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【ネタバレ注意】MIST スティーブン・キング ミスト 】
こんにちは。「ミスト」見てきました。色々な意味で深く考えさせられるような怪物より恐怖下に置かれた人間の集団心理の怖さを感じました。ビビリなので両手の隙間からこっそり見たりしていたのでちょっと分からない部分があったので教えてください。 ●最初に出てきた触手みたいのは何で溶けたのですか?なぜ、シャッターが開くまで待っているのですか? ●お隣のノートンさんはどうなったのでしょうか?(薬局にいた人かと思いましたがあれはMPの人なんですよね?) ●ラストシーンで軍に救出された人はストアーに残っていた人なのですか? ●救出されたトラックの中に主人公の死んだはずの子供がいたように思いましたが(男の子)あれは別人ですか? ●最後に大きな大きな怪物がノシッノシッと車の近くを横切って行きますが軍はあの大きな怪物もやっつけたのですか?また、始めの触手みたいのの正体もあの大きな怪物ですか? 教えてください。宜しくお願いいたします。
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先日、打ちのめされてきました。 ●最初に出てきた触手みたいのは何で溶けたのですか?なぜ、シャッターが開くまで待っているのですか? 溶けた理由は不明ですが、異次元のものですから、この次元では物理法則が違うので存在できないのかと、ただ、その割にはよく持ちましたね(演出的理由か) ●お隣のノートンさんはどうなったのでしょうか?(薬局にいた人かと思いましたがあれはMPの人なんですよね?) ノートンさんは分からず屋として、主人公の演説後(あんちゃんが食われた後)スーパーから出て行きました。一緒に出て行った方(紐をつないだ方)は下半身だけ戻ってきたのでノートンさんも多分食われたのでしょう。 MPは薬局でクモに閉じ込められて産卵され、「軍が悪かった」と主人公に告げた後、クモの子をわらわらと出していました(エイリアンっぽかった)。 ●ラストシーンで軍に救出された人はストアーに残っていた人なのですか? 違うと思います。確実なのは、その中に最初に子供を助けるために出て行った女性がいたことです。これは、この映画の中で生への執着と母性を体現した唯一の人物ですから、明らかに制作者のメッセージでしょう。 ストアに残った人については語られていません(自信がない)が、主人公が出て行くときのランドクルーザーのライトに照らされたフラットな生気のない映像から死が示唆されていたと思います(これは、主人公達についても)。 ●救出されたトラックの中に主人公の死んだはずの子供がいたように思いましたが(男の子)あれは別人ですか? これは別人だと思います。死んだ子供の頭部はランドクルーザーの窓越しに一瞬映っていますよ ●最後に大きな大きな怪物がノシッノシッと車の近くを横切って行きますが軍はあの大きな怪物もやっつけたのですか?また、始めの触手みたいのの正体もあの大きな怪物ですか? これはわかりませんが、映像のディゾルブの切り替えから見て異次元に人類が勝利したという表現だと見て良いでしょう。まあ、ゴブリンやバグも火には弱そうでしたから、異次元生物は火に弱いと言うことで軍が火焔放射をしていたのでしょう。 この映画、内容に関しては(エンディング以外)キングの原作にかなり忠実だったのですが、クリーチャーに関しては、クトゥルーの影響を感じさせるキングというより、F.P.ウィルソンのアドヴァーザリー・サイクルの影響を強く感じました(ラコシが出ないだけ)。 それにしても、エンドロールで席を立つ若い人が多かったですね(私は打ちのめされてとても立てませんでしたが)。最近の映画の多くがデートムービーだったのに対してのアンチテーゼでもありますが、デートでこれを見た恋人達や、小遣いを貯めて映画を見た中高生達には同情を禁じ得ません(それでも、この映画の価値は、エンディングも含めいつかわかる日が来ると思う、傑作と思います)。
