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電車で席を譲るかどうか
(器の小さい人間ですので、書いている間でさえ、その状況が頭に浮かんできて腹を立てています。 そんなわけで、文章がいささか乱れているかもしれません。) 電車での出来事について、意見をいただきたいです。 ただ、普段、新宿など終着駅となっている駅から電車に乗る人のみ回答をお願いします。 私の場合、学校の帰りは、終着駅から乗るので、すべて始発なんです。 だから、10~30分待てば、たいてい座ることができます。 (もちろん、そのために10~30分待って、座ることになります。) で、大抵、一番端の席に着くことになります。しばらくして席が一通り埋まりました。 ここで一人のお年寄り(もしくは松葉杖の人とかの、席を譲られてもおかしくない人を想定してください) が寄ってきたとします。すると、「席を譲る」という選択肢が浮上します。 (本人から「譲ってくれ」といわれたかどうかに関係なく) 私は、譲る必要は無いと思うんですよ。私は疲れていて、混雑を避けるために、電車を待っていたんです。 だから、席を譲ると、また電車を待たなくてはいけません。 ところがです。周りの人が、どうもこちらを見てくるんですよね。 「最近の若い奴は」とでも言いたそうな顔をしています。 ときどきですが、「譲ってあげなよ」と言ってくる人さえいます。 (その人は座ってない) この人たちは、偽善だと気づくべきです。なぜなら、自ら率先して譲らなかった時点で、 私と同じことをしているからです。彼らに私を非難することはできないはずです。 譲るということは、譲ったものを自分が失うということです。 (譲った分、徳が云々とか、感謝が云々とか、いらない) それを他人にさせようとするのは、奪うことでしかないです。 例えて、そのお年寄りとかが席を譲ってもらう必要があるなら、 優先席へいけばいいだけのことです。10メートルくらいでしょう。歩けばいい。 もしくは、次の電車を待てばいい。それをしないのです。 こちらが譲る理由は皆無です。 譲られる側だって、嫌々譲られても、気分が悪いはずです。 そういう顔をしなくても、わかるものでしょう(たとい装っていても)。 だから私は譲らないことにしています。 それを理解できないのでしょうか(KYなんですね、わかります)、周囲の視線は、偽善に満ちています。 どうせ譲っても、周りの視線は自己満足と軽蔑以外に何も無いというのに、 譲る自分も、譲られる相手も、嫌な思いをするだけだというのに。 そうわかっていても、席をあなたは譲りますか。その理由も教えてください。
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小さな子供、園児とかなら譲ります。 年寄りには譲りません。 譲らなくてはいけない。なんて法律もないしも罰則もありません。 今後も高齢化は続きます。 そんなに年寄りばかり利用することを想定するなら、席を増やす。 グリーン車、女性専用車両のように、シルバー専用(追加料金)があってもおかしくありません。 女性専用車両も同じく、ターゲットとなるような女性のみに制限しても良いぐらいです。 (学生のみ、24歳まで。子連れは不可など。40歳のおばさんなんかは狙われませんから。) 普通列車に乗るなら、他の人と一緒です。 ましてや始発などは、座ることが目的で並んでいるので、それを譲る必要もありません。 年寄りも、座らなくては体力が持たない。最悪死んでしまう。 ような人はそもそも列車に乗るべきではありません。 必要であれば車椅子にでも乗って、駅員に連れられ乗車すればいいのです。 また譲って欲しい。 と言う人も、譲ってくれそうな人にしか声をかけません。 チンピラみたいな人には、まず声をかけないでしょう。 人の良さそうな人。NOと言えないような人を狙って声をかけているのですから。 各種ボランティアや献血、高額募金もしますが、年寄りに席を譲る。 などの行為はしません。 携帯電話も同じく、平気でメールしている人が多いですよね。 ほら、もしペースメーカーの人がいたら・・・なんて気にしてないでしょう。 禁止したいなら車両内には妨害電波でも出して、不能にすべきでしょう。 偽善とか善悪とか考える必要もありません。 譲る必要はないし、規制や罰則がないのだから。 競馬、競輪などがある最寄り駅では、ろくでもないおじさん、おばさん、年寄りが たくさん乗ってきます。中には駆け込み乗車をして席を取る人もいます。 こんなことをできる体力があるのだから譲る必要は全くありません。 小学生に対して、若い者は席を譲るべきだとか、独り言を言って、半分脅して 席を取るような人もいますよ。
