うーん、その先生がどの程度「質的研究」を「低いもの」と見ているかはわかりませんが、その見方が偏執的といえるほどのものでなかったら、きちんと指導してくれると思いますよ。
「量的研究」ということは統計に詳しい先生ですよね?(違ったらすみません)
だったら、質的研究についても知識面は少なくとも学生よりは豊富だと思います。
質問者様の研究に質的研究がもっともふさわしいのだったら、先生も質的研究について指導してくれると思います。
もし、先生が執拗に量的研究を進めてくるのなら、もしかしたら、質問者様の研究は、本当は質的研究より量的研究で行うほうがセオリーなのかも…そのへんは質問者様の研究について全くお話を伺っていないのでわからないのですが。
でも、もしその先生がものすごくへんな人で、日頃から質的研究を貶めたいタイプの人だったらなにか意図があるのかもしれませんが…。
>論文執筆のためのスーパーバイズというと、
研究の信頼性を確保するためだと理解しているのですが、
非専門家によるスーパーバイズでもそれは可能と見なされるのでしょうか?
とのことですが、量的研究を専門にしている先生なら、研究手法に関しては、実践系の先生よりは知識が豊富だと思います(実践系の先生って質的研究をしているように見えて、研究手法としてはおかしなところがたまにあったり、研究手法に詳しい先生にアドバイスをもらっていたりすることがあります)。質的研究の研究手法についても、専門家といえるほどの知識はもっているのではないでしょうか?
質問者様の所属する院の雰囲気がわからないのでなんともいえませんが、少なくとも私が今まで関わってきた量的研究を専門としている先生方なら、質的研究についての指導も十分にできるだけの力量を持った方々でした。
参考になるかどうかはわかりませんが、一経験談ということで…。
お礼
回答ありがとうございました。経験談で結構です。 量的研究の専門家なら質的研究の指導もできるということですね。 大学の教授であるし、研究手法は違えどその分野の専門家として なんらかの指導は行えると。 詳しい事情は書けないのですが、論文抄読などしていく中で、 この先生にスーパーバイズしてもらっても、信頼性の確保には ならないという確信を抱いたものですから、質問を投稿させて 頂きました。 先生に理解してもらうために努力することで、知識の無い読者 にわかりやすい論文になるとは思うのです。 でも、スーパーバイザーと呼ぶのはどうも・・・ 私は、 例えば、現象学やエスノグラフィーなどは哲学的背景や方法の 特徴を知っておかないと十分な解釈が難しいので、それを知識や 研究経験からサポートしてくれるのがスーパーバイザーだと 思っていました。 私が他力本願なのでしょうか・・・