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偉大な指揮者の謎

一般的に言われる 「偉大な指揮者」 って多いですよね。 フルトベングラー、カラヤン、ワルター ・・・ などなど、数え上げればキリが無いと思います。 そこで質問です。 1. これらの指揮者はなぜ 「偉大」 なのですか? 他の指揮者とどこが違うのでしょうか? 2. 偉大な指揮者が有名なオーケストラを指揮した作品の場合、何度も聴いているはずなので、耳の肥えた人なら最初の一小節目で 「あっ、これは○○が△△交響楽団を指揮した作品に違いない」 と分かる (私にはとても無理) と思うのですが、もし今まで一度も発表していない作品のテープを聴かせた場合でも、同じように瞬時に分かるものなんでしょうか? それとも 「さて? 誰がどこのオケを指揮したものやら ・・・」 となるでしょうか? 3. たとえばカラヤンがベルリンフィルを指揮した作品と、同じくカラヤンがウィーンフィルやニューヨークフィルで同じ曲を指揮した作品があった場合 (本当にあるかどうかは別として) ですが、目を瞑って聴いて、どこのオケが演奏したのか分かるものなんでしょうか? 有名な交響楽団には独特の音色があると解説されるケースが多いのですが ・・・ 4. 上の続きなのですが、例えばカラヤンがN饗をベルリンフィルのようなイメージで指揮した場合 (もちろん、団員もベルリンフィルの真似をする)、聴いたファンはベルリンフィルと間違う可能性はあるでしょうか? それとも、「いや、ベルリンフィルはこんな音色であるはずがない!」 と分かるものでしょうか? ふと疑問に感じました。

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回答No.4

追加投稿・・・・#2 hossannpapです。  後回しにした、質問1.の答えを忘れてしまいました。  先ず、偉大といわれる為に必用な条件として、カリスマ性や曲の解釈など、音として送り出す総合的な能力を問われるのは当然の事ですが、この事は、敢えて触れません。私は、時代の持つ不思議な一致から考えてみました。つまり、優れた指揮者は何時の時代にも現れますが「偉大な指揮者」といわれる人達を「大巨匠時代」という言葉と重ね合わせるのであれば・・・と言うスタンスなのです。  先ず、多くの愛聴者に聞かせる事が出来るようになった時代との関りがあります。  どんなに優れた巨匠でも、伝説的物語としては語られても、音源が残っていなければ、後世の人にとっては、そうですか。解りました。と、言う外無い!  音源が残せる!それも、努力少ない想像力でも演奏の質や音色、演奏から感じ取れるメッセージ性などが、落ちていない音源が残せるようになった時代に、運良く、評価される立場にいた指揮者でなければ「偉大な指揮者」とは、言ってもらえなかったでしょう。  多くの人が、それまでとは圧倒的に違う高音質で、再生音楽を聴ける様になった時代に活動できた幸運を先ず思わなければなりません。  その上での、一曲一曲に対する解釈の深さや、統率能力の優秀さが、言われるわけです。又、レーベルの録音技術や音楽に対する録音技師たちの造詣の深さにも影響されます。  どんな、素晴らしいアーティストも録音技師のクラシック音楽に対する造詣の深さがなければ、測定器レベルでは完璧でも人が楽しむ音楽としては無味乾燥なものになる。その観点から言えば、1650年代から1970年代のレコードの勃興期からは、オランダ・フィリップスやイギリス・デッカ、ドイツ・グラモフォンの様なメジャーレーベルや弱小ですがアメリカ・ウエストミンスターなどには、超マニアックなクラシック・ファンや元々が音楽家だった録音技師が居たくらいです。日本のようにロックや演歌ばかりを録音している技師がクラシックを録音する様な乱暴な事は考えられませんでした。  その様な環境の中で、優れたオーケストラと仕事が出来て、指揮者個人が優れていれば、世界に瞬く間に売れたでしょうね。(現在のスピードとは違いますが・・・)  さて、もう一つの時代背景も無関係ではないように感じます。  レコードの勃興期SPからLPへ移行する頃が、第二次世界大戦の終戦期のタイミングにも重なっている事です。  勿論、例に挙げられた、フルトベングラー、カラヤン、ワルター等は、当に、この時代の影響をも加味して、生み出された音楽そのものも素晴らしいですが、それに、ナチスの及ぼした影響で、其々の人生や生み出される音楽に反映している様に感じてしまうのは私だけでしょうか??  この人たちの持つ時代とそれに重なる固有な魅力に因って広がった、再生音源でのクラシックで、多くの世界の人々はクラシックが身近なものになりました。すると他にも有るだろう、優秀な演奏にも触れたくなるのは当然の成り行きです。その様にして、名声を得るというパターンが考えられます。  前述とは、別種のタイミングも有ったと思います。  19世紀末から20世紀に亘って、楽器の発達と共にオーケストラ編成が、どんどん大きくなりました。その大編成オーケストラの頂点とフルトベングラー、カラヤン、ワルターたちが、タイミングとして一致しています。勿論、其処には#1keyyoh様がお書きの、巨匠達も居るわけで、クラシック音楽としてもスケールの大きい、重厚でたっぷりとした演奏が、多く録音された時代です。  しかし、クラシック音楽に持たれてしまった「堅苦しい・難しい・鬱陶しい」などのイメージが拡がりにブレーキを掛けた事も否定できません。  そう言う見方からすると、ある意味では、憧れや敬意の対象で崇高な音楽が、急に身近なものとなったレコード普及時代~特別なものではなくなった時代~クラシックに比べ他ジャンル曲の大幅な台頭~CDやDLに因るインスタント的音楽全盛の今、と変遷してきましたが、その中で、前述の指揮者たちは、色々な意味の時代背景と合わさり、彼らの没後も「偉大な指揮者」と呼ばれる条件が揃ったとも言えるのではないでしょうか?  尚、偉大な指揮者といわれる、個々の人格や活動、音楽性、能力については、これまた、幾らでも書けますが、余りに長くなりますので、他の回答者様に御願い致します。