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- Ama430
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大変興味深く拝見しました。 (1)善意は強要するものではありません。 質問者さんの事情も知らず、もし、席を譲るように強要する視線や言葉があるのなら、それは筋違いというものです。 (2)本当なら、お年寄りの周囲の何人かのうち、ひとりくらいは、心身にゆとりのある人がいて、大変そうな場合は何とかなるのが自然なのでしょう。 しかし、心身にゆとりのない人が増えたために、「やむなく」老人優先席なるものをこしらえなければならなくなったのだと思います。 「ルール」があるという言い訳で本来持っている善意を発揮できるのは悪いことではありません。 けれども、「老人優先席でないから譲らなくてもルールに抵触しない」という発想は、譲る側が自分の「ゆとり」を見誤らせることになると思うので注意が必要でしょう。 (3)それでも体力のない人が全然座れないのなら、本来は、列車を増発するべきです。 欧米では満員電車を見ることはありませんから、日本でもできると思うのです。 利用客同士が「席を譲れ」「譲る気はない」と対立するのでなく、一致団結して、電車会社や国土交通省に改善を求めるのが「スジ」と思うのです。 (4)「譲る自分も、譲られる相手も、嫌な思いをするだけ」という部分は必ずしも全面的に賛成しかねます。 そうではない何かが高確率であるように思うのです。 そして、それを感じることができれば、心身のゆとりが、ほんの少し向上する可能性もあると考えています。 (5)私自身は毎日長距離電車に乗るという生活はしていませんが、席を譲って老人に叱られたことはあります。 他の人が先に座らないように声をかけたのですが、それ以来、失敗しても、無言で席を立つようにしています。 自分が同じ状況なら、譲らず、狸寝入りをするのでしょう。
お礼
(4)で、私の考えが成立するには、譲られる相手の観察力の有無によると考えています。 ですので、目を見ない、顔を見ない、声の調子を意識しない、様子を気にしない・・ そういった方は、私の心情など気づかないでしょう。このとき、私の考えは正しくないですね。 ご意見ありがとうございました。
- DORAMI3min
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私は、席を譲られる側です。 まだ30代だし、どこも怪我をしていないし、 細身なので妊婦に間違われるハズもないのですが、 何故か席を譲ってもらいます。 実は、若い頃からそうで、 満員電車でも座っている人から 「どうぞ」 と言われていました。 きっと、具合が悪そうに見えたのでしょう。。 でも、そういう日は すごく幸せな気持ちになります。 全く知らない人から、 親切にしてもらえるって すごく嬉しいですよ(^^) 一度、嫌々でも席を譲ってみたら、 misereReさんの考え方も変わるかもしれないですね♪
お礼
確かに、譲ってみることで、私の考えに変化があるかもしれないですね。 ご意見ありがとうございました。
- Rose-quartz
