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40歳の者です、高校の勉強のことで質問があります!

40歳になるせいか、忘れてしまったことがあり、どうしても 思い出せないのでこちらで質問させてください。 日本の教科書に付いている練習問題とかって、日本の高校では 答えが本の後ろに書いてありますか? それとも先生が授業で答え合わせしてくれましたっけ? 今、海外で大学に入るための準備クラスのようなコースで 勉強しています。 (つまり高校生もいるので、こちらで質問しています) その授業では教科書に載ってる練習問題の 答え合わせをしてくれないので、ちゃんとわかっているのか わかっていなのだか、 全然身についていないような気がしています。 答え合わせをして初めて、何がいけなかったのか何故こうなのか 考えて学んでいくのだと思うのですが、どうなのでしょう・・? 日本の教育のほうが正しい気がしてきてしまって、 こんなにお金をかけて海外の大学に行くよりも 日本の大学に行くべきだったかもと考えてしまいました。 先生に聞いたら、教科書に載っている練習問題からテスト問題に 使う可能性もあるので、答えは教えられない 自分で解きなさいとのことでした。 自分で解いてから聞いたのですが、合ってるのか間違ってるのか わからないままで常にモヤモヤが残っています。 なんだか長くなってしまいましたが要するに 聞きたいことは、日本の教科書の答えは教科書の後ろに 載っていたかどうか、また、先生が答え合わせをしてくれるのか どうか? テスト問題は生徒が誰も知らないようなところから出るのか? その3点をどうかおしえてください! よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.4

No.3の回答者です。 >例外としては心理学のペーパーを書けとか読書感想文など、 >そういうのだったらはっきりとした >正解のない「意見」になるとは思いますけど・・・? いや、その通りですよ。 私は日本の大学で政治学を専攻していますが、例えばつい先日の政治思想のテストの問題は、「近代以降の自由主義思想の変遷を、中世・現代のそれと比較しながら論ぜよ」というもので、字数指定も何もなく、解答用紙はA3の白紙一枚です。 理系のことは知りませんが、少なくとも文系なら、高校のような「空欄に入る語句は~」とか、「以下の設問文のうち正しいものはどれか」みたいな問題はありません。小テストではあるかもしれませんが、少なくともそれだけで単位が来ることはありません。 >正解というのはどっかに必ずあるものではないでしょうか? >でないと、じゃあどうやってテストの点数を付けるのでしょう?? 大学の試験はほとんど論述なので正解なんてないですし、場合によっては2人の生徒が全く正反対の回答を書いても、両者とも合格になることもあります。 大学の先生が採点の際にみているのは、 1,着眼点がよいかどうか(独創的か) 2,論理展開に間違いや飛躍がないか 3,授業で教えた内容をよく理解し、自分なりに発展させているか の3つが主です。 この3点をクリアしていれば、たとえ教授が想定していた回答と全然違う回答でも、○が来ます。 また具体例を出しましょう。 次のような問題が試験で出題され、A君とB君がその試験を受験したとします。(実際にはこんな問題は出ないでしょうが、話を簡単にするために・・。) 「ここに1週間何も食べていない男がいたとします。その男は誰がみてもわかるくらい、やつれているとします。男が街を歩いていると、焼きたてのパンのいい臭いがしてきました。男はたまらず、パンを盗んで逃げてしまいました。さて、偶然にも貴方はその場に居合わせたとします。あなたはどうしますか?」 A君の解答 「法治国家である我が国においては、いかなる場合でも、他人の物を盗むのは犯罪である。確かに男は見るからにやつれているし、同情の余地はあるだろう。しかしそれは裁判所が判断することだ。もしここで私が彼を見逃せば、私自身も警察への通報を怠ったことになってしまうし、盗んだ物のパン屋への補償は誰がするのか。だから警察に通報すべきだ。」 B君の解答 「確かに他人の物を盗むのは犯罪である。しかし法と道徳は不可分の物であり、時に道徳は法に優越する。彼はあのパンを食べなければ、飢え死んでしまうかもしれないし、勿論人の命は法の遵守よりも遙かに重い価値を持つ。もしかしたら裁判所が情状酌量するかもしれないが、冤罪ということもあり得る。ここは見逃してあげるべきだ。」 A君の解答は、「我が国は法治国家である」という着眼点から始まり、「警察に通報すべし」という結論になっています。その間の論理も問題ないでしょう。 B君は、「道徳は時に法に優越する」という着眼点に始まり、結論は「見逃してあげるべき」です。その過程も論理的に書かれています。 この2人の解答は、全く違う結論になっていますが、しかし先に挙げた3つのポイントのうち1,2をクリアしています(3は、授業内容についてはここでは触れていないので無関係として・・)。だから、この解答は両方とも合格点がもらえるはずです。 以上は日本の大学の例ですが、海外でも同じはず。 例えば私の手元に、"Understanding international conflicts"というタイトルの、国際政治学の本があります。この本は実は、元々はハーバード大学の国際関係論の入門授業のために執筆された教科書で、実際に授業で使われているそうです。この日本語訳版も出版されていて、多くの日本の大学でも使われています。 この本は章末ごとに「まとめの問題」が付いているのですが、やはり解答はどこにも載っていません。しかし教科書の内容を熟読すれば、なんとか自分なりの解答がかけるように、問題のレベルが調整されています。 基本的に大学の先生のスタンスは、「分からないならまず自分で考えろ。それでも駄目なら調べろ。それでもどうしても分からなかったら、質問しにきなさい。」というものなので、そう安易には教えてくれません。 もちろんここでいう「調べる」というのは、教科書の巻末の索引を見て探すというような高校生レベルの話ではなくて、図書館で何冊、時には何十冊もの本と格闘しろということです。 それをしないうちに答えを教えてくれと言っても、門前払いされるのが普通かと思います。

