・アルトマンのパスポートで家族と共にボリビアへ亡命した時には、ゲリラ組織への拷問の仕方なども伝授した。そのボリビアにキューバ革命政権から離れたチェ・ゲバラが潜入し、処刑されてしまう皮肉。バルビーが終身刑を宣告されたのは1987年7月3日。1991年9月獄死した。