質問に対する回答になるかどうか分かりませんが
山本耀司のコレクションラインは本来大きめのワンサイズ展開です。
販売上のニーズからでしょうか
徐々にS/M/L展開をするアイテムが増えてきましたが
時々初心にかえったかのように
ワンサイズ展開に戻るときがあります。
そんなとき耀司がよくいうのは
「お年寄りも、お子さんも、男性も女性も
みんな同じシャツでイイと思うんです。
性別も年齢も体格も違うさまざまな人たちが同じシャツを着る。
ある人はブカブカに、ロングコートのように。
ある人はピチピチに、ショートブルゾンのように。
袖をまくったり、裾をブラウジングしたりして
自分に合うように工夫する。
個性というのはそういうことだと思うのです。」
なんてことです。
マルタン・マルジェラも
「私は個性的な服よりは制服のようなものをつくっています。
同じ服を着せた方が一人一人の違いが浮き彫りになります。」
と、何かのインタビューに答えていました。
コム・デ・ギャルソンの服は個性的だと賞賛されますが
個性的な人(ショーモデルではなくアーティストやミュージシャン)に
着せているから個性的に見えるだけではないか?
といった批判も一部にはあるようです。
アウトサイダー的なスタイルを模倣して「個性的なスタイル」という
枠組みにはまる罠があると思います。
個性が大事にしていると言いながら
結局トレンドを追っかけているだけという罠もあると思います。
「個性が大事」というスローガンが既にひとつの枠組みだと感じます。
個性とかファッションというのは
自分の現実と理想のギャップをどう埋めるか?の
言い訳にすぎないと思うときがあります。
> どう対処しますか。
最近は、そのときの気分に任せています。
そのときの気分の出方が自分の個性(固有性)かなと思います。
最後の「男性が女性のアイテムを~」の話は
個性化とファッションという質問の文脈の中での意図が読めませんでした。