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質問者

お礼

再度のお答え、有難うございました。 なるほど、たしかに音源が無ければ、いくら偉大な指揮者と評されてもピンときませんよね。自分の耳で実際に聴いた事が無ければ、おっしゃるとおり、誰でも「フ~ン」で終わってしまうと思います。 となると、レコードが発明される以前に、もしかしたら今以上の「偉大な指揮者」がいた可能性もあるわけですよね。ま、こればっかりは確認のしようが無いわけですが ・・・ それとか、もしカラヤンが100年以上前、つまりレコードやラジオが発明される前に現役で活躍していたとすれば、今のように「偉大な指揮者」との評判がたったかどうか疑問ですね。 あるいは、仮にレコードが存在していたとして、もし録音技術が極めて低く、聞くに堪えないような音質だとしても、それでも「偉大な指揮者」と評されたかどうか ・・・ 疑問は絶えないですね。有難うございました。

その他の回答 (3)

noname#83369
noname#83369
回答No.3

なかなか面白い質問ですね。 僕もクラシックを聴き始めたころは、良く考えました。「そんなに凄いのかよ?」って。 しかし、実際に演奏家の知り合いができたり、演奏を生で聴いたり、また自分でもピアノを演奏するようになってからは、色々と分かるようになりました。 クラシックは面白いですよ。 1. これらの指揮者はなぜ 「偉大」 なのですか?  指揮者の仕事は、まず楽団のとりまとめ役として、特に精神面などで、リハーサルから本番まで通して、皆が一丸となって、充実した時間を創りだせるよう励ましを行うことです。そのために、多くの人の支持、共感を得、オーケストラの演奏という一大事業をなすための、極めて稀な人間的資質が求められるのだと思います。多くの偉大な指揮者に共通する資質として、自分の前に立ち現れた状況に対し、即座に確固たる自信を持って回答が出せる、ということがあります。  実際に、何十人もの人でごった返しているステージ上で「じゅあ始めるよ!」の合図を出すのも非常に重要な役割だと思うのです。  そして、こちらが音楽の核心部分ですが、まず第一にその演奏曲の的確な演奏速度を知り、またそれを伝え、演奏中も指揮棒でそれを現し続ける必要があります。  例えば、ある楽章の中でも、早い部分と遅い部分、ほんの数秒間の間に加速、減速が入れ替わるような箇所、その他、その指揮者なりの、その曲を表現するに当たっての理想的な速度の解釈があるのです。  優秀な演奏家は、経験から、速度変化にたいしてそれぞれ的確な解釈を当然持っていますが、その数十人の別々の解釈を、まさか投票でもして選ぶわけにも行きません。  音色、音勢、ピッチ、その他、楽曲のあらゆる細部にわたって、指揮者は自分の解釈を持っており、それをオーケストラに伝え、また、演奏中も、それを「指揮」するのです。  指揮者の中には、作曲者と実際に、吟味しながら(喧嘩までして)その曲の理想的な演奏方法を模索した人も少なくありません。  例:武満徹と小沢征爾  作曲者自身が、その曲のもっとも偉大な指揮者でもあった例もあります。  例:ラフマニノフ ああ、長くなってしまいました。 つまり、聴いているとそういうことも分かってきますよ、ということです。

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質問者

お礼

有難うございました。 なるほど、偉大な指揮者は楽団の全てを即座にコントロールする能力に長けた人と言えるかも知れないですね。 楽譜の全てから、楽団の全てまでを知り尽くして、意のままに操るのは並みの人にはできませんよね。

