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1971年に大映株式会社が、1993年に株式会社にっかつがそれぞれ倒産したとき、どう思われましたか?
1942年から1971年まで多くの映画を生み出し 1971年11月に経営危機で業務全面停止と従業員解雇、 翌12月に破産した大映株式会社。 また日本で最古の映画会社として、戦前は時代劇、戦後は多くの青春映画・アクション映画や「ロマンポルノ」の作品を残した株式会社にっかつ(旧:日活株式会社)。 質問ですが、 大映とにっかつが倒産したというニュースを聞いたとき、 どういう感想を持ったか皆様に聞かせてほしいんです。 後1986年に正式に閉鎖された大映京都撮影所につき もし周辺に住んでおられた方がいましたら、 どう感じられ又どう環境が変わったかも教えてください。
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大映もにっかつもいきなり倒産した訳ではなくて、1年ぐらい前から危ない危ないと言われていたので…。 大映は一発大逆転を狙った「片足のエース」という実話感動ものがやっぱりコケて、その時点で「終わった」と思ったような気がします。 にっかつは「落陽」という、当時のにっかつを考えると身の丈合わない超大作を製作して、「ヤケになったか」と思ったものでしたが、これまた案の定やっぱりコケて、奇跡は起きなかったか、と思った記憶があります。 当時の映画ファンは、上記の鳴り物入りの勝負作が予想どおり不入りだった時点で、倒産は時間の問題と思っていたので、倒産のニュースそのものは来るべきものが来たか、という感じだったのではないでしょうか。
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- 3351redmas
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普通の倒産と同様に、受け止めました。 映画製作配給会社トップの放漫経営でしょう。 しかし、今は映画自体が、大きく変動をしています。 戦後、邦画は、6社ありました。書いてありませんが、 1961年、新東宝が、最初に倒産しています。 このソフトは、現在、国際放映が受け継いでいます。 大映は、角川が、日活も映画会社として、存続しています。 新東宝は、ブロックブッキングの量産体制に参加できず 自社映画を120本程、改題をして再公開をした、など 観客の信用を失い、倒産したのだと、思います。 東宝を見ればわかりますが、ブロックブッキングで 興行をしているのは、一社だけ、です。 映画の製作、配給は、必ず興行が出来る直営館または 専属契約館、が必要だ、ということです。 映画製作会社の倒産の多くは、映画以外の投資によって 失敗した部分が多いのではないかと思います。 しかし、倒産したからといって、会社や映像ソフトは 存続会社が、すべて引き継いでいます。 時代劇、戦争映画、成人映画、西部劇など、男性向けに 作られていた映画は、現在、女性客に、その存在を 奪われて居ります。同じ映画であっても、彼我の違いは とても、大きいと思います。
お礼
成程、ブッキングシステムか---。 後最近の映画は小説や漫画の原作がかなり多いですね。 それも悪くないんだが---。
大映倒産のときはまだ小さかったので知らないんですが(1968年生まれ)、にっかつ倒産のころは覚えています。かつて名作を次々と生み出していたというのは知っていましたが、残念ながら私が知ったころはすでに「ロマンポルノの会社」としてのほうが有名でした。さしたる作品もなく、ジリ貧の状態でした。倒産にショックを受けられた方には申し訳ないんですが、正直なところ「やむなし」と思いました。 近年、再び良質の作品を配給していると感じているので、ぜひがんばってほしいです。
お礼
同感です。 有難うございます。
- mozofunk
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私が最初に映画作品に関わったのは、徳間映画の「ダイナマイトどんどん」でした。作品のエンディングの沖縄の廃墟は、調布の大映スタジオの瓦礫です、何年か まえに角川に接収され大映の名前も消えゆくようですが・・・。にっかつは質問者様が仰有るとおり、いったん倒産し、その雇用者による再建がなされ、幾たびかの波を乗り越え今に至っているようです。 取り敢えず二つの撮影所は現在元気に活動中です。 何故あなたは大船松竹の質問をしないのでしょう・・・
お礼
有難うございます。 大映の京都撮影所は東京撮影所とは対照的に無くなりましたが---。 松竹は大船撮影所は閉鎖しましたが、まだ存続していますからね。 ただ過去別にこういう質問をしたことがあるのですが、 質問者さんは何か感じる事ございましたらお聞かせください!
お礼
成程、倒産直前は両社ともそういう社内状況だったのですか--。