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回答No.3

日本でも「高校なら」答えつきです。 学校指摘の教科書に、直接答えが載っている事は少ないのですが、自分で問題を解いたなら、先生の所に行けばまず間違いなく合っているか間違っているかぐらいは教えてくれます。 学校ではなく予備校でも同じですし、また市販の問題集・参考書は当然ながら解答・解説が付いています。 しかし、です。質問者様が通っていらっしゃるのは、「海外で大学に入るための準備クラスのようなコース」なんですよね。 その国の教育制度をよく知らないのではっきりとした事はわからないですが、その準備クラスというのは、日本の受験予備校のようなものとは違って、「既に大学に入る事がほぼ確定しているのだが、基礎学力がまだ足りないので受講する、補講のようなもの」と考えて宜しいですか? だとしたら(あなたのクラスの授業が、大学に進む為の準備という前提でなされているなら)、先生が答えを教えてくれないのは納得がいきます。 大学でやる学問は、高校での勉強とは全然違うからです。 高校までの教育は、既に答えがわかっている事柄を暗記する・理解する事に重点を置いています。だから高校までの勉強には必ず「正解」がありますし、正解を求めるまでの過程を試行錯誤することによって記憶が定着し、理解が深ります。 そういう勉強なら、「答え合わせをして初めて、何がいけなかったのか何故こうなのか考えて学んでいく」という勉強方法は大いに意味があります。 しかし、大学での勉強に正解などありません。大学の教授が、例えばテストを採点するにあたって、学生がいくら細かい「知識」を持っていようが、それは加点対象にはなりえません。何故なら、知識を暗記するだけの勉強は高校レベルの勉強と何も違いが無いからです。(もっとも、明らかに基礎的な知識が抜けている場合は、減点対象にはなりますが。) 大学の講義で提供されるのは、「考える為の素材」と「考える為の枠組み(パラダイム)」です。大学の教授は、学生がその2つをいかに上手く使いこなすかを見るのであって、知識をどれだけ覚えてきたかなんてどうでもいいし、初めから用意された正解などないのです。これは日本の大学でもアメリカの大学でも、おそらく世界中どこでも同じです。 料理に例えて言うなら、 ・「カレーを作れ」という課題を与えられて、ジャガイモや人参や肉やカレールーを与えられて、ついでに包丁もまな板もお鍋も準備されてて、先生の言う通りにカレーを作っておいしければ満点、なのが高校までの勉強。 ・「ジャガイモと人参と肉とカレールーを使って料理を作れ」という課題を与えられて、そのまま普通のカレーを作ったら「可」、でも自分でホワイトソースを用意してカレードリアを作りましたとか、ただカレーを作るのではつまらないから牛乳を隠し味にしてみました、とかで「良」がもらえるのが大学の世界です。 だから、私はあなたの教官の指導方法は、間違っているとは思いません。