回答No.2

 ご質問が、(1)「情緒的な印象としての聴き分け」の事なのか、(2)「物理的・検査データー的聴き分け」なのかに因って、答えるメンバー・グループ・人材は違ってくるものと思われます。  私は、どちらのグループに属すかと考えた時、多分前者だろうと思いました。  勿論、指揮者が誰なのか?(誰の指揮っぽく感じたのか?)を、感じる時、それまでの、各々のリスナーの鑑賞経験の質や量に因って、「らしい」や「多分」を思い、擦り切れるほど聞き込んだ曲の複数の異なる演奏であれば「絶対」や「間違いない」と、言える場合も有るでしょう。  その、区別化の判断材料は、各フレーズのテンポやアンサンブルの音色など、ある意味、物理的にも測定出来る幾つもの事の重なりに因って、人は(鑑賞経験者)その演奏に対して、重厚/スケール感/明るい/若々しい/軽やかな/おおらか/厳しい/暗い、など、形容詞はまだまだ山ほど有りますが、その様な言葉を組み合わせて、作品曲とその演奏とgふぁ描き出した世界を言い表そうとします。その言語表現に因って、別な人は自分の知るどの指揮者の演奏スタイルかに当てはめてみてイメージが湧き易くする作業を、知らず知らずのうちに行っているのではないかと思います。  その究極のところに、質問者様が、お尋ねの「指揮者の聴き分け」と言うカルト的な思いが出てくるでしょう。  前述の中には、判断材料として、(2)が必ず関りますが、私の様曲と演奏からトータルで感じ取る傾向にある者にとっては、部分的解析を積み重ねた結果において、そのデーターを積み重ねて、誰の指揮であるかを当て嵌めると言う事をした事がありません。従って、ここまで書いてきた条件下では、傾向としてのグループ分けはするでしょうが、鑑賞だけで、指揮者特定は出来ないと思います。っと、言いますか、クイズ番組にでも特化した条件下では、その事に意識を集中しますので、或は判別出来るのかも知れませんが、曲と演奏から感じ取りたいと願いながら聴く時の精神的欲求の内容が、分析的でなければ判らないのではないでしょうか?「○○らしい・○○ッポイ」や「似てる気がする」位までではないでしょうか?  特に、同じ曲でも、多数の演奏を聴けば聴くほど、経験値としての幅とその枠内の数が増える為に、似てるは言えても限定は困難に思えます。  言い換えれば『正誤を問わなければ』数種類程度の異なる演奏までなら、言い切ってしまえる方もいらっしゃるかも知れませんね。(経験豊富なほど断定しにくいのではないだしょうか???)  話の、展開が、スムーズでなく、申し訳ありません。  ここで、私の所持レコードの体験から、少し、例え話が出来そうなものを思い付きました。 【同じ指揮者の違う演奏】 ●カラヤンが何度も取り組んだ曲で、チャイコフスキの後期三大交響曲が有ります。ベルリンフィルとウィーンフィルで、其々の曲をどちらのオケでも二度ないし三度も録音しています。  全ての録音は所持していませんが、幾つかは、重なっています。これらの演奏をかなりの時間を経て、聞き比べて、全てカラヤンと判るかと言えば、私では判りません。  一人の、指揮者でも年月を経るとかなり違います。