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ベネチアの建物の不思議

イタリア旅行でベネチアに立ち寄ったとき、多くの建物は、玄関までが水没していました。どのような手順で作られたかまた、海ギリギリまで建物にした理由が疑問です。分かれば、教えて下さい。

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回答No.1

ものすご~く簡略化して回答します。 ベネチア本島はアドリア海の干潟に造られている人工都市です。 干潟は、潮が引くと所々に小さな島のような泥地が点在します。 イタリア本土の、このあたりに住んでいた民族は、 アルプスを超え侵入してきたフン民族などからのがれるため その居住を、その島に求めました。 その泥のような島に無数の木の杭(柱)を打ち、 その上に石とレンガの土台をつくりました。 そこ教会と広場を作り周りに家と道ができていきました。 数百の小さな島を橋で結んで都市が形成されていきました。 ですからベネチアの橋はその道同士を結ぶため、斜めに かけられていますし、直線の道がありません。 手順はこんな感じです。 石作りの建物は重いので、ぎりぎりまで建物をつくれません。 ふちはハザードを設けて軽くします。これが道ともなります。 共和国時代になるとベネチアはアジア・中近東との独占貿易により 強大な商業国家になります。 今も大運河に建つ商館はこの時代の繁栄を残すものです。 商館などは直接、水路より船で荷物を運び込める玄関(1階は倉庫)を持つものが多くあります。 これが水没しているように、見えます。 水路と反対の広場側(道側)の玄関は水没はしていません。 しかし近年、水位の上昇と大潮(満潮)がかさなると ベネチアの街自体が水浸しになってしまいます。 人工の水門を作りベネチアを水没から守る、モーゼ計画が 展開されています。 詳しくは 陣内秀信教授の「ヴェネツィア/水上の迷宮都市」を 読むとベネチアがより興味深いものになりますよ。

aerio
質問者

お礼

早速のコメントありがとうございました。 木の杭(柱)が無数にあること分かりましたが、よくもマー重量物の石をどこから運んだか、感心する事だらけです。 日本で人工都市とは、神戸のポートアイランドや関空、中部空港のような埋立地を指すと思いますが、ベネチア本島も人工都市とは知りませんでした。また、ベネチア本島へ行くのに船に乗りましたが、地図によると鉄道もあるようで、本土に陸続きなのか分かりません。それとも離れ島なのでしょうか?教えていただいた、「ヴェネツィア/水上の迷宮都市」を図書館から借用し、見ていますが、はっきり分かるページが見つかりません。

その他の回答 (2)

回答No.3

No1&2さんが詳しく回答されているので、これはただのおまけ話です。 次回ベネチアに行かれた際には、ぜひバポレット(路線バスにあたる路線モーター船)で漁師の島・ブラーノ島までお出かけください。べネチアンガラスで有名なムラーノ島の更に先です。 するとNo1&2さんのご説明にある干潟(ラグーン)の様子がよくわかって大変興味深いですよ。 ブラーノ島周辺は干潟で非常に浅い海なので、その中で船が通る水路だけは判別できる様に杭が打ち込まれて道標となっています。(雪山でのガードレールをご想像ください)それ以外は本当に海面のすぐ下まで海底の泥砂が見えます。 飛行機でベネチア上空を飛ぶ場合、運がよければ干潟とその上に浮かぶベネチア本当の様子が鳥瞰図の様にみえて圧巻です。 次回へのお楽しみ情報として。

aerio
質問者

お礼

杭打ち一つ、どのような道具で実施したか等工法もやはり不思議一杯です。どうもありがとうございました。

回答No.2

石作りといっても、基本の建築はレンガ積みとその上に漆喰を塗るかです。 床は木の上に砂利と大理石を砕いたものを敷き詰めたりして、 なるべく軽くする建築が考案されたようです。 本土と鉄道が結ばれたのは19世紀になってからです。 それまでは完全に本土から孤立していました。 今はヴェネツィア本島のサンタ・ルチア駅まで、列車(鉄橋を渡り)でくることができます。 しかしながら、本来はサン・マルコ広場がヴェネツィアの正面玄関ですから (サンマルコ広場の2つの円柱の獅子は海を向いている)やはり船で入るのが、いいですね。 ※前回の回答でハザードと書いてしまいましたが ファサードの間違いでした。すみません。

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