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西欧画家の風景画における望遠レンズ的構図
典型的な、西欧近代風景画に、よく望遠レンズ効果を発見します。明らかに肉眼で見る遠近感ではなく、望遠レンズで風景を切り取り凝縮した構図を持って描いています。これにより、風景画の中身が充実し迫力も増すという効果があるようです。 このことにおいて、 ○日本の西欧絵描きはあまり積極的でないように思える(あまりそういう作品にお目にかからない)がなぜか? ○この手法は、写真のレンズが発達したので取り入れられたのか?それまでは、肉眼遠近法しかなかっただろうか? ということを伺いたいです。
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- kouun-takamura
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>日本の西欧絵描きはあまり積極的でないように思える(あまりそういう作品にお目にかからない)がなぜか? この根拠が希薄なので、こっちの質問には答えにくいんですよね・・・。 戦後の西洋画は具象よりも抽象が主流なので比較しにくいですし。 西洋の印象画については、浮世絵の影響もあり遠近を強調した構図のほうが有名な気がしますし。 ま、あの時代はアカデミックな遠近法からの脱却も意識されていましたから、わざと遠近をなくしたり、逆に強調したりということもされていたのでしょう。 西洋でのリアルな遠近法は、基本的には肉眼が元になっていると思います。 糸を張って肉眼で見た景色を画面にトレースする技法もありましたから。 ただ、肉眼で見た光景も小さくトリミングすれば望遠レンズで見たような遠近の少ない構図になるでしょう。 日本の絵画では、西洋のような線遠近法は発達しませんでした。 たとえば、洛中洛外図のような街を俯瞰で描いた屏風絵では、手前と奥の遠近は余りありません。投影図的な技法で描かれています。 他に、東洋的な遠近法では、近景・中景・遠景でバラバラの遠近法が使われてひとつの画面に描かれる技法もあります。
全くの逆の発想はないんでしょうか? 絵画的な構図を元に後世のカメラマンが望遠レンズの特性を使って 印象派的な風景写真を撮ったという可能性もあります。 画家はあくまで画面上で構成するという考えを私は持っていますが その理由は、肉眼でみた距離感が絵画として再現したとき なにか物足らないと感じたり、ボリュームとしての存在感が 画面上で足らなければ大きく描いたりすることはままあることを 知っているからです。 また、肉眼の自然な空間がスタンダードということはなく ときとして矛盾だらけの空間を採用することも知っているからです。 例をあげるならマニエリズムの作品やエルグレコなどに代表される 空間です。 たぶん、何だこれ?と首をかしげるかもしれません。 明らかに肉眼でみた距離感やパースとはすこし違和感が あると思います。不思議な感じが作品全体に深遠な効果を作る こともできるわけです。 私は写真の作品も、絵画の作品も、同じように作家が構成し より鑑賞者の心に訴える形を求めて作品制作をしていると 思っています。カメラマンはレンズ、絵描きは線など使って。 結果カメラのような効果を求めたのか、カメラから効果だけを 抽出したのかは分かりませんが、印象派の時期が作家が作品の 題材を歴史的な群像などから、より身近なモティーフへ変化したこと を忘れてはいけません。心の距離が近くなれば対象により 近づいて描きたくなるのはよく分かります。 また、それまでと違って風景が刺身のツマではなく メイン・ディッシュとなっているわけですから対象物をトリミング して大きく描くのは流れとしてもおかしくはありません。 ズームレンズ効果に見えたのはそれまでの時代の作品と違って 印象派の画家たちのモティーフに対する心の距離が近くなった ことを表した表現方法なのかも知れないですね、案外。
お礼
あきらかに、「望遠レンズ」というのは、あまりに短絡過ぎる発想だったかもしれません。描きたいようにやっていたら、自然と望遠効果になっていたというのは、十分ありえますね。また、それほど画家の頭というのは、しゃちほこばって肉眼のパースペクティブにこだわるなんていうことより、自然にいい効果を追い求めて、その結果だったのかもしれません。
ドガは写真のトリミングのような構図で絵画の一般的な 構図からは外れたあたらしい構図に挑戦していました。 ロートレックもこれにあたるのかな? スナップ写真のような構図と考えれば分かり易いでしょうか? ドガの作品で例を挙げるのなら ファゴット奏者の肖像の絵を見れば群像の中の肖像画ではありえない 写真のトリミングのように人が切れています。 レンブラントと比べるとわかり易いですよ。 ユトリロなんてポストカードをそのまま参考に町並みを描いて いたりするので写真の効果そのままの作品もあります。 印象派の時代とは違いますが。 望遠レンズの効果だったとしてもすぐに結びつくのかどうか は分からないですね。望遠鏡自体はあったのだからそれで風景を覗く ことはあったのかもしれません。 (ルノワ-ルの作品でオペラグラスを覗く人の絵があるので ある程度の人は望遠レンズを覗いたことがあるのかもしれません。) 風景画家は絵を描くときに一定の位置から全く動かないわけでは ありませんし、モネの睡蓮は何枚ものスケッチをしているので 作品自体を構成し直していると考えることも出来ます。 現場でスケッチを行っているとしても頭の中で構成するものなので 画面でのバランスは気を使います。 私は画面内で構成してバランスを取っていると思うほうが 自然なのですが・・・。 エスキースを何枚か取り画面上で組み合わせるのは昔からの 手法です。コローはたぶん室内で画面を再構成していると思い ますよ。明度のブレが少ないですから。 フェルメールは暗箱カメラを使ってデッサンしたと言われて いますね。そういう場合もあるしなんともいえません。