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譲って喜んでもらえて降りる時にお礼まで言ってもらえた時 譲って良かったな、と思えたので、気が向いたら譲ります。 周りの目とかは関係ないです。 譲ってもらった事はないですが、つめて席を空けて貰えた事はあって その時は素直に嬉しかったし、お礼を言って座りました。 だから、譲られてもこんな感じかな?って思っています。 私が気になっている事は、譲られる側のマナーが無いことです。 断わったら相手の顔も立たないし、 例えば老人が、妊婦が、怪我人が、身障者が断ってしまった時 次に同種と思われる人が譲ってもらえなくなるのではないか?という 譲られるマナーがなっていない事での不利益を考えてない人が嫌。 譲ってくれた人の顔を立てる思いやりで、感謝して座る その程度の事はやっても良いのにな~って思ってます。 車で優先車線があって、横から入る時 入れてもらえる事はありますが、それは相手の好意であって 譲って当然という事じゃありません 日本人はマナーを偏ったルール化して、本来の意味を無視して 守らない人を横目で見るようなところがありますが もう少し頭を使った方が良いなぁと思ってます。 「皆、席を譲ってますよ」と言われたら譲りそうな日本人って、なんとなく嫌
お礼
相手の親切は素直に受けるのが礼儀ってことですね。 確かに、マナーとルールが何のためにあるのか、それを無視してしまっては、意味が無いですね。 ご意見ありがとうございました。
- alidon
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連投すみません。一つ気になりました。 優先席の考え方ですが、ご質問者様の場合、優先席がお年寄りや具合の悪い人で一杯だった場合は、席を譲るのですか? 車両丸ごと優先車両であっても、其処が一杯だった場合には席を譲るのですか? そういう状況であれば、ご質問者様が幾ら疲れていようが、座るためにどれだけ待っていたのであろうが、席を譲るのですか? これに対するお答えが、ご質問者様の考え方と矛盾するかどうかをじっくりと考えてみてください。
お礼
他の車両や優先席の様子なんて見えませんので、判断の材料にはならないです。 そもそも、優先席がそういう方で満席になるようなことはありませんので、想定しても無意味です。 私が譲れる状況であることを大前提とした上で、必要と思えば譲ります。 必要無いと思えば、譲りません。矛盾していないと思います。
- alidon
- ベストアンサー率26% (292/1091)
視線など集まる前に譲りますね。 但し、一般的に自分以外に適任者が居れば先ずはその反応を見ます。 例えば学生や遊び帰りの若者、子供等。 疲れているのは誰もが一緒です。その中で、態々電車を遅らしてまで待ったと言う努力など、人には判りません。 だから、そういう『社会的な常識・良識』に照らして基本として態度を見るのです。 本当に座っている必要のある人は、若かろうがなんだろうがそういう態度を示すべきです。 例えばご質問者様ならば、誰が見ても疲れきって立っていられないという態度を見せる事です。 ご質問者様のお考えとは真っ向から違う考え方も有ります。 態々電車を遅らせてまで座る努力が出来る若者は、自分が座っていても社会的に問題が無くなるまで待てば良いのです。何時間だろうと。 病院の時間が決まっているお年寄りや、仕事で急いでいる大人にはそんなことをしている余裕など存在しません。 偽善に満ちていても、そんな世の中でもまだマシです。最悪は、偽善すら存在しない世の中。 偽でも嘘でも『善』は『善』。『悪』もまた『悪』。 恐らくはご質問者様の場合、偽善の中で『自分が押し付けられる物』に対しての不満と言う物でしょう。 『座る為の努力をしたのだから譲る必要など無い』 という主張は、もう一度考え直してみる事をお勧めします。 まあ、何れお解かりになると思いますが、ご質問者様の努力に応じた結果が必ず得られる物ではないし、その結果を教授する事が当然だ等と考え始めたら社会人としては自己中心的なだけです。 そんな人が沢山居ますがね(笑) >どうせ譲っても、周りの視線は自己満足と軽蔑以外に何も無いというのに ご自身が出している結論を擁護する為の方便ですね。 実証できますか? 反証を全て潰せますか? こういう風に、やりたくない事に対して自分の考える方向に沿った結論を先に出す事が一番危険ですよ。 自分以外の知識や判断、教えや叱り、一切を受け付けられない大人になります。 こういう人も沢山居ますがね(笑)
お礼
