こんにちわ。
まぁ、夢物語だと思っておいてください。
確かに、携帯をみて、これ以上伸びる?何を機能化するかというと「・・・」って
感じがしますね。携帯電話といいますし、大きな目的としては「持ち運びができる
電話機」なわけですよね。
電話を買ったのに「ラジオが付いてくる。アンテナ部分が耳掻きになる」なんて
物ができても買うとは思えませんね。
携帯電話というと想像つくのが画面があって番号押すところがある。
大きさは小さいほうが持ち運べるし、薄いほうがいい。
そして、何よりも時計じゃなくて電話機ですよね。
世の中に電話が掛かってこない人もいるとは思いますが、
わざわざ時計のためだけに携帯を持っている人はほぼ居ないと思います。
(もしかしたら、一度も電話もかけず、電話もせず、メールも何もしないけど
時計として使っているなんて言う人がいるかもしれないので)
で、これは、携帯電話だからですよね。携帯電話という中で考えると
それ以上いるのかって感じられます。
また、それ以外でもいらないという意見もあると思います。
私も非常に微妙な感覚でしか感じてないので突き詰めて考えていませんが。
今あるエアコンを動かすためのリモコンやテレビの録画をするための
リモコンなど今あるものと同じ機能を持ったものならいらないと感じるのでは
ないでしょうか?
私は家電が情報で繋がる先には、ただ、外出中に動かせるだけというのではなく
ネットから情報を得て動作する、もしくは集中管理できるといった少し高度な
動作をするのではないかと考えています。
(ぼんやりとした想像なので馬鹿な発言ですから、あまり突っ込まないでください。)
今の時代は物が飽和していますよね。
私が物を買うとしてもそうそう欲しいものは見つかりません。
特にいらないと思います。
私が思い描いているものは特に企業側の売れる売れないなんて考えていません。
っていうか考えているのかもしれませんが、よくわかりません。
たぶん、これからは特に欲しいと思えるものはそう無いと思います。
新たなる三種の神器みたいなものができれば、人は急速に買っていくことでしょう。でも、所詮そのものもいつかは当たり前のものとして各家庭に一台
といったものとなり、飽和することでしょう。
そんな感じで行ったら、この先はどうなるのでしょう?
私としては飽和しだした今、製造業はある程度の進歩の具合を緩め
人間は生きていくために日々を暮らす?みたいな感じになるのかもしれません。
(非常に哲学ちっくというか、わけのわからない話ですが。
いつまでも激しい発展はないってことです。パソコンの性能を上げたとしても
あと何倍まであがるのでしょうか?数百年も数千年もそれ以上も発展していくとは
思えませんよね。)
って感じで飽和について語りましたが
そういった飽和の時代の中で人々がどうなっていくかを考えたら
情報といったものが非常に必要なのではないかと思っています。
これは、私自身が情報(ネット)といった環境が無しで生きていけない?
いや、当たり前のものとなっているからかもしれませんが・・・。
って語りましたが、非常に私の頭が混乱してきたのでこの辺にしておきます。
たぶん、尻切れトンボだと思いますが、また、この質問が続き
自分の意見がまとまれば書いて行きたいと思います。
最後にユビキタスの可能性ですが。
私はそんなに補足にかかれているほど難しく考えていません。
ユビキタスは、よく例えで書かれていますが、
「水道の栓をひねるくらい」のものだと思います。
水道の栓が必要なのか?と考えるまでも無く、水道の栓が存在している
ユビキタスを実現する端末(これは、携帯電話かパソコンか、それ以外のものかわかりませんが)が必要なのか?と感じることも無く、
簡単に情報を得ることができる
そういう感じがします。
もちろん、ユビキタスにはセキュリティーの問題があると思いますが。
補足
意識することなくっていうユーザーフェイスは携帯電話ではどうしても難しいというtimberさんに意見をいただきました。今の携帯電話において確かに伝達手段としてはかなりいいところに来てると思うんですが。インターネットについてはやはり使いにくい。家電と繋がるリモコン機能を取り付けるというのは携帯電話を複雑にする恐れもあり、また壊れやすくもなるかもしれない。なによりもみんながみんなその利便さを望んでるわけではない。また家電がネットでつながる利点と不利点について例えばどういったものがあると思いますか?そしてそれは必要なのか?否か?消費者にダイレクトに伝わるものって物の溢れた今の飽和社会ではどうしても見つけづらくなっています。ダイレクトにつながる商品じゃないとやはり企業にだまされ続けるかもしれない。企業としてはそれができれば最高なんでしょうが。。。消費者もさらに付加価値を持つ商品を扱うためにはやはり頭が良くならなければならない。既存のものでもできるという意見はやはり、それ以上に触れようとしないから。ユビキタスにそのような可能性はやはり含まれていると思います。消費者もそういう暮らしを夢見ているのならもっと必要性を感じてもいいんではないでしょうか?今それがない要因は多々あります。消費者もメーカーも相応に勉強していかないとユビキタスをほんとうに意味のあるものとするのは難しいのではないでしょうか?なんか社会学てきな面から述べてしまいましたが、どう思いますか?