これはもともとの意味を辿ればファンサービスという一面は薄く、
sanoriさんの言っているように威光を保つというのが正しいのです。
江戸期より歴代の名人は毎年4月1日(11月17日)に江戸城にてお城将棋を披露しました。
江戸城への出入りを許されることは大変な名誉であり、将棋の格付けに役立ちました。
明治に入ると家元は廃止されますが、約40年の歳月を経て連盟(将棋同盟)ができます。
さて、家元が廃止されてからも当時の高段者は金持ちの好事家から厚遇されました。
当時はゲーム性の高い将棋は世間でも上から下まで絶大な人気があったのです。
重要な戦いでは粗相のないよう格式ある旅館や寺が使われました。
このように社会性のある将棋を新聞社が放置しておくわけはなく、
将棋同盟の設立とともに新聞棋戦は増加していくことになります。
将棋界と新聞社は相思相愛といったところでした。
そしてタイトル戦ともなると、もうこれが格調高く行わないといけない。
卑下するとファンからクレームが来ますし、新聞社間でも競争意識がはたらきます。
また、地方のだんな衆も棋士と交流ができるのですから、是非当地においで下さいとなります。
これなどはファンサービスというよりは上流階級へのご褒美ですね。
かくして色々な思惑が絡み、地方への巡業は既成事実と化します。
タイトル戦が本当の意味でファンサービスを意識し出したのは羽生が7冠を取った辺りです。
それ以前ではタイトル戦でも大盤開設(解説)をすることは少なく、
ホテルへ観戦に来たファンが帰されるということもしばしばありました。
現在では将棋界も胡座をかいていると淘汰されてしまう時代です。
ファンサービスはもっともっと重視しなければいけませんね。