芸人とは?
以前「江頭2:50はなぜ嫌われるのか?」という質問をしたとき「芸じゃないから」という回答を頂いて以来疑問に思っていたのですが、では「芸人」とはなんでしょうかと質問させていただきます。
落語の世界で人間国宝になられた桂米朝師匠(故人)が著作に書かれていたのですが、能楽の世界で人間国宝になられた方が「わたしら、芸を見せるんでっさかい芸人でっしゃないか」と仰ったのを受けて「あんな人に芸人と言われたら、私らみたいなもん芸人とは名乗られへん」と書かれていました。
しかし、芸人というのは芸の消費者に人にオモチャにされる存在でもありました。江戸時代から続く幇間なんていうのが典型例で、肉体的に痛めつけられることもあったようですし、極論「尻を貸せ」と言われたら貸したのが幇間という職業だったそうです。
私は能楽を理解できるほど高尚ではありませんが米朝師匠の落語は大好きで、一門会なんかが開かれたら良く出かけたものです。一方で江頭みたいな芸人が体を張っているのを見るとある種サディスティックな笑いが起こってきます。
テレビに出ている「芸人」が一番芸人らしくない連中であると思います。ちょっと名を売ったら社会評論めいたことを言いたがるようになってからますますそう思います。
昔ドリフターズ全盛期、志村けんが町を歩いていたら小学生に笑われるといって東八郎に相談したことがあるそうです。東の答えは「子供に笑ってもらえるんだったら幸せじゃないか。コメディアンが政治とか語り出したら終わりだよ?」だったそうです。この言葉で志村けんは「俺は一生コメディアン」を決意したそうです(晩年俳優路線に行ったいかりや長介と反りが合わなくなったのはこのためだとか)。
能楽を極めろとは思いませんが「視聴者にオモチャにされる存在」に徹している江頭は筋が通っていると思います。別にオモチャにされるだけが芸人の存在価値だとは思いませんが、笑いを職業にしたのなら舞台に登場しただけで笑いが起こるぐらいになると心を決めてほしいものです。
テレビ界に浮かんでは消えていく「芸人」たちは人を笑わせることを「名を売る手段」としか考えていないのが見ていてありあり分かり興ざめなのでテレビはすっかり見なくなりました。
テレビに滅多に出ませんがラーメンズの小林賢太郎さんなんかは「芸人」と自称したことは私の記憶の中にはなく「舞台コント師」と仰っていたのが記憶にあります。もっと突き詰めて「僕の職業は『小林賢太郎』です」という発言もありましたがこれなんかはすがすがしいくらい正直な言葉だと思います。
ゴールデンタイムにテレビで叫び合って「私は芸人です」と言っている人たちを私はどうしても受け入れられません。本気で笑いたいと思うのなら私は時間とお金を使ってステージとか高座を見に行きます。2時間でも3時間でも見続けます。本気で笑わせてくれるのならば。
で、質問ですが、あなたにとって芸人とはどういう存在ですか?