お礼
私は全く素人なので。詳しいことは分かりません。あまり作品例も知りません。ドガはトリミングのようなものがあるんですね。ただ、あくまで風景画で感じたんですね。人物にも望遠効果あるかもしれません。背景が異様に大きいのはそうです。オペラグラスが一般的だったとしたら、画家は当然興味を持つのではないでしょうか。それを自動処理してというのはありえそうです。まったくの写生でないものが多いでしょうから、拡大したい詰めたいという心理的要求によって、自動的に望遠効果をそれと意図せずに取り入れたのが多いのかもしれませんね。
ひょっとして背景がぼやけて色が混ざり合うような効果ですか? それは光の効果を狙ったものでニュートンの光の理論以降ですよ。 それ以前はゲーテの色彩論と同じような色使いが主流でした。 レンズの効果というよりは光の理論から導き出されていると思います。 ビチュームを使わず色彩対比を使って陰影を描けば 絞りを開けたような柔らかい明暗対比にどうしてもなりますね。 その色彩で古典絵画技法に沿った画法では画面が破綻してしまいます。 画家が採用した画法が偶然にも光学機器の表現と一致したと考える のが自然では? 同じ光の理論をもとにしているのだし。 まあ画家がみんなマチスみたいなインテリじゃないですし、 写真機の機械に詳しい人ばっかりじゃあないでしょうよ。 その考えをもとに日本の作家が採用しなかったのは印象派の初期に 画法が流入したのではなく後になって流入したことにより 印象派の根幹である色彩理論が不十分に伝わった。 あるいは、日本の流行が初期の印象派から後期印象派やフォーブに 移行したためそのような色彩理論の研究が熟成しなかったため 画家が採用しなかったと考えられます。 あくまで推測ですし明確な答えではないです。 まあ美術作品はクイズじゃないですからどーでもいいんですが。
お礼
混ざり合う効果とは違います。遠近感をつめるという望遠レンズ効果です。極端に言えば、バードウォッチングとかスポーツ写真家がでっかいレンズを三脚に据えて狭い領域を狙うというものです。
- kouun-takamura
- ベストアンサー率39% (208/521)
望遠レンズ効果って、遠近感に乏しい構図と言いたいのでしょうか? その定義があいまいなままですと回答できません。 たとえばどういう西洋画のことでしょうか?具体的に作品をいくつか挙げていただけるとわかりやすいです。
補足
たとえば、モネの水連 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Claude_Monet_045.jpg 日の出 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Claude_Monet%2C_Impression%2C_soleil_levant%2C_1872.jpg コロー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Jean-Baptiste-Camille_Corot_012.jpg 本当は、都市風景のが典型的なのですが、例が見つかりませんでした。 これらの構図は、肉眼の図ではなく、35ミリフィルム用カメラでいえば、100ミリか135ミリか位の望遠レンズ効果だと感じます。奥行きがかなり詰まって遠景を大きく扱っています。つまり、これらの作品で、画家は書く範囲をかなり狭めてそれを拡大させるという作業をしているようです。
ドガの絵のことを言っているのであればそれは写真の効果を 知った上での演出です。 ドガは新しい技術に対してかなり柔軟な発想を持った画家でした。 ロートレックもそうかな? でも印象派の中にも別に写真効果にとらわれてばかりの人 だけじゃないですね。 心象の演出で最も分かり易いのはゴッホかな? 最初から最後まで画面で構成して画面の密度を上げています。 それとセザンヌもそうですね画面上で構成しています。 それも綿密に。 3次元の風景を2次元の平面に収めるにはどうしても 湾曲した空間が出てきます。 それがあたかもレンズのような効果を生む場合もありますし、 近世の頃の画家はその湾曲を修正して構成していました。 19世紀後半から20世紀前半ではあまり修正しない 作品が増えてきましたね。そんな関係もあるかもしれません。
お礼
ドガ、ロートレックには私はあまり印象にありません。風景画あまりないですよね?セザンヌも、あまり印象にありません。遠景をそのまま書いているのが多い気がします。あと静物ですか。 どういう点で写真効果なんでしょうね?
