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ランボーとジェイソン

ランボーを見るとジェイソン(13日の金曜日)側から撮ったホラーに思えます。 そこでランボーとジェイソンの共通点、相違点をそれぞれ三つ教えて下さい。

みんなの回答

回答No.2

元祖(一作目) 以降の シリーズ化orリメイク化 された続編的作品は、単なる娯楽的要素が強い 点では納得できます。  しかし、「元祖(一作目)」の原作or脚本の草稿の時期、とりわけ それが、経済的な大規模な不景気、社会的事件、民族的問題 等が 起こったor事後的な大規模な運動の 時期に重なる場合、原作or脚本の草稿の段階で 当時の社会背景に大きく影響されうるのは 統計的にも多いのではないでしょうか。  例えば、 ランボーの劇場公開年 が1982年 とベトナム戦争から遠く離れていますが、 原作者の草稿の時期はずっと以前で、 ベトナム戦争終結後としても、その後 (今の中東派遣部隊の帰還兵に対する扱いのように) 社会保障の点でも、再就職の点でも、社会の 不満が鬱積していた時期ですからね。  そのベトナム帰還兵の怒りをランボーという 一人の架空の人物に集約させたとも思えます。  ジェイソンの方の劇場公開年 が1980年。 脚本の草稿の時期もおそらくその時期に近い 頃だとは思いますが、(日本国内でも70年代後半 から表面化してきた校内暴力・いじめ問題同様) アメリカでも、人種問題等絡んで日本より複雑な 様相ですが、(最近のコロンバイン高校銃乱射事件の 加害者のような)いじめに起因する社会問題が多発 していたと記憶しています。それ以外の社会問題に 起因しているかもしれませんが。黒人と白人の格差問題 も表面化し、子供の世界も当然影響を受け、特に 白人生徒の黒人生徒への嫌がらせもありえたと思います。  終局的には興行収益を得るための娯楽性目的で あったとしても、脚本草稿時に、脚本家が 国内外問わず社会情勢に影響されうることは 十分考えうると思うのです。  従って、いじめ&差別を受けた生徒達の怒りを ジェイソンという架空の人物に集約させたとも思えます。  逆に、原作者&脚本家の思想的意図を踏みにじったとして 原作者と監督がトラブったというケースは腐るほど あります。監督としては「娯楽性重視」が多いのでしょうが、 それに対し、原作者&脚本家としては思想的側面を アピールしたいわけですから、両者に食い違いが生じやすい のも当然とも言えますが。

回答No.1

私は未見ですが、 ランボー シリーズの最新作も けっこうスプラッタシーンがあるようですね。  共通点・・・各シリーズによって、動機が        違うようですが、根本にあるのは        「めらめら燃えたぎった復讐心」        でしょうね。社会的背景にもよるのですが、        何らかの意味で何らかの「差別」を        受け、そこから(世の中に対する)「不満」        が生じてきたのでしょう。  相違点・・・賛否両論あるとは思いますが、        表向きの殺害動機として        ランボーの場合は「正義のため」        (人間としての正常な精神状態を少しでも        残している意味でも)        ジェイソンの場合は、ある意味人間では        なくゾンビの一種であって、例外はあるにせよ、        ゾンビが人間でない以上、あるいは、        たとえ人間であったとしても、異常な        精神状態的要素が強すぎ(刑事上、責任能力無し)        正常な要素は皆無といえ、単なる肉食動物        的感覚で、表向きの殺害動機としても、        猟奇的本能からくるものなのでしょうね。 総括・・・ランボーのようにベトナム帰還兵に対する差別      という具体的状況ではなく、      スプラッタホラーといえども、根源的背景を      突き詰めれば      何らかの強烈な「差別」的社会構造に対する      何らかの不満が隠されていると思います。      つまりは、ジェイソン 等のスプラッタホラー      といえども、社会に根付いている悪しき因習      「人種差別&偏見」「いじめ」等々       大きな問題が課題として隠されているのかも      しれません。グロさという強烈な映像に      よって、本質が見えづらくなっているだけかも      しれませんね。

hayasi456
質問者

お礼

昨日TV放送で見たランボー1作目はアクション、ホラー、社会派的 要素が見えました。 娯楽映画にmiyanowakiがご指摘のような意味を含ませるのは 作品に何か意味付けをして興味を引く為か、 娯楽映画をとうして鑑賞者に訴えたいのか、 製作者のみ知るところでしょうか。