座る必要があるという態度を見せる・・そんな必要、無いと思うのです。 座らなくていいなら、わざわざ電車を待ってまで座らない、それは、わかるはずです。 終着駅なのですから、当たり前のことです。 時間帯について私は、「学校の帰り」と言いました。 病院や仕事が終わったあとのお話ということになります。 だから、時間の余裕の差は無いです。 おっしゃるとおり、私の主張を考え直すことは、必要だと思っています。 ただ、優先席以外で、わざわざ待って座った席を譲ることや、周りはガラスの向こうから観客者気分で「譲れよ」と言ってくることに、 納得がいかないです。納得いかない今考え直しても、大して進歩した考えは浮かばないと確信しています。 優先席があるのに、そこ以外で席を譲ることが常識でしょうか。 これの回答は、いつまで経っても、二分化したまま決着つかないと思うんですよね。 どちらが絶対的に正しいとは決していえないので、自分がどちらの考えに傾くか・・ということだと捉えています。 周りの視線を実証しろと言いますが、まあ無理でしょう。私は彼らではありませんので。 それを言うとキリが無いと思います。 自分以外の知識や判断、教えや叱り これを選択し、受け付ける価値があるかどうか、常に自分で決めていく必要があると思うのです。 それは他の考えを受け付けないこととは違うはずです。 自分の考えが常に中心にあってこそ、人間なのではないのでしょうか。 ご意見ありがとうございました。
- igarasik0
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元気そうに見えたお年寄りが座っている私の目の前で倒れて意識不明となり、その後のごたごたの結果として大事な用件に遅刻したということがあります。 私もこんなのはたった一度しか経験がありませんが、もう二度としたくありません。 そんな訳で自分の利益(不利益の回避)のために席を譲ることにしています。 あの老人も座っていれば倒れることは少なくなるでしょうし、倒れることが無ければ定時に到着する可能性が高くなります。 正直な話、私には列車が平穏無事に定時で到着すればそれで良く、譲った相手のことなんかどーでもいいのです。 こんな身近な人にはとても言えない理由で、私は譲っているわけです。 (以下、果てしなく余談になります) こんな理由で私は譲っているわけですが、、面倒臭くもあります。 それを無理やり「これは善行である」ということにしておくことで自分自身を騙して気力を保っています。 ですから、それを偽善だと真っ正直に指摘されると、辛いところもあるわけです。 さて、質問者様はこういう場でこんな発言しても得るものはほとんど無く、私のような者は一方的に辛い目にあわされることになっています。 それを理解できないのでしょうか。 どうせ発言しても、周りの反応は自己満足と軽蔑以外に何も無いというのに、 発言する自分も、それを読む相手も、嫌な思いをするだけだというのに。 ところで、周りの視線が辛いのは、うしろめたいことをしていると自覚している証拠ではないかと、私などは思うのです。 うしろめたいことをしていないと思うのでしたら、堂々としていれば良いのではないでしょうか?
お礼
譲るのは自分のため、ですか。私のような人間には、そういう考え方の方が合っている気がします。 譲ることを偽善とは、言っていません。他の人間に譲らせようとすることを偽善と言っています。 譲ること自体は善だと思っています。だから、辛くはないはずです。 周りの視線については、まあそうなんでしょうね。感覚としては、後ろめたいことをしている気分なんでしょう。 それとは逆に、なぜ席を譲らなきゃいけないのか、と反発する理性が働いているんでしょうけど。 ご意見ありがとうございました。
単純に、質問者様以外の周囲の人(目の前の老人も含め)は >私は疲れていて、混雑を避けるために、電車を待っていたんです。 なんて事情は知ったこっちゃ無いので、老人の前に若者が座っていたら その若者に「譲れビーム」が集中するのは至極当たり前のことでしょう。 私はそのビームに耐えられるほど神経太くないし、 >私は疲れていて、混雑を避けるために、電車を待っていたんです。 なんて、いちいち弁解じみた説明もしたくないのであっさり譲りますが。 次回からは周囲の誤解を生まないように >私は疲れていて、混雑を避けるために、30分も電車を待っていたんです。 といった下りを書かれたプラカードを首から下げておけばよいのでは?
