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優秀な友達と自分を比べて

こんにちは 私は19歳、大学生です。 私の友達には学力が優秀な友達が結構いて、私はグループの中で一番偏差値が低い大学に進学しました。 私の友達は特に何も思っていないと思うんですが、私自身、「オレとこいつらとはもう住む世界が違うんだ」という劣等感を常に持っていますが、それを隠しながら生きています。別に彼らが嫌いなわけではなく、むしろこれからも友達でいたいんですが、やはり劣等感があります。 私は、このような気持ちを抱くことは普通だと思っていますが、そうではないと言われることも結構あります。 皆さんはどうなんでしょうか? 例えば、部活で友達がみんなレギュラーなのに、自分だけ補欠だったら「住む世界が違う」とか思いませんか? そんな経験ないでしょうか? 私はこんな状況で劣等感を持たないということはおかしいと思いますが・・・・ ご意見お願いします。

みんなの回答

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5721)
回答No.11

住む世界は違っても、遊ぶ世界が同じなら、それでいいかな。

noname#82077
noname#82077
回答No.10

私は様々な分野で劣等感を強く持っている人間だと思います。 他人が自分より優れていることを思い知らされた時は、 自分がみじめに思えたり、居心地が悪くなったりもします。 ですから劣等感を持つのは普通だと思います。 でも、「住む世界が違うんだ」につがなるのは、ちょっと疑問です。 敢えて質問者様の例示を曲解すると ・偏差値が違う大学に通う友人は「住む世界が違う」 ・部活でレギュラーと補欠では「住む世界が違う」 これを足し合わせると偏差値が同じ・かつ部活の能力が同じ程度の人だけが住む世界が同じということになるのでしょうか? さらに、容姿、話の面白さ、音楽センス、美術センス、いろんな分野で劣等感を感じる人がいますけれども その全てが同じくらいの人でないと「住む世界が同じ」と言えないのでしょうか。 …という考えはどう考えても極端すぎますよね。 学力、スポーツ、その他その場その場での能力でしかないわけで それぞれが発揮される場面で優越感劣等感は常に感じるけども 人づきあいの中で、特に重要な要素だとは思わないです。 相手のすぐれた点を認めた上で「これからも友達でいたい」と言えるなら 「住む世界が違う」なんて言い方をしなくてもいいのに…というのが感想です。

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5721)
回答No.9

そのような劣等感を感じた事はありません。 ただ、彼らは立派だなと思うだけで、自分と比べたりしません。 友達である事にかわりはないのでそれだけです。 「住む世界が違う」と言ったへだたりなども感じません。 逆に、仮に私が友達の中の誰よりも優れていたとしても、優越感を感じません。 理由は同じです。

回答No.8

俺もバリバリあります、優れてる人に対して劣等感。もう30なのに・・・ もともとデザイナー志望で、美大落ちてあきらめて、今は漫画家志望で、それらを合わせるともう10年以上絵関係の下積みをしてるのですが、まったく食えていけないんですよね だからバイト先のデザイナーさんだとか、友達のマンガ単行本が本屋に売ってたりするとほんと消えたくなります。これ書きながら泣きそうです(笑 俺の場合、彼女がすごく若くてかわいいのと、俺自身がルックスがいい(学生のときモデルやってました)ことでみじめにプライドを保ってます。ほんとせこい人間です。それ考えてまた自分がイヤになったり・・・ なので質問者さんのもつ劣等感はぜんぜん普通のことですよ むしろ劣等感というものを抱くぐらいが人間くさくていいのかなって思います。なんでもかんでも割り切っちゃうのはつまんない人間だと思うしね 少なくとも自分の場合、劣等感をバネにがんばれてるってのもあるし

noname#70523
noname#70523
回答No.7

ライバルとして見ているならともかく友達ならあまり感じません。 すごいとか自分もがんばろうとかは思いますが・・・ むしろそんな友達がいることを誇りに思いますよ

回答No.6

こんにちは、同い年ですね。 もし質問者さんが『学力』というものに重点を置いて今まで生きているのなら気持ちも分かりますが… 私はそうではないので、劣等感は持ちません。 たとえば学力面で優秀な友達がいても、私は友達の知らないような特別な経験をしたことがある、芸術面(音楽・美術)では友達に負けない、友達の入った有名大学よりもうちの学校の方が絶対面白い…など、一つの面で欠けていても、他の面で十分満足しています。 自分の優れたところや今までの人生での素晴らしい経験などを自分でよく分かっていれば、なにか欠けた部分があっても劣等感は持たないと思います。 とにかく、人それぞれ秀でた部分と欠けた部分があるのは当然なので、自分が今楽しい・幸せと思えるならいいかなーと思っています。