しかし、トータルで思い直すと、其処からカラヤン像の様なものを感じ取れた気にはなります。違いの中に、情緒と物理とが綯い交ぜでの色づけによるカラヤンを感じるのでしょうが、その経験の蓄積から、覆面演奏を聴いて言い当てるのは自信がありません。 ●もう一人、思いついたのは、カール・ベーム指揮のモーツァルト後期三大交響曲(39/40/41)。こちらは、ベルリン・フィルとウィン・フィルの其々のオケの一種類の演奏しか所持していません。こちらは、これが、同じカール・ベームかと思うほど違います。私の好みはベルリン・フィルとの演奏です。私の独断と偏見とお断りして言えば、ウィン・フィルのものは、何れも緊張感が不足し統制も取れていない気がして、曲の最後まで意識を集中して聴けないのです。この違いも分析すれば、情緒と物理が重なって、私を詰らなくさせるのでしょう。  当然、録音技師も録音場所、録音機器も違いますから、音質・音色などの要素の中で、アーティストが関与する違いもあれば、後処理で違ってしまう要素も有るので、物理的な違いは、レベル選択では考慮に入れますが、演奏の内容への判断には影響させないようにいます。 【指揮者違い】  このパターンは、あまりに多数有りますが、何度色々な思考を巡らしても、やはり、感覚的グループ分けの様なところまでしか、私は語れません。(個人特定までは、難しい!)  ここで、一つだけ、自信を持って、断定出来るかも知れないと思えるのは、ある曲の一種類の演奏だけに傾注し聞き込んでいる人なら、その演奏に偶々出逢った時には、言い当てられるだろうとは思います。あくまで、同じ演奏の再生です。同じ曲でも同じ人の別な演奏ではありません。    通常の一般的な鑑賞時に、ジャケットを見ながら・解説を見ながら・TVを見ながら、など、見聞きした時に、なるほど!納得!当に!と、その演奏とアーティストの組み合わせを納得する思考回路はあります。が、鑑賞だけで、資料やデーターを見聞きせずに断定するのには、かなり懐疑的です。 【質問4】に関しては、その様な演奏に興味が無い事もあって、お答えする知識も思考もありませんので、お答えは控えさせて頂きます。  面白い質問にて、色々思い巡らした割には、大した事が、書けませんでしたが、別スタンスとしては、実験してみたらどの様な結果が出るのか面白いかも知れませんね!興味が涌いて来ました。  勢いのみで書き進めましたので、誤字脱字、その他、至らぬ文章になっているやとも思いますが、ご容赦下さいませ。

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質問者

お礼

愚問に真摯にお答え頂き、感謝します。 やはり、クラシックは奥が深いと感じました。 ベーム指揮によるベルリンフィルとウィーンフィルの演奏では、まるで違う印象になっているわけですね。 という事は、やはり伝統あるオケには、誰が指揮しようとも独特の音色というか雰囲気があるわけでしょうね。 偉大な指揮者がいる一方、伝統あるオケも多くありますよね。  昔読んだ世界中のオーケストラを紹介している本は間違いなかったようです。

