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いじめる側といじめられる側

 私は5歳と0歳の子を持つ親です。小学校入学を来年に控え、皆さんの意見をお伺いしたく質問(アンケート)させて頂きたいと思いました。  教師すら児童をイジメる世の中、結局の所「いじめる側」と「いじめられる側」のどちらが悪いのでしょうか。学校でのいじめに加え、裏サイトでの陰口や酷い暴行すらも出てきています。回答者様独自の対処法などがありましたらお教え下さい。両方、あるいは片方が悪い。罪を憎んで人を憎まず、悪いのはイジメという行為である。等々、色々な意見をお伺いしたいと思います。

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  • rako11
  • ベストアンサー率28% (41/143)
回答No.21

NO9です。 回答に補足します。 はっきりした数字を書きますが、割合として考えてくださいね。 「一人」と書いていても「二人」の可能性がないわけではありません。 まず、クラスに30人の生徒がいます。 その中でいじめられる子は一人です。 でも「いじめてやる!」と明確な意思を持つ子も一人なんです。 そして「いじめ」というのは1対1(つまり両方が同数)では起こりません。それは「喧嘩」であって「いじめ」ではないんです。 ところが、必ず「いじめてやる!」という子の周りには面白がって参加する3人がいます。彼らは自分から行動は起こさないけれど、誰かと一緒になら何でもやっちゃう子です。 でも、それでも4対1です。 いじめられている子も、これなら何とか頑張れば対抗できます。 でも、残りの25人が問題なんです。 この25人は「いじめなんかしたくないし悪いことだけど、でも自分がいじめられたら嫌だから」という理由で4人の方についてしまうんです。 そうするともう29対1になってしまいます。 これは本人の努力でどうにかできる問題ではありません。 でも、クラスの25人が「いじめはダメだ!私もあの子は嫌いだから付き合おうとは思わない。だけど殴ったりからかったりすることも絶対にしない!」と思っていれば…? いじめる側についた3人は25人から「やめろ」と言われて、それでも実行できるほど根性はありません。 そうすると結局は「いじめてやる!」と思う一人と「いじめられる」一人の問題になって、これは喧嘩ですし、弱い方も自分に問題があるなら努力して解決できるんです。 「自分の子供がいじめられたらと心配するお母さんは、まず自分の子供にいじめは絶対にしないように教えましょう」というのはこういう意味です。 「逆らったら次は自分がやられる」とはなりません。なんせ逆らっているのは25人ですから。 もちろん、現実はこんなに簡単なことではありません。 でも、一番怖いのは「たった一人」になることなんです。 根は善良な、弱い子供達が「いじめ」に加担することこそが、いじめをエスカレートさせるんです。そしてこの根は善良な弱い子供達というのが大多数を占めていて、そのお母さん達が「自分の子がいじめられたらどうしよう」と心配しているわけです。 だからお母さんも自分一人だけでなく、クラス全体のお母さん達で「自分の子がいじめに加担しないように」努力しましょう、ということです。 「そんな奇麗事」という批判もあるかもしれません。 でも「いじめのない世界」というもの自体が夢物語であることは、質問者さんも理解なさっていると思います。 そして「いじめのない世界」にいくしか、自分の子供が絶対にいじめられない方法はないんです。 「いじめられる側にも原因はある」と言いますが、私は全ての学校の全てのクラスにいじめられている子供は存在すると思っています。そして「いじめられる一人」になるのは、本人の問題だけでなく、「運」もあると思っています。例えば、同じくらい性格に問題のある子は他にも何人もいるのに、その子がターゲットになってしまったのは、たまたま席が近かったからだったり、たまたま廊下でうっかりぶつかってしまったからだったり。 以上、長々と書いてしまって申し訳ありませんでした。 結論としては 「いじめてやる!」と思っている子は、いつでもどこでもターゲットを求めて目を光らせているんです。対抗するには、そういう子に「仲間」を与えないことです。

sil_master
質問者

お礼

 もし私が教師の立場ならば、まずその25人を指導するでしょうね。止めないばかりか、加担するなんて・・・。一般論ですが、第三者として(この場合は25人)見た時、まず2人の実力を見ると思います。そして強いほうに付く。動物的思考からすれば、これは普通の事です。が、私たちは人間です。お互いが同じ立場であり、人間という意味ではすべての人間が対等です。ならば、それを止める努力を惜しんだ。悲しいかな、事実ですよね。  仲間を与えない。難しいけど、正論ですね。決して奇麗事ではないですよ。理想論あっての目標ですから。  回答ありがとうございました。

その他の回答 (23)

