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釣りに関して、あっ!と驚くような情報を教えてください
釣りに関する驚くような情報を教えてください。 たとえば。 ・東京都内の釣具店の数は… ・○万円もする高価なルアーがある… ・釣りの雑誌は現在○誌発売されている… ・最も高級な竿は○百万円… 上記「例えば…」の部分の情報も知りたいです。 よろしくおねがいします。
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どうも、釣りバカです。 まずはマクロなびっくり話から。 釣針の基本構造は縄文時代から変わっていないんです。もちろん時代が進むにつれて大きさや材質は変わっていますが、あの基本的な形は縄文時代に既に完成されていたのです。そして近年の研究で、世界最古の釣針は日本のもの、という右翼でなくてもなんか嬉しくなる学術発表がありました。しかし未だ北欧説も根強いうえ考古学に関しては以前捏造君がいたのでもう少し成り行きを見守っておきたいところですが、いよいよ本当となったら、なんか嬉しい事っすね。 その釣針、うまい事できているんです。 サカナに吸い込まれると釣針の針先は必ず下を向いています。形状を見ても針先のあたりが重いわけだから、当たり前ですよね。ところが針を結んだ糸をウリャッと引っ張ると針はくるりと回転して上顎に刺さるのです。サカナの上顎はたいてい硬いので、ここに刺さると針はなかなか外せなくなっちゃうんですね。これは文献とか云々言う前に水槽で実験してみるともれなく感動しますので試してみて下さい。縄文時代から既にこの形が成立していたと思うと、いつもより余計に感動できます。 続いて歴史ロマンに絡んで歴史の目線から。 日本の釣りは、武士が大きく発展させたのです。時は徳川家康が江戸に幕府を開いて息子・秀忠~孫・家光治世の頃、(秀忠の頃までは豊臣方の残党が謀反を企てたりして意外と治安が悪かったが)家光の頃にはすっかり天下泰平、とても平和な時代が訪れました。こんな時代になって困ったのが徳川配下の武将達。基本戦争があるから仕事になる武士なだけに仕事が無い、けど公方様(将軍の事)に大事があればサッと駆けつけなきゃなんない、という事で江戸を離れられない。それぞれの武将(旗本、御家人衆)の次男坊以下の男子は、家長である長男が死んだらサッと役目を変われるようにしておかないといけない(お家断絶という奴ですね)。という事でヒマを持て余した旗本御家人衆は江戸城の周りで釣りをしながら暇を潰した、と。これが意外と面白くて奥が深いと元禄時代には武家衆の間で大流行。元禄あたりから金持ちになった商人衆がお武家様の真似をして釣りを始めるようになり(江戸の頃から町人衆は絶対権力を持つサムライに憧れを持っていたようです)、文化文政期には長屋の町人や子供まで釣りを楽しむようになった、と。結局幕末まで釣りブームが続いて文化として定着してしまったのです。 この長ーいブームのおかげで日本は世界的にも稀有な『釣り先進国』になったんです。釣り竿ひとつとっても刀の装飾と同じものを施したり(武家衆はおしゃれが嗜みだったのです)釣針ひとつとっても刀鍛冶に作らせたりと、他の国では絶対にあり得ないほど芸術性・機能性に富んだものが多数誕生したのです。 この辺は『銭形平次捕物控』の野村胡堂や『鬼平犯科帳』の池波正太郎なんかの作品を読むと必ず書かれていますね。 最後に、伝説のお話から… アイヌのユーカラ(伝承話)にはイトウというサカナが良く出てきます。サケ科のサカナで日本最大の淡水魚、漢字で書くと魚偏に鬼と書く、強烈なまでの肉食魚。ネズミ食ったとかカエル食ったとかのセコい話じゃなくて熊(北海道だから当然ヒグマ)を丸呑みしたとか、鹿(北海道だから当然エゾシカ)を丸呑みしたけど喉を詰まらせて(鹿の角がイトウの腹を破ったという説もあり)絶命し横たわった魚体が川を塞き止め湖が出来たとか。 そんな中でも有名なのが山の勇者・カンナカムイのユーカラ。ハンパなくぶっちゃけてあらすじを言うと「山奥に住む巨大なイトウが漁に出た人まで食っちゃて村人は困っていた。この巨大イトウをカンナカムイという男がモリ1本で戦い、激戦の末ついに勝つのだが、カンナカムイも力尽きイトウと共に湖に沈んでしまった。」というメルビルの『白鯨』とダダカブリ(もちろんアイヌ・ユーカラのほうが古い)なストーリーで、30代後半以上の人なら『まんが 日本昔話』で見たことがある人も多い事でしょう。 で、アイヌ語でイトウの事は『チライ』と言います。植物の福寿草は知床界隈のアイヌ語で『チライ・アパッポ(イトウ花)』と言って、十勝あたりのアイヌはイトウの皮で上着を作ったり靴を作ったりしていた事などから、生活に密着したサカナだったことが覗えます。この辺はそれぞれの地域のアイヌ文化のHPや文献を見ると垣間見ることができます(地域によって文化に変化球があるので纏めて紹介できなくてスイマセン。) また、ざっと調べると現在の北海道には常呂郡佐呂間町と山越郡長万部町に『知来』という地名が存在します。『知来』はイトウ(チライ)の当て字で、昔は相当イトウがいた事が覗えます。 最後のふたつは「あっと驚く」というより「へええ」と、いつか誰かに話してみたいけどそんな機会絶対訪れないムダムダうんちくっすね。
お礼
uraryoushi様 とっても丁寧に答えていただきまして、 本当にありがとうございました。 すごく役に立ちました。 大助かりでした。 本当に本当にありがとうございます。