- ddg67
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北斎の絵が広角、標準レンズ効果とおっしゃられるのであれば、あなたは望遠レンズ効果という物を知らない、という事にになっちゃいますよ(^_^;
お礼
そうですか(^_^;
画面でバランスを取って構図を取り描けばものの実物の大きさと 差異が出るのは当たり前です。 主題は何かを強調する描き方と言えます。望遠効果と言うより ディフォルメではないでしょうか? 絵描きはあくまでタブロー上で画面を構成します。 望遠レンズのように見えるのはあなたが望遠レンズの効果を 知っているためムリから当てはめているのではないですか? 人間の感覚を素直に表現すれば心に止まった物が大きく感じたり 奥行きを出すためパースを変化させるのは自分が感じた 空間をより伝え易くするための表現方法の一つではないんでしょうか? レンズは確かに古くからありましたね。でも高価なものなんでしょ? 19世紀以降はどうか知りませんけど。 日本の風景画の歴史は中国の流れを切り捨てるわけにはいきません。 中国の水墨画や彩色画のセオリーと西洋画のセオリーの どちらを選択したかによっての差だと思います。 明治時代油絵が流入してきたとき油絵を始めた人は元は日本画家 からの転進したものが多くいたのに違いありません。 西洋画といっても精神まで西洋化するのは文化そのものを入れ変え なければ無理です。まして歴史のあるものを学ぶときは なおさらです。東洋と西洋のものの雑種の絵との認識があれば 西洋画なのになぜ日本人が描くと違うのかの答えが なんとなく分かると思います。 そこから良さを探せばよい。
お礼
心象をよくあらわしたいためにデフォルメするという感覚ではないと思います。近代の風景!って画、印象派たちによくあります。あ、これは望遠だ!っていうのがちょっと写真をやったことがある人はすぐわかります。なんというか、その望遠効果ということをかなり主題にしていて、何を中心にしたいということではないような気がします。あきらかに、近代の工業化、写真を参考にしているようです。たとえば、馬が走る形状は、写真によってはじめて明かされたわけで、それ以降足を交差して走っている歩いている絵になります。 日本の洋画は、その純粋な望遠効果というものを取り入れているように思えないで、おっしゃるような心象の効果を狙っているように思えます。
- ddg67
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1.抽象画的な絵になりがちだから。作品はよく見ますよ。 2.近代と限定するのであれば葛飾北斎の影響です。
お礼
抽象画?になりがちでしょうか。北斎はどちらかというと標準レンズ広角レンズ的構図ですね。あ、望遠効果だと思ったことないです。
お礼
いろいろ美術館を観て、印象に残ったのが、西欧(特にフランス)の画家がよく用いる「望遠レンズ的風景画」と日本人の「標準レンズ的風景画」でした。その印象が正しいのか間違いなのかわかりませんが。風景画でなくても、広角レンズ的構図はなかったと思います。標準レンズか100ミリくらいの望遠ですかね。 遠近法というものの伝統がさらに先へ進んだのでかね。その応用としてのトリミング効果なんですかね?望遠効果というのは同じことです。 もしかして、日本の洋画家たちは、日本画のベースがあったので、遠近表にあまりこだわらないのかもしれませんね。