  • keyyoh
  • ベストアンサー率57% (40/69)
回答No.1

1についての答えというか見解ですが、 一般的に「偉大な指揮者」と言われるのは、有名オーケストラにおいて長年に渡り、自身の指揮活動が評価されている、世界的名声、評価を得ているということになるかと思います。 しかし、映画俳優やロックグループ、ポップス歌手のような「スター性」の有無による、「憧れの存在」的な見方も一部あると思います。 例えば、「絶対的なカリスマ性」を感じさせる指揮者として、 フルトヴェングラー、カラヤン、ムラヴィンスキー、チェリビダッケ、クナッパーツブッシュ、トスカニーニ ワレリー・ゲルギエフ といった人たちは、絶大なる人気を持っていると思います。 もちろん、ただのスター性だけでは、「偉大な」とは呼ばれませんが。今挙げた人たちも当然、実績や国際的評価があってのことです。 個人的には、次のようなタイプの人たちが好きですね。 「優れた手腕で、オーケストラの資質を高め、黄金期を築いた指揮者」 ジョージ・セル ゲオルク・ショルティ フリッツ・ライナー  オイゲン・ヨッフム アンタル・ドラティー シャルル・デュトワ   スクロヴァチェフスキ氏 バーンスタインやサイモン・ラトルはまさに「スター」的存在だと思いますし、ワルターやベームといった指揮者は職人的な存在と言えると思います。 次に2の質問ですが、これは何度も同じ指揮者の演奏を聞かないと無理だと思います。 その指揮者の好む演奏や作品解釈をしっかり把握していないと、一般のクラシック・ファンではなかなか聞き比べは出来ないのではないでしょうか。 長年、いろいろなCDを聴いていると、何となく「誰々っぽい演奏だな」という感じは受けますが、自信を持って「○○の演奏だ!」とは答えらないですね。 3の質問ですが、これも相当聞き込んでいないとわからないと思います。たしかにオーケストラによって音色の違いはあったりします。ドイツは重厚で、イタリアやフランスは色彩を感じるような響き、ロシアは金管や弦楽器に重みがあり、アメリカは派手で明快、日本はドイツの響きに近いと言われたりします。 ですが、これも最近は明確な違いは無くなりつつあると思います。指揮者も出身国がバラバラですし、オーケストラも様々な作曲家の曲を演奏しますから、その曲に合った演奏、スタイルを採るのが通例です。 4の質問ですが、これはある程度カラヤンの演奏に親しんでいる方なら、判断できると思います。 悪気はありませんが、ひと昔のN響とベルリン・フィルは比べるまでもありません。 それにカラヤンの演奏は個性が強いので(圧倒的な重厚感でドラマティックな演奏)、数回聴けばかなり印象に残るかと思います。(ベルリン・フィルをほぼ完全掌握させていましたから) 興味がありましたら、ブラームスの交響曲やR・シュトラウスの交響詩を聴いてみて下さい。 もっとお答えしたいところですが、時間が来てしまい、これ以上書けなくなりました。 参考になりましたら幸いです。

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質問者

お礼

愚問にお答え頂き、感謝します。 私などはカラヤン+ベルリンフィルの演奏と、無名の指揮者が例えばN饗を演奏した作品を聞き比べて、おそらく区別が付かないと思います。修行が足りないのでしょうね。CDの説明を読んで、「へー、これがカラヤンのスタイルか ・・・」と分かったような気になっているだけです。 でも、やっぱり世界的評価の高い指揮者が、いわゆる「偉大な指揮者」と評されるわけですね。 以前、世界のオーケストラを紹介している本を読んだ事があって、その初めに「下手なオーケストラなんて存在しない。 下手な指揮者がいるだけだ。しかし歴史のあるオーケストラは独特の音色がある。」とする説明がありました。 その中で、ウィーンフィルは実に重々しい音色があって、誰が指揮しても大体はウィーンフィルの演奏と分かる ・・・ こんな説明がありました。 「えーっ? 本当?」と思ったのですが、その時の疑問が今でも頭の中に残っています。 でも実際に他の楽団には無い独特の音の深みのようなものがあるのでしょうね。 とても勉強になりました。有難うございました。