  • xskybluex
  • ベストアンサー率13% (3/22)
回答No.13

いじめる側に決まっています。 いじめられる側が何か問題を起こしたとしても、 それがいじめていい理由にはなっていません。 自分はもうすぐ中2で中1の一時期いじめられて不登校でした。 その時よく分かりましたね、いじめの深刻さが。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  もちろん、イジメて良い理由にはなりませんよね。やる側って、結構楽しんで軽い気持ちで行うようですが、受け止める側としてはかなり辛いでしょう。経験談ありがとうございました。

noname#87737
noname#87737
回答No.12

いじめる側が悪いに決まっています。 いじめられる人にはそれなりの理由があるのは確かです。でも見ていていらいらする人や自分にとって不都合な人が身近にいたときに「いじめ」という対処法を全ての人がするわけではありません。 大抵の人は関わらないようにするでしょうし、相手とコミュニケーションをとって問題を解決する方法だってあります。 いじめをする人はコミュニケーション能力と想像力が足りないのだと思います。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  確かにコミュニケーション能力と想像力の不足は考えられます。しかし、それは現代の小中学生には一般的に、又は全体的に言われている事ですね。色々とゲームやアニメのせいだとして、犯罪やいじめを犯す原因とされていますが、ある一部はこのせいなのかとも思っています。

  • guekfbd
  • ベストアンサー率51% (212/414)
回答No.11

まぁ大半の場合はいじめる側が悪いでしょうね。 ただ、いじめられる側がいわゆるKYで、周りの空気に自分が合わせられないことが原因で 村八分→いじめと発展した場合は、一概に「いじめる側が悪い」とも言い切れないと思います。 勿論、いじめられる側の性格的に周りに溶け込むのが困難な性格である場合もあるでしょうし、 また大多数を占める"周り"の言うことがいつでも正しいとは限らないということも事実ですが、 「郷に入らば郷に従う」という言葉があるように、自分以外の"他者"が存在するコミュニティに属する場合、 自身の意向に反するとしても、そのコミュニティの空気にある程度自分を合わせる姿勢というのは 社会的生活を送る上で必要だと思います。 それができない人間でも受け入れてくれるコミュニティならば問題ありませんが、 世の中そこまで甘いコミュニティばかりではありませんし、後者のような"普遍的な"コミュニティの中では、 上記のKYが原因によるイジメはごく簡単に発生します。 「強者の意見(?)」甚だしいかもしれませんが、 「周りに合わせることができない自分」を「(性格的に)どうしてもできないからしょうがない」として変えようともせず、 結果として周りから浮いていじめられている人間に対しては、同情的な感情よりも先に、 ある種の軽蔑的な感情が先立ちます。 「いじめられないための努力」という表現は、非常に後ろ向きでありあまり用いたくない言葉ではありますが、 「周りに自分を合わせること」もそれの一環であると解釈するのであれば、 それを怠っている人間がいじめられることになるのも、ある意味必然的なことなのではないかと思います。 まぁ全員が全員自主的に解決策を模索できるわけではないのは重々承知していますが、 いじめられる側の人間によくありがちな「誰かが救ってくれる」「なんで誰も助けてくれないんだ」 という他人任せな姿勢には、正直なところ反吐が出ますね。 「甘えてんじゃねぇよ」って感じです。 そういった人間に対しては、私はイジメに参加することはないでしょうが、 もしイジメの現場に遭遇したとしても、救いの手を差し伸べることもないと思います。 どのような事情があれ、他人任せで自己努力を怠る人間は、 私にとっては生理的嫌悪を抱かせる軽蔑対象に過ぎません。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  一理ありますね。確かに、性格という事に理由を付けて何もしないのは、救いの手を差し伸べるに値しないでしょう。しかし、小学校・中学校はコミュニティではない義務教育です。どんな子が入学してきて、どんな性格の子がいるかは体験も出来なければ予想する事も出来ません。そういった部分ではコミュニティと違う所ではないでしょうか。  しかし、KYや自分から何もせずに救いの手を待つというのは、確かに「甘えてんじゃねぇよ」といった所でしょう。性格的なものもありますので、性格を見て対処すべき所なのかもしれません。

