エイリアンズvsプレデターに見る米国の国民性
2012年1月8日の日曜洋画劇場[テレビ朝日系]において放映された「AVP2エイリアンズVSプレデター」の作中で、主人公が「武器が無ければ逃げ切れない」と言って、銃砲店から銃器を強奪するシーンがありましたが、何故その様な判断になるのか不思議です。
その時点では人を襲う怪物が街に侵入しているという事が判明している程度で、主人公と接触した人々の中には、化け物が複数存在している事を目撃した人間は居ませんから、街が敵に囲まれて居る等という考えにはなりませんし、プールでエイリアンと遭遇した5人の内、3人が走って逃げ切れた処からして、車を使えば十分に逃げ切れると考える方が普通だと思います。
それにも関わらず、手持ちの銃器のみを持って直ちに街を脱出するのではなく、化け物に襲われる危険を冒してまで銃砲店に押し入ったという事は、アメリカでは、「何かあったら、兎に角、銃砲店に行って銃器をかき集める」(←例え合理性に欠けたとしても)という発想が一般的なのでしょうか?
それから、映画のラストでは、米陸軍が(陸軍が保有していない筈の)固定翼ジェット機(米空軍のみが保有しているF-22に似ていましたがF-22のウェポンベイに搭載可能な核兵器ってありましたっけ?)による核攻撃で、エイリアンに侵された街を吹き飛ばしていましたが、何故、大量の市民の生命を犠牲にする核攻撃を行ったのかが判りません。
映画の時間軸では、人類がほぼ初めてエイリアンに遭遇した時点であり(前作「エイリアンVSプレデター」の直後なので、前作における生き残りのアレクサ・ウッズは、未だ南極を彷徨っていて、彼女からの情報は届いてはいない筈)、当然、エイリアンの生態などは判っては居ませんから、例え核の炎でエイリアンを殲滅するとしても、その前にまずは市民の避難を完了させてからでなくては、実行する事は出来ないと判断するのが普通だと思います。(それに、爆心地からある程度の距離を置いた地点で、2m程度の深さの穴に隠れれば、人間でも爆風と熱線には耐える事は出来ますから、核攻撃でエイリアンを殲滅出来るとは限りませんし)
又、核攻撃から生き残った主人公たちが軍に保護されるシーンもありますから、「目撃者の口封じ」や「エイリアンの幼生(チェストバスター)に寄生された人間の処分」といった理由で核攻撃を行ったのではない事は明らかです。
それにも関わらず、核攻撃が断行されたという事は、アメリカでは、「何か訳の分からない事態になったら、状況確認を行うよりも先に、兎に角、住民も含めて街ごと処分してしまえ」という発想が一般的な感覚なのでしょうか?
お礼
ありがとうございました。 リンクのレビューを読んでみましたがあまり良くない感じですね。 年始に何も考えなくてもいいような ハタハラドキドキの映画でも見たかったのですが・・・