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ANo.1さんが的確な回答をされているので 私は雑談レベルの話しか出来ませんが・・・ > 最初に出てきた触手みたいのは何で溶けたのですか? 原作では溶けずに残ります。 映画で溶かしたのは特に意味があるのではなく 単にビジュアル的に「驚かせ」を入れたかったのではないでしょうか? 原作に較べると全体的にクリーチャーの描写が B級的に(ご都合主義満載で)パワーアップしています。 特に初日の夜。原作では小さい昆虫が数匹進入してくる程度ですが 映画では怪物たちが大暴れしちゃってましたね。 なんであんなにパニくってたのが、あっさり収拾しちゃったの?なんて 思わずツッコミを入れたくなったのですが あの辺りで騒いどかないと、映画としては盛り上がらないものね。 なお、映画では軍が異次元の扉を上けたという話が あたかも真相であるかのようにフィーチャーされていますが 原作では、あくまで噂や推測のひとつです。 映画でも、軍の若い兵たちがそう言っていただけで (観客にそれが原因であるかのように思わせただけで) 必ずしも真相は語っていません。 以下、やや独断を交えますが 映画は原作にないエピソードを最後に追加したことで 「予定説」っぽいニュアンスを入れた、というか ロックの思想にまつわる問題を戯画化することに成功したと思います。 http://homepage.mac.com/berdyaev/mm/prmnd/iti/prmnd71.html 私たちが > 最初に出てきた触手みたいのは何で溶けたのですか? なんて質問をしてしまうのも そこに合理的な回答があると無意識に信じているからであり ある意味、ホッブスやロックの合理主義的な考え方を 無自覚に受け継いでいるからなんだと思うのですね。 http://diamond.jp/series/komuro/10007/ 私も、ラストで打ちのめされて、暫く席を立てなかった一人です。
お礼
ご回答をありがとうございます。色々ととても参考になりました。原作では、溶けずに【アレ】が残っているのですね。それはそれで怖いですね。それに、真実もなんとなくの噂話的な感じとして収められているとは。映画では、兵士たちも噂で聞いたとは言っていたけれどいかにもそれが真実という感じでしたので私は「異次元に穴が開いたんだ」と思ってしまいました。怪物たちの暴れぶりに背筋がぞぞぞっとしましたよ。しかし、色々な意味でなかなか見ごたえがありました。ノートンさんの生死が気になりますが救出はされていなかったようなので多分、食べられたのでしょうね。原作では、もっと人と人の確執というか知識人とか高学歴者、低所得者、黒人、白人、地元民、よそ者、宗教かぶれ、若者、老人と色々なその人たちをとりまく環境であったり状況が複雑に絡んでくるというような事を聞いたことがあります。しかし、この映画を見てスティーブン・キングに興味が湧きました。明日はスカパーで「ローズ・レッド」を見ます。 ありがとうございました。
お礼
詳しいご回答をありがとうございます。あの映画の全体像が分かってきました。確かに、見た後の絶望感というか悲壮感は今まで見た映画の中でダントツで観客の人が会場を出て行くときに足早に無言で立ち去ったのが印象的でした。(いつもは、カップルなんかがペチャクチャ楽しそうにしゃべりながら出て行くのですが。)しかし、私はこういうラストもアリだと思います。原作のラストでは、車で逃亡中に怪物に遭遇というシーンで終わっているそうですが、本編では残酷なラストシーンとなっていますが監督さなの何かメッセージがあったのでしょう。しかし、軍が絡んでいたので「生物兵器の実験」とかかと思ったら「異次元の窓」はちょっと強引かとも思いました。最初に出て行った女性が救出されていたとは見逃しました。ストアーに残っていた人も結局は助からなかったのですね。車で脱出するときの霧の中の車のライト、ストアーに残った人がストアーから車を眺めるシーンが何とも宗教的?というか、何かを暗示しているというかそんな感じがしました。 >この次元では物理法則が違うので存在できないのかと そうなんですね。ではどの道、長くは怪物たちは生きてられないという事なんですね。しかし、あれだけ濃いキャラクターとして入っていたノートンさんがどうなったのかが出てこないのはとても不思議です。また、前日の嵐と今回の霧事件とは別問題なのですよね?嵐で大木がアトリエに突っ込んで来なかったら、ストアーに行ってなかったらまた別の展開だったかも知れませんね。 ふぅ・・・本当に色々なことを考えさせられる映画でした。映画館から出たら(レイトショーで見たのですが)何と霧が発生していました。もう、背筋がぞぞぞっとなりましたよ。 参考になるご回答をありがとうございました。