  • adhitya
  • ベストアンサー率6% (2/29)
回答No.10

私は実際に学年規模のいじめに遭いましたが、それでもいじめは「される側が悪い」と思います。 というのも、真実はもちろん「する側」が悪いのでしょうが、その理屈でする側をなくそうと言ったって、例えば「いじめの加害者は、内申に「いじめをして誰にどういう被害を与えました」と書きます」とかいう制度が出来ない限り無理でしょうし、こんなことをしては誤認が後を絶たない、つまり不可能だということです。 他の回答者様も言っておられましたが、いじめはする側が圧倒的に多いわけです。ですから、「解決」「対処」という事象を念頭におくならば、「いじめる側が悪い」として多くの者に素行の改正を求めるより、「いじめられる方が悪い」としてたった一人のいじめられる要因を改正したほうがずっと効率的です。 ここで、いじめられる側が具体的にどう動けばいいのかという話ですが、選択肢は二つあると思います。 一つは、自分なりに理屈を打ち立てて孤独を是認する。 もう一つは、演じることが負担になるのと引き換えに、友達を手に入れる。 例えば、私がいじめの状況下にあっても、ある日突然キャラを変更して、明るく場を盛り立てようとしたりする。 そうすれば、初めはそりゃあみんな引くでしょうが、ずっと続けていればそのうちに友達ができたに違いありません。 但し私が取った選択肢は一番目の方です。「利己心が良心に勝つこともできず、一人を大勢でいじめる」という行為をする人間などは友達にする価値もない、という「理屈で孤独を是認」したわけです。 「いじめる方が悪いので、親や教師の協力のもと糾弾する」という現在一般にとられる手法は、あまりに解決へ向けた効率が悪く、上のどちらの手段も鬱などを発症して出来ない、という場合にだけ許されるものだと思います。真実を唱える前に、本当に善処したいのならまず現実を見つめなければ。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  確かに「いじめられる事を悪い」とし、それを防止するとなれば効率も良いかもしれません。ただ、それは「効率」や「対処」を目的とした場合であり、いじめられた子のその後をケアするという意味ではどうなんでしょうか?「いじめられてしまった。ぼく(わたし)は悪い子だ」と考え、さらなる深いうつ病を発症してしまったりしないでしょうか?しかし、演じる事は確かに1つの方法です。現在も、演じる事で自分を守ってる子はいるでしょう。しかし、演じる事で本来の自分を隠し、いじめに加担している子がいるのもまた事実でしょう。難しい問題ですが、教育現場における最大の問題点なのかもしれませんね。

  • rako11
  • ベストアンサー率28% (41/143)
回答No.9

私個人としては、「いじめる側が悪い」と思っていますが、こういう意見も聞いたことがあるので紹介します。 「世の中に、自分の子供がいじめられたらどうしよう、と心配する親はいても、自分の子供が誰かをいじめたらどうしよう、と心配する親はいない。それが問題なんだ」 いじめというのは必ず「いじめる側」の人数の方が多いんですよね。 率先していなくても「あの子がやってるから」「クラスの皆がやってるから」という理由で、深く考えずにいじめに加担する子が少なくないわけで。 だから、確立としては我が子が「いじめられる」より「いじめる」方がはるかに高いわけです。 でも、親は「いじめられる」心配はしても「いじめる」心配はしない。 つまり「いじめられる」ぐらいなら「いじめる」方がマシだという意識がどこかにある。 こういう親の無意識も問題なのだ、という意見です。 つまり、我が子をイジメから守りたいなら、我が子に絶対にイジメに加担してはいけません、と教えることが大切だ、ということですね。 確かに、ほとんどの親御さんが「我が子がいじめられたらどうしよう」と心配してると思うので、そのほとんどの親御さんが「絶対にいじめをしてはいけません」と教えるのは効果的かと思います。 (イジメがなくなる事はなくても、減るんじゃないかなあ、と)

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  確かに、「ウチの子がいじめたらどうしよう」と考える親って少ないでしょうね。回答者様のおっしゃる通りでしょう。また、今まで「いじめを行ってきた子が、逆にいじめられる」という例も出てきているようです。しかし、「やりたくないけど、加担しないと自分がいじめられる」と考える子もいるようです。場合によってはそれも正論なのかとは思いますが、結果的に「いじめを行う」という事に変わりはありません。やはり、親としては「関わるな」と教えるのが一番なのでしょうか?

noname#160941
noname#160941
回答No.8

喧嘩両成敗。 いじめられるには理由がある。 いじめる方が貧乏、いわゆるDQNが多い。 相手にしないのに限るか、レベルの高い小学校に転校すればいい。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  喧嘩両成敗も悪くはないと思います。しかし、いじめられた側を成敗した所でさらなる深い傷を負うのではないでしょうか?しかし、相手にしないのは1つの手ですね。相手にされないと分かれば、いじめも止むかもしれません。