  • limpide
  • ベストアンサー率16% (17/101)
回答No.5

こんばんは。同い年の大学生です。 私の友達も某有名大学でスポーツ万能の人がいます。ちなみに私は2流(いや3流かも。。)大学でスポーツは全くです。 住む世界が違うとは思いませんね。レベルは違えどどっちも大学だし。 向こうは優越感感じてるかもしれない・・・という劣等感?はちょっとあります。 必死でやったのに一人だけ報われないときはかなり劣等感感じますね。 私には何が足りないんだろう・・・って落ち込みます。 努力関係なく作りがちがうんだなーと・・・。 でも今は劣等感感じててもしょうがないし、少ないけど自分に与えられた力を最大限に引き出すにはどうしたらいいか考えるようになりました。 それで割り切るってのも一つの手かなあと思います。

noname#100021
noname#100021
回答No.4

こんばんは。 >部活で友達がみんなレギュラーなのに、自分だけ補欠だったら「住む世界が違う」とか思いませんか? いや、部活くらいでそれはないでしょう(^^; ただこんな状況において劣等感をもつ気持ちはよく分かりますよ。 でも劣等感を持たない方がおかしい、というのはよく分かりません。 私はよくここで、仕事がらお金持ちの方がお客様です。そこで働いていて感じたのは「年収1億円を超える人は住む世界が違うけど、1億円未満なら年収1千万円だろうが500万円だろうが一緒」と言う事でした。 年収を1億円超える方というのは、何を選択するにしろ金額は関係ないみたいです。 でも例えば日本の一部上場有名企業の社長でも年収7000万円だとか、それくらいの方って何かを選ぶ時に金額を気にします。 ここの境が住む世界が違う、って事になりました。 それから考えると、そのご自身より優秀な方で年収1億円超えそうな方っています? いないとすると私的には所詮同じ世界に住む人です。 あくまで私見ですが、そんなに細かく世界を区切る必要はない、というたとえでした。参考になればうれしいです。

回答No.3

住む世界が違うとは思うかもしれません。でも,相手がどれだけ努力をしているかを知れば,尊敬になります。スポーツとか勉強は,努力じゃないですか。 逆に,努力などでなく,もって生まれたモノ(身長とか顔など)だと劣等感を持つと思います。 まぁ,あなたの場合は失礼ですが,人格劣等でしょう。

  • k-josui
  • ベストアンサー率24% (3220/13026)
回答No.2

まだ大学生では無理かも?でも人間一面だけで見てはだめです。 人それぞれにいいところもあれば悪いところもある。 この質問を読んであなたはしっかりしていると思いましたよ。 なぜ?自分のことをきちんと「私」と書いているから。 30くらいの人でも「僕」と書いている人がいます、そんな質問者を見ると「いい年をして僕?」と思ってしまいます。       また、社会に出ると学校の成績などほぼ関係なくなります、世渡りの上手な人=勉強のできる人ではありません。 ただ、そのように人との比較感を常に持つことは劣等感に繋がります。ある意味「人は人、自分は自分」と割り切ることが必要です。     私は還暦に近い年ですが、かっての同僚に常に自分と他人との比較をする男がいました。あるとき話をしていてその男がしみじみと「あんたは俺よりずっと楽に生きていると思うよ」と話していたことが印象的でした。 「三つ子の魂、百までも」と言います。持って生まれた性格もあるとは思いますが、あまりそのように比較をせず「人は人、自分は自分」と割り切って考えたほうが人生幸せですよ。