okamepoppo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 カレーの例などから おっしゃる意味はだいたいわかったのですが、正解というのは どっかに必ずあるものではないでしょうか? なぜならカレーを作れと言われてカレードリアを作ったら 「これはカレーじゃない、正しくはカレードリアだ」になりますよね? でないと、じゃあどうやってテストの点数を付けるのでしょう?? 1+1=3だと間違って答えた人がいたとして、その人が先生の ところへ行って、合ってますか?と聞きに行っておしえてくれなかったら その人はずっと3だと信じたままで生きていくことになります。 教えてもらわない限りはそうですよね・・そのために学校へ行って勉強をするものではないのですか? 先生がおしえてくれないから、塾へ行って聞いたら正解は2だよ とおしえてもらった。。。 それとどう違うのですか?? 私にはその先生がケチというか意地悪系の先生みたいな気がしてなりません。 要は塾では余分にお金を払ってるからおしえてくれる、その違いですよね? 1+1は、ただの例ですけど、もっと複雑な問題でも同じではないでしょうか? 例外としては心理学のペーパーを書けとか読書感想文など、 そういうのだったらはっきりとした 正解のない「意見」になるとは思いますけど・・・? せっかくご丁寧に回答いただきましたが、やはり未だに納得行きません。

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  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.2

章末問題の略解程度はのっていますが、それ以外はのっていません。 教科書はあくまで授業のための教材であり、自習用ではありませんから。 大抵、例と例題の解説を教員が行い、それに倣って問を生徒が行い教員が説明、 練習を生徒が行いボード等に答案を書かせて、教員が評価するというのが、 一般的な授業の流れだったかと思います。 回答としては、 解答は教科書にはのっていないが、教員が授業中に行う といったところです。 試験の内容は、対象とする生徒層によりますが、 教科書に沿った内容で授業できるレベルなら、 例や例題における数字や条件をちょっと変えた程度というのが 標準的な(到達度の評価の基準となる)問題です。 教科書の品質は極めて高い(しかも安い)ので、 教科書を1冊と、最も易しいレベルのチャートという組み合わせが 自習には最も適しているかと思います。

okamepoppo
質問者

補足

教科書は自習用ではない、という点に納得しました。 でも特別にわからないところがあれば、説明しながら 答えをおしえてくれてもいいのではないか?という気持ちは まだ思っています。 それが先生の仕事ではないでしょうか? ただ同時になんとなく、ニュアンス的に、ビジネスが絡んだ事情が あるのかも?とも思ってしまいました。 教科書で自習ができたらチャート式とかは売れなくなるとかそういう・・? でも、これも塾などに行けばおしえてくれますよね? 塾とか、あとは知り合いにたまたま詳しい人がいて、おしえてもらえたとか そういう人は正解をどんどん知って、チャート式とかの参考書を買わなくても 教科書で自習もできるということですよね。 なんだか不公平な気もしてきました。 ご回答ありがとうございました。

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  • yuu111
  • ベストアンサー率20% (234/1134)
回答No.1

こんにちは 全然のっていないということはないと思いますが、一般に全ての問題に答えがのっているということはないと思います(そもそも、問題のない科目のほうが多いかもしれません) 授業で扱った問題はもちろん答え合わせできますが、そうでなければわざわざ答えを教えてはくれないでしょう。 テストは、ほぼ全員が大学受験するようなクラスなら知らない問題もあると思いますが、そうでないなら教科書などからしか出ないと思います

okamepoppo
質問者

補足

ありがとうございました。

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