お礼
2本次の電車を待ってる人の列があるくらいですので、 どういう理由で座っているのか、察しのつく人が多いと思います。 日々満員電車で通学(もしくは通勤)していて、混雑を避けようとは思わないのでしょうか。 プラカードを首からさげるのは、むしろ譲って欲しい側と考えます。 ご意見ありがとうございました。
器が小さいと思わないで下さい。 至って普通だと思います。 私と同じ感覚の持ち主のようで何故か親近感すらわきました。 私も譲りません。優先座席を各車両に設けているのに わざわざ譲る必要は無いからです。 バスなんかもっと酷い。年寄りはどこから乗っても 座れる保障があるのに、(座ってる人の横でため息ついたりするから譲らざるをえない。)バス待ちで順番を守らず横入りするのを よく見かけます。 その光景を見ると思うのが、どうしてタダ乗りが座れて 正規に運賃(学割でも定期でもない)払ってる者が立たなければ ならんのか。譲ってもらった者は半額でも払わせろと言いたい。 電車で、私も座りたい時はわざわざ次の電車を待つのに。 座りたいのなら、老人も少しは努力をしてほしい。 同じように一本送らすとか、優先座席まで行くとか。 譲って下さいと一言言えば済むのだ。態度に出さないで! 見るからに体調悪そうな人には、さすがに譲ります。 自分も体調悪くてたまらない時に譲ってもらうと すごく助かりますので、この点ではお互い様と思えるからです。 譲りたい人が譲ればいい。それだけの話です。 あなたが気にやむ事はありません。 NO19さんのシルバー車両いい案ですね。
お礼
バスには滅多に乗らないですが、順番を守らないとなると、もはや迷惑な人でしかないですね。 シルバー車両、確かに良い案だと思います。 ご意見ありがとうございました。
- hornman
- ベストアンサー率37% (54/144)
こんばんは。多くの人が乗り合わせる電車の中で、席を譲ることができる人は「余裕のある人」です。これは体力的なこともありますが、周囲から「偽善的」「いいかっこしやがって」的な視線に物怖じしない精神的な余裕も含めてです。 文面から察するにあなたにはその余裕がありません。年齢的なことを度外視するならばむしろ「譲られるべき人」のほうに近い感じがします。わざわざ一本電車を外してでも座りたいわけですから。 私は身体が丈夫なので、よっぽどガラガラのとき以外は基本的に席には座りません。徐々に込んできたりして座れない人が出てきたら、シレっと立ってドアの前あたりまで移動してます。いかにも「譲りました」的な風にならないように勤めています。たまに察しの良い方がいて「ありがとう」と言ってもらえるときがあります。その時はニコっと手を軽くあげることにしています。 基本的に私の中では、電車の席というものは体力的に「しんどい」ので立っていられない人が利用するものだと捉えています。ですからたまに座ってみたりするとなんだか尻の座りが悪くてすぐ立ってしまったりしてしまいます(笑)。要するに体力があるだけであなたと変わらない小心者だということです(笑)。 ご参考までに。
お礼
余裕、ですか。どうして混雑を避けて座ろうとするのかというと、 たしかに余裕が無いからなのでしょうね。 ご意見ありがとうございました。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
社会的弱者を社会が守っていくというのが基本原則ですが、例えば質問者様は疲れていた、松葉杖をついていて座れなかった人も、不便で安定しない状態で立っていないといけない。 単純に言って、自分は疲れているけど相手が大変そうだから譲ってあげよう、と思うか、それとも、こっちもわざわざ座るために並んだんだから当然だよ、と思うか、その違いだけです。 人によってどっちの考えに傾くかだと思います。 >この人たちは、偽善だと気づくべきです。なぜなら、自ら率先して譲らなかった時点で、私と同じことをしているからです 質問者様と同じ年代ばかりでしたらこの考えはあり得ますが、多分質問者様が偽善だと感じている人は、質問者様よりも年齢が上でしょう。 即ち、松葉杖やお年寄りの年代と比べると質問者様は圧倒的に若いはずです。 先ほどの話ですが、社会的弱者を社会が守っていく、ということですが、若い人は社会の中では一番元気があって活力がある、だから率先して弱者を守っていかないといけない、いや“守っていきましょう”という、そういうルールが社会にはあるんです。 なので、そういう目で見られるのではないでしょうか。 別に偽善でもなんでもありません。
お礼
ご意見ありがとうございます。 理想としては、前者の考えに傾きたいものですね。
お礼
偽善とか善悪とか考える必要もない、譲る必要はないし、規制や罰則がないのだから・・ですか。 規則や罰則があってこその、善と悪、ということでしょうか。 ご意見ありがとうございました。