noname#60669
noname#60669
回答No.7

いじめは絶対に消えない。なぜなら法律で殺人はいけないという決め事があるにもかかわらず、殺人が横行していることからもわかるように、一番強い制約である法律でさえそむく人間がいるのに、大して制約のない、バレても親に少し注意されるくらいで済む「いじめ」はどうしたら減るのでしょうか? 「いじめ」をやる理由は簡単で、面白いから、楽しいからという理由に尽きると思います。いじめに関しては性悪説的な考え方が必要でしょう。 だからどっちが悪いと言われれば勿論「いじめる」側なんですが、それよりもなにも「いじめられる」側に逃げ道、救い道、反撃法といった対抗策が無いというのが大きな問題なんですよね。なぜ「いじめられた」人間が不登校により教育を受けさせてもらえないのか?人間不信にならなければいけないのか?自殺しなければいけないのか? 要は結局被害者が大きな損をする社会になっていることに問題があって、そこを見直す必要があるのだと思います。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  動物性の本能からして、まず人の上に立ちたい。という征服欲からも来るのでしょうか。「コイツは格下だ」と周囲に見せ付けたいのでしょうか。真意は色々あると思いますが、回答者様の言う通り「いじめは絶対なくならない」のは確かだと思います。親が手助けするにしても、親だって万能じゃありません。気が付かない事だってあるでしょう。むしろ、気づかない親の方が多いのではないでしょうか。  被害者が損をする社会。早く変わってほしいものですね。

  • 6la
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.6

いじめる側だと思います。 どうであれ、いじめて良いという場合はありません。 でも、いじめられた側がただ 「いじめられた、つらい」と思ってしまうのではなく、 いじめられた、嫌われた原因を考えて何か思い当たったなら そこを改善する必要はあると思います。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  子供たちは「いじめられた。辛い」と感じても、そこで終わってしまう子がほとんどでしょう。そこから「ではどうしたらいいのか」と考える子って意外と少ないんじゃないかと思ってます。考えたとしても、その答えを1人で出せる子って、ほとんどいないでしょう。であれば、何かしら親が感じ取って手を差し伸べてあげる事も必要なのかと思いました。

回答No.5

当然、いじめる側です。 態度の悪い人、マナーの悪い人がいるとします。それを注意する、というのならば良いでしょう。でも、いきなり殴りつけるなどをしたら、殴りつけた人は暴行犯という犯罪者です。 よく、「いじめられる側にも原因がある」などと言う人がいますが、そういう人は、この暴行犯も悪くない、というのでしょうか?  「正義」と名がつけば何をしても良い、と言うのは危険です。無論、その「正義」が、ただの一方的な難癖ということだってあるから余計に、です。 ただ、いじめに関して言うのならば、何よりも大事なのは「いじめは何処でも起こりうる」という考えを持つことだと思います。 人間、集団になれば、必ず派閥が出来たり、対立が起こったりします。大人であったってそうなのですから、子供であれば、その解決手段としていじめに走る、なんていうことはより可能性として高いといえるでしょう。 昨今、「いじめが増えた」などと言いますが、これは、学校が把握した件数であり、また、学校が「これはいじめである」と認定した件数に過ぎません。いくら客観的に見て「いじめ」のように思えても、学校が「これはいじめではない」と言えば、カウントされないのです。 この原因は、「いじめがあるのは異常なこと」と言うおかしな思想です。昨今の増加は、そういう状況がようやく打破されつつある、という意味で決して悪いことではありません(昔であれば、現在よりもより露骨に部落差別に基づくいじめなども多くあったわけですから) まず、その部分から考えることが重要ではないかと思います。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  そうですね。正義は正義でも、結局の所は「自分にとっての正義」なんですよね。一般社会で求められているのは「一般的な正義。又は法律上の正義」であるにも関わらず・・・。  学校の言う「いじめのカウント数」については、私もアテにはしていません。教師は「いじめが1件でもある事が、学校にとっての恥」と考えている間は、どんな数字を取っても無駄でしょう。まずは現場が変わらなければ何にもなりませんよね。

  • yukiti2
  • ベストアンサー率28% (535/1856)
回答No.4

2児の母です。(今度小学校2年生と保育園年少の子がいます) 小学校に入るまでイジメは、いやだなぁ。と漠然と思っていただけでしたが、今は娘(小学生)のペンケースの中の鉛筆が減っていると、誰かに隠された!?イジメ!?(ただ学校に忘れただけだった・・) 日々ハラハラドキドキして過ごしています。 さて、本題ですが、 以前はいじめる側が絶対に悪い!と思っていました。 しかし、自分の娘が小学校に入ってからは イジメというものを存在させている学校。地域。社会。大人。。。 子供達を取り囲む環境すべてが悪いのだと思っています。 裏サイトについても、かなり前から騒がれていたのですから、もっと早く調査をすべきだったし、学校でのイジメも最初に教師が気づけば、教師がもっと子供達に目を向けてくれていれば・・・と思っています。 教師の人数を増やしたり、地域の方にに学校を頻繁に訪問していただき、裏での悪いことを未然に防ぐようにもっとなって欲しいものです。

sil_master
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  別な観点からの回答嬉しく思います。確かに、いじめを放置。見て見ぬ振りする大人も問題ですね。今では地域活動も盛んになってきているとはいえ、まだまだなのが現状でしょう。裏サイトについては、プロバイダや携帯キャリアで対策してほしいですね。そもそも、影で悪口言って楽しいという性根も